大和民族は古来から、一旦国難や一地域一家の難渋に直面した場合、何はさておいても神明の前に参進して、その都度、事の詳細を奏言することが当たり前でありました。
神明のご加護に甘えようとするよりは、むしろ神様に向かって「ご照覧」乞い奉らんと願いました。つまり、大和民族はいずれの時代であっても大きな試練に遭遇すると老幼も先を争って氏神社に参進して、その達成を自然の法則に従って明らかにして、その達成を誓うのが当然の慣例でありました。このようであるので、神明は国民の志を憐れんで、幼い子達の身の上までもご加護を垂れ給わったのであります。誠の心に解決の道は開かれるのです。日本神道では「神さまは、お見通し」と伝えられており、祖先神人に我々日々の所作を明かし奉っておったのであります。
んが~っ!今や日本の物金自分のみが第一のあさましき世の中でありまして、神社では神明に対する、まるで、ゆすり・たかりのみっともない祈願のありさまであります。神社へ行くと様々なご祈祷の言葉タイトルがありますが、祈願なる詞は、仏教が日本に入ってくる以前には、日本では、祈願は非礼の所作でありました。 が、今や神社仏閣詣では、神仏へのゆすりたかりのあさましき有様で、今や神社は人間の我欲で穢れに穢れの有様です。
いざ子等 狂行(くるない)なせそ 天地(あめつち)の かためし国ぞ 大和島根は
安倍仲麻呂
訳:さあ人々よ!たわけた事をしてはいけない。天地が力を与えて固めた国だ!この大和の国は。
天地自然(神)が作った国の大和民族であるから、天地自然の法則通りに思い、生きていれば、何の不自由なく豊かで幸せで健康で、共に生きてゆけるのにね。 生成化育・生成発展が宇宙自然の法則なのに、あぁそれなのに、それなのにぃ~、 「我のみ金のみ自分のみのクソにまみれてよ~ぉ、育てた我~欲~。あ~それ地獄行~」
神様直行便の祈願?のタイトルがあります。
それは~・・・私をこの地上に降ろし、生かして下さってくれている神様の御神徳への、ただただ感謝の「神恩感謝」です。これが本当の願いです。
我欲の強い方は、はっきり自分の希望をするところを言わなきゃ、神様だって私の願いを分かっちゃくれないのでは?と、欲深く、理も知らず、ケチった賽銭放り込むような、おバカちゃんは多いですね。
※土曜日、「神恩感謝」のお礼参りに行ってきます。