2026年10月12日月曜日

上諏訪「手長宮」へ行ってきました。

(手長神社:主祭神は手摩乳神(てなづちのかみ)別名は手長彦神。彦は日子で天孫族。ユダヤ系民族かもね~。)

10月11日、朝5時に浜松の自宅を出発して、10時に上諏訪にある私の産土神の手長宮に到着しました。私の生誕〇〇年を感謝しての参拝です。ほぼ下道を使っての行程であり、ナビに結構騙されたというか、通信不能が結構ありました。またトイレ休憩をしっかり工程に入れてなかったので、5時間という想定外の行程には(漏れ?)もあり苦労しました。

あいにく、神奈川の寒川神社で40年も勤め上げ、故郷の上諏訪に帰って来られた宮司は、幾多の地域の神社を兼務しているため、それら神社の祭祀で不在でしたので、私は拝殿前で、禊祓い祝詞で自祓→神社拝司を奏上して→この世に生まれ出でさせられて以来、いろいろとあったものの、この年まで健康で幸せに生かされてきたことに対する感謝の祝詞を奏上させていただき、神恩感謝の玉串料と御献酒を捧げることが出来ました。

境内者社は数多くあり、その中でも、我々人間の元のエネルギーで自然霊である龍神を祭る「手長龍王大明神」社の龍神様からは、「よう来たな、まぁ上がれ!」と、私は勝手にそう思い、ご挨拶させていただきました。ノット奏上後、下で待っていた参拝客がその場を立ち去ろうとされていたので、私は、「ノットが長くてすみません。お待たせしましたさぁどうぞ」と声をかけてましたら、その参拝客は、さっと階段を上り、龍神様にご挨拶されました。私が参拝を進めなかったら、その参拝客は帰ってしまわれたでしょう。なぜ私がその参拝客に声をかけ、龍神様に挨拶するように勧めたわけが、その参拝客の後ろ姿で理解できました。その参拝客のショルダーバッグがカエルの形を模したバッグです。龍神様の好物はカエルです。だからか~。
手長龍王大明神を照らす太陽の光

それから、上諏訪土着の神々を祭る境内社にご挨拶させていただき、感謝のノットを奏上させていただき、私の出自を再確認することができました。

地元神(土着神)を照らす太陽光
 残念ながら産湯に浸かった温泉には入ることはできませんでした。             帰りは高速を使うルートで帰路につきました。それでも3時間50分。クタクタでしたが、私のマチッドは大満足されたとさ。

2026年10月6日火曜日

猿田彦神社の奉賛講大祭に参列。神の教えを賜りました。


 10月2日。猿田彦神社の奉賛講大祭に参列させていただきました。1年に一度、講員挙っての猿田彦大神より常日頃から頂く御神徳・御頼(みたまのふゆ)に対する大感謝祭です。 (10月2日は愛知・静岡両県の講員が呼ばれました。3日は愛知・静岡県以外遠方に住まれている全国の講員が大祭に参加された。)
お天気にも恵まれ、ちょっと汗ばむほどでしたが、無事参拝できまして、大神様からの御神徳も格別に頂いた次第です。
大祭終了後には、神宮会館の大広間にて直会。大宮司はじめ神官さん達のおもてなしを授かり、恐縮至極でありました。

天候が能く、何もかもがスムーズに式典が進み、直会においても和やかに神様のお下がりをが頂けたことは、「どうぞ晴れにしてください」とか「スムーズに到着できますようにと」交通機関の無事をを願わなければならないようなこともなく、皆健康で奉賛講大祭に参列でき、ただただ大神様への感謝の念を差し上げることができましたこと、ありがたき極みであります。改めて、「~をしてください」「~をお願いします」などとの個人的な我欲の祈りやお願いをお願いするものではなく、我々は初めから、健康で豊かで幸せを設定されて、それをこの世で実現するために、猿田彦大神様から各人それぞれの健康で豊かで幸せに生きる「道」が示されているため、その明く、正しく、直き、正しき「大道」そのままを歩むだけであ~る!と再確認できました。

私自身以前の悩みは、正しい神や本当の事を知らないで一生を終える事は最大な悲劇であるなぁと毎日がつらかったのですが、5年前に猿田彦神社の神官さんに導かれ、猿田彦大神にご縁を頂けたことにより、それまでの迷妄から解き放たれて正しい神のこと、本当の事を知るに至りました事。有難き幸せであります。

ともすると脱線はいたしますが、心に心配や欺瞞や不満や我慢や傲慢を持たず、あるがままに軽やかに健康な心の状態を保っていきたいと思います。

「目に見えぬ神の心に通うこそ ひとの心のまことなりけり」で生きていきます。

大祭前日には外宮・内宮と参拝。外宮では神様の光波を頂き、全身禊がれた感じです。

また、内宮近くに坐します、伊勢の土地(陸・海)を守られている神様にご挨拶できました。参拝客は全くおりませんので、人の我欲で穢された感の無い、神様パワーあふれる神社です。再び参拝させていただけたことへの感謝をたっぷりと申し上げることができました。
お社全体がパープルで包まれている様でした。ぱーぷりんな私もパープルに染められ、体が透明になっている感じ)

その後、猿田彦大神のお父様がお祀りされている神社にもご挨拶できました。お社は恐れ多くて撮影出来ませんでしたが裏に回り上空を見上げますと、びゃ~ん!
上空から熱いバイブレーションを強烈に感じましたので、すかさずシャッターをきりました。(正しくはスマホにタッチしました)
さらに、今一枚。

宇豆(渦)巻きのソマチッドエネルギーを額に頂戴いたしました。松果体・視床下部に溜まった悪念の浄化であります。
※眉間(視床下部・松果体)は、歓喜感謝合掌の心だ!

神々の大御恵を歓びて、拝(おろが)み奉れば心清(すが)し 
の解説
「私たちは、神様によって生かされていることを日々感受し、感謝する事が大切である。
真心込めて神様に御礼申し上げ、神様の御心に従って朗らかにひたむきに暮らすことを御誓い申し上げる。そうすれば、心は和み清々しく晴れ渡り、神様の御光が心に隈無く満ち溢れる。禍事(まがごと)が祓われ、善事(よきこと)が訪れる。」
「神さまのお言葉(御神籤)の受け売り」

※今だけ金だけ自分だけの左巻きの人達には絶対解らない、幸せの極みです。

2026年9月29日火曜日

かんたまCL. 10月の予定 「悪念を取り払う」

 


世界的な精神の荒廃が進むのと同時に、地球環境も加速度的に悪化!大雨の現象の意味するところは、自らの心・精神(悪念)を深く反省し、自ら禊ぎして、善念で生きると志さねばなりません。(これが猿田彦大神様がお示し、お開き下さった「人として生きる道」)         今や日本は(世界の国々も)シナ国の色・物・金により魂を買われたメディアも政治家も経済人も、シナ国と一体となり、己の欲を充たす為、 悪を志し、日本及び日本国民を陥れようとする危機の渦中にあります。

(「神国日本に手を出した国は亡ぶ」というジンクスは過去いく度もありましたが、いずれも日本人の精神が保たれていた時代です。悪を志す人が多くなると、神風は吹いてくれないのかもしれません。😢)


日本人の古来から培われた精神も希薄となり、中国を中心とする狂った精神が世界を圧巻しようとしている世の中ではありますが、猿田彦神社の奉賛講にご縁を頂いている我々は、この緊迫した日々の生活において、過つ事のない平穏な暮らし出来ておりますことは、猿田彦大神様の御神徳のおかげであります。                    
10月3日は猿田彦大神様へ感謝を申し上げに、奉賛講大祭に参列してまいります。

(※伊勢の猿田彦神社は天孫降臨された神の王である猿田彦大神様をお祀りする神社です。御かげ信仰や天狗神道の神社ではありません。似て非なる神社・神様にご注意ください。)

10月 2日(金) 伊勢神宮 外宮・内宮他、主要神社参拝 (伊勢市泊)

 ※伊勢市内の㊙パワースポットは、穢れ防止のため心ある方のみお知らせいたしますね。

10月 3日(土) 猿田彦神社 奉賛講大祭参列

 ※今月はTEL遠隔も併せ、悪念・悪霊・憑依霊の祓いを中心にヒーリングを行います。

10月 4日(日) スピカウンセリング&ヒーリング(テレ遠隔のみ)

10月10日(土) スピカウンセリング&ヒーリング(テレ遠隔可)

10月11日(日) スピカウンセリング&ヒーリング(テレ遠隔のみ)・誕生祭

10月12日(祝) 浜松パワースポット浄化神事(熊出没注意!)

10月17日(土) スピカウンセリング&ヒーリング(テレ遠隔可)

10月18日(日) スピカウンセリング&ヒーリング(テレ遠隔可)

10月24日(土) スピカウンセリング&ヒーリング(テレ遠隔可)

10月25日(日) スピカウンセリング&ヒーリング(テレ遠隔可)

10月31日(土) スピカウンセリング&ヒーリング(テレ遠隔可)

2026年9月10日木曜日

憑依霊の解除の大事

 


人間の肉体はその人間の内在思考を写し出す鏡でありますので、人間の善い想念でも、悪い想念でも関係なく、その想念通りのものを引き付ける作用をします。ですので、悪想念を持てば、悪い事、悪い体の状態を引き起こしてしまます。

多くは、未練や執着や嫉妬や執念型の未自覚迷妄霊の先祖による交渉が多いのですが、人間が未練・執着・嫉妬・執念・怒り・妬みなど、日頃から悪想念を持っていれば、悪想念を抱いたまま亡くなった先祖霊達が、その人間(子孫)に憑依します。

また、本人と関係のない(先祖さんではない)浮遊霊や地縛霊などは、先祖と何らかの関係があるか、境遇が一致しているとのことだけでも、関係のある人間に憑依します。

特に浮遊霊は人間の頸椎から侵入します。それら浮遊霊を取り出す方法は、
まず、首筋を霊的に掴み、その浮遊霊が逃げないようにして肉体の外に取り出し、
「幽世之大神(かくりよのおおかみ)の御意(みむね)の任々(まにまに)の御処置をお願いします。」と申しあげて送魂しますが、多くの場合、その浮遊霊の前世(生きていたころの)心得違いを咎められて、大抵は下層霊界の黄泉に送られてしまいます。

水子さんの霊は、幽世之大神と産土神にお願いして、水子さんの霊魂の魂送りをします。
※すべて他人任せではだめで、自ら懺悔をして詫びを入れて、誠心で供養しなければなりません。

憑依・浮遊・地縛霊の解除は祭典であります。解除を任される人は、人間力(肉体力)ではなく、神様の心と一体となって、神力を頂き、
「幽世之大神、国土神(その霊魂を担当される産土神)に召し上げ給いて、神の任々(まにまに)、其の処を得さしめ給え~」と送魂するか、各自の家だったところに帰すか、帰る家が無く、その所に止まりたい霊魂は、その場所に印(墓標のようなものを想念で作ってあげて)をつけて鎮めてあげれば、大概の霊魂は静まるようです。

生霊が憑く場合は、肩が重くなったり、腰が痛くなったりするようです。生霊は人の体の形態ではなく、人を憎む・恨む・妬むというような悪念が、拷問の石ブロックとなり、相手の肩に乗っけて来たり、弓矢や槍や刀剣に姿を変えて、憎っき人の体に刺さってきます。
そういう場合は石ブロックをエネルギーでぶっ飛ばしたり、弓矢・刀・槍などを抜いてあげれば重みや痛みは取れてなくなります。
しかし、相手は生きていて悪い想念を飛ばし続けてきますので、一時は良くなってもまた、悪想念マイナスエネルギーを飛ばしてきますので、たちが悪いです。
しかし、悪の想念を送ってくる人と和解をすることで、自分の体の不調は無くなりますが、互いの我が亡くならなければ、慢性のコリ・痛みとして苦労します。

これまでは人間力でなんとか出来るのですが、幽世之大と産土神社にお願いして憑依する霊魂の引き上げと特殊な祓いをします。
(※簡単な憑霊であれば、海神族の祓で解除できます。)

また、軽い憑依霊などは、体の傷む部分に手を当てて、クルクルと右回りに回転させて、憑依霊さん集まれ~と思念して、クルクルぽっとんと落としてあげれば、痛みは取れます。

しかし、生きている人が何らかの理由で神様からお仕置きされている場合は、治してあげようとしている人に異変があります。(※助けるべき人ではない人を助けようとした場合など)

逆恨みを受けている人は、その憑依霊の解除が出来ます。傷んでいる本人に全くの非が無い場合は、簡単に痛みが取れます。(なんとか返しの業でもって)

日本の国では霊界は国土大神が司っておられ、人の生死は凡て国土大神の司命神(少名彦名命)の支配下であります。                              ※決して人間力でもって憑依霊を扱ってはいけません。

『この御手は わが御手ならず 奇(く)しの神 常世(とこよ)に居ますスクナヒコナの 神の御手なり~』『癒し給え、癒し給え、癒し給え、・・・・・・・・』と、         俺我~俺我~の我を取って、「かみが~の法則」で、憑霊解除をなさってください。

2026年9月8日火曜日

神に「まつら」って、無難に、無理せず、幸せに生きる

 

多くの人は今や神社仏閣に詣でて、自我による頼み事をするのが当たり前と思っています。 これも、「今だけ金だけ自分だけ」で生きなければ、この世の中、上手く生きていくことが出来ない。損得勘定が当たり前で、自分さえよければそれでよいとでも思っているのでしょう。しかし、はたしてそれで本当に幸せになれるのでしょうか?

神に「まつらう」とは、神様に服従するとか、神様に従うという意味です。神様をどうこうするとか、神様に人間の自我の願いを聞いてもらうということではありません。

倭姫命の言葉に「黒(きたな)き心なくして、丹(あか)き心もちて、清く潔(いさぎ)よく斎(ゆまわ:神を祭るとき、飲食や行いをつつしんで穢れを去り、心身を浄める)り慎み、左のものを右に移さず、右のものを左に移さずして、左に廻る事も、万事違う事なくして、大神に仕え奉れ。元(はじめ)を元(はじめ)と、本(もと)を本(もと)とする故なり」とあり、神(自然の法則・宇宙の法則=善)の願う通りにあれ!ということでしょう。

自然・宇宙の公然の秘密があります。「重んずれば重くなり、軽んずれば軽くなる」宇宙真理の公然の秘密なのだそうです。                            どのような真実な対象でも、これを疑ってしまえば疑わしい対象となります。また、神(自然)に親しみすぎて礼を欠く心は、軽んずる心となって疑う心となってしまいます。    ※疑う心は「魔心」で、魔心は魔縁を呼び、魔に感ずるのです。             神社で神は要るか居ないかわからないけど、世間でご利益があるといわれているから、「ものは試しだ。願いが叶ったら儲けもの」で疑いながら自我の願いを願っても、神様とはつながらず、逆に多くの強欲な参拝客が落としていった魔縁に憑りつかれて、ますます欲深くなって、自分の慾の達成に死に物狂いになって、ますます底なし沼(怒魔)にはまるのです。

人間はこの世に生を受けると同時に「鏡」の総元締めである少名彦那の神=「大司命神(だいしめいしん)」より、神心を映す鏡を授けられています。

その鏡とは、無難に無理せず幸せに生きるのが人間の使命である。授けられた鏡を魔心(自我・我慢・我執・我情)で穢す事の無ないように生きよ。奇魂(くしみたま)が本当の自分であることを忘れるな!との神の意が映された鏡です。                  鏡を穢すことなく、縄文より引き継がれている、神の意のまま=神に「まつらう」ことを再認識しなければ当来の災難・天変地異から魔逃れない(免れない)こと必至でしょう。   本当の自分とは、自分の中に在る、「万物に神宿る」といわれているその神=奇魂(くしみたま)のことです。そして、その延長線上に超意識である幸魂(さきみたま)があって、さらに潜在意識である和魂(にぎみたま)があって、さらに3次元のこの世の自分の意識と肉体である荒魂(あらみたま)があります。

その本当の自分である奇魂(神の心)という鏡は肉体のどの辺に授かっているかというと、おへその奥の太陽神経叢(第二の脳)といわれる所です。

以上、35年前の先師からの受け売りです。解るまでに時間を要しています。

オヘソは大事というお話は、次の機会に。                       ※先師からの受け売りですが、「へ~そう?から、な~るヘソへ」のこころです。

ご先祖様の霊格向上を祈念する詞

(祈念詞)

自  自分の家のご先祖様達の、過去の因縁や罪過を消し去り、魂を清めて安らかにして、

   ご先祖の魂を高次へ成長させて、さらに神様のお導きにより、永遠の守護を得させて下

   さいと、神様にお願いする詞です。

日 日本語は縦書きのものを、「そうだ、そうだ、そのとおり」と首を縦に振って頷きながらむのが良いです。自分の我が無くなり、真理を素直に受け入れることが出来ますようにと写真をアップしました。

横書きですと、眼は泳ぎ、首を横にふって「いいや、そうはいってもねえ?本当かしら?」と否定しながら読みますので、「しんじられられな~い」となってしまいがちです。
とは言うものの、祈念詞の訳は横書きです。眼は横に泳がせても、首は縦に振りながら素直にお読み理解してください。(笑)

祈念詞の訳
全ての霊魂の籍・名簿・運命を司る役所にいらっしゃいます、あらゆる大小の人の寿命や運命を御定めになる*神様に対して、謹んで敬意を払い、神様の御名を申し上げ、お敬いいたします。
我が○○家の先祖代々の御霊達を始め、三界に住まう、〇〇家に縁ある霊魂たちや、縁は無いが、○○家の者へ悪しき感情(怨み・妬みなど)を持つ霊魂たちの、
 悪因解除(あくいんかいじょ:過去の悪しき因縁や、災いのもととなる因果関係を解きほぐし、取り除いてください)
 冥罪過消滅(めいざいかしょうめつ:冥界(死後の世界)において、生前の罪や過ちが消えてなくなるようにしてください)
善因転結(ぜんいんてんけつ:よい行いや因縁へと導き、それを結実させてください)
霊魂浄化(れいこんじょうか:霊魂の汚れや迷いを清め、純粋な状態にしてください)
魂魄清明(こんぱくせいめい:肉体を司る「魄」と精神を司る「魂」が、清らかで明るく澄み渡らせくだい)
霊體安寧(れいたいあんねい:霊的な体(霊体)が安らかで平穏無事であるようにして)
善果得道(ぜんかとくどう:よい報い(善果)を受け、悟りや正しい道を得るようして)
玄胎化成(げんたいかせい:体内に聖なる胎児=玄胎:霊的な新しい生命・不老不死の素を宿し、神聖な存在へと化して成らせください)
仙寿転結(せんじゅてんけつ:仙人のような長い寿命(仙寿)へと命の巡りが変わり、調わせていただき)
霊格冥福向上(れいかくめいふくこうじょう:霊としての格(霊格)が高まり、死後の幸福や安らかさがさらに増していくようにと、)
御啓導守護(ごけいどうしゅご:神仏や高次元の存在によって、正しい方向へ導き(啓導)くださり、先祖ともども、災いから守り抜いていただきますよう、)
祈念(お願い申し上げます)

大体、亡くなってから50年くらいの親族が、生きている本人の善くない感情に誘われて、
本人に憑依するのです。亡くなられた親族は、亡くなられる時の感情記憶のままで他界し
ますので、辛い・苦しい・憎い・悔しい・残念・恨む・悲しい・絶望等々の善くない感情を以て、それと同じ世界(幽界)に逝って、まだその感情を持ち続けておりますので、生きて
いる子孫が辛い・苦しい・憎い・悔しい・残念・恨む悲しい・絶望等々の感情を発していると、そのマイナス感情のバイブレーションに同調して、生きている本人に憑依してくるわけ
です。
つまり、生きている本人が亡くなった先祖を引き寄せているわけです。悪しき事柄は、「自
分のせい」ということです。

よって、先祖供養で大事な事は、まず、自分の常日頃の感情を大いに反省することから始め
なければなりません。そして、真摯に誠と真心をもって、亡くなられた先祖が、幽界から霊
界に行かれ、さらには、神様の御光の元へと上昇されることを願うのです。
立派な仏壇であるとか、立派なお墓や、高級なお供物とか、くそ坊主へのお布施などは、
これらは3次元の物質界のものですので、ご先祖様方は、その恩恵にも触れること、食べ
ることも出来ません。
ご  先祖様が何より喜ばれるものは、ご先祖様への感謝と、子孫の誠・真心のこもった真摯な
in  祈りです。

※自分の守護霊になってくれる先祖は大体五代前以上の方ですので、殆んどの方は守護霊さんのお名前などは解りません。

2026年9月3日木曜日

幸福になる法則 VS 不幸になる法則

 


昭憲皇太后 御歌 「衛生」

       かりそめのことはおもはでくらすこそ 世にながらへむ薬なるらめ

 「口語訳:その場限りのはあまないことに、くよくよしないで暮らすことこそ、この世に長

生きするための良薬というものでしょう。明治42年」

 

天地自然のままに、いささかも人智(我慢・我執・我情・我欲)を加えないで、赤心の命ず

るまま、自己本然(神様から授かった魂)=自己本然の姿のままに、呑気に暮らすのが、健

康で豊かで幸せに長寿を全うする秘訣なのだそうです。 

しかし、人間のあらゆる苦悩というものは、生成化育(自然の法則)に逆らう「軋み(きし

み)」のようなもので、人間が発する苦悩とは、「たわいのない」妄想・妄念のようなもの

であります。

今だけ、金だけ、自分だけ。物や富(金)などの集積に明け暮れる。物富集積の妄想・妄念

の虜となれば、地獄の底からやってくる我利我利亡者に憑依され、心身ともに食い尽くされ

て、挙句の果てには、神様から頂いた大切な分魂(わけみたま)までガリガリと食べつくさ

れてしまいますこと、うけあいです。

 

今の世の中、嘘・偽り・誇張・強圧・詐欺・謀略・エゴなどの悪しき言葉だらけの世の中

で、今だけ金だけ自分だけの夢を達成しようとするために、嘘・偽り・誇張・強圧・詐欺・

謀略・エゴでもって生きていくしかないと思ってはいませんか?

先の見えない獄中生活ですね。

 【幸福になる法則VS不幸になる法則】

先師曰く、「一切万事、人間の成すことは、善念(善き言葉・良き見解・良き行為)を以て

すれば、善念(福の神)が付着し、悪念(悪しき言葉・悪しき見解・悪しき行為)を以てす

れば、悪念(悪鬼悪霊)が付着(憑依)するものである。」 

であるので、天地自然のままにいささかも人智(我慢我執我情)を加えないで、「希望に起

きて、感謝に眠る」日々を過ごすことが出来るように精進することが大事です。

(※TV・スマホ・AIの情報では人間は健康で長寿、裕福、幸福になることは出来ません。

ではどうすれば・・・ 

ドイツの哲学者フィヒテ曰く、

「単に知るのみならず、その知識に従って行動せよ!」まさに願望実現の名言です。

過去・現在に、嘘・偽り・誇張・強圧・詐欺・謀略・エゴなどの悪しき言葉を使っていたな

らば、それらを真摯に反省し、もう二度とそのような悪しき言葉でもって他人を傷つけまい

と決心し、「よし!今からは、善き言葉・良き見解・良き行為でもって人に接し、決して他

人を傷つけまい!と誓って、猿田彦大神がお開き下さった、明く、強く、直き、正しき人が

歩むべき大道を誠を以て歩み行くことで、誰でも人は再起・復活できるのは本より、人は誰

しも健康で豊かで幸せな人生を送ることができるのです。

嘘・偽り・誇張・強圧・詐欺・謀略・エゴの世界に安住していてはいけません。

上諏訪「手長宮」へ行ってきました。

(手長神社:主祭神は手摩乳神(てなづちのかみ)別名は手長彦神。彦は日子で天孫族。ユダヤ系民族かもね~。) 10月11日、朝5時に浜松の自宅を出発して、10時に上諏訪にある私の産土神の手長宮に到着しました。私の生誕〇〇年を感謝しての参拝です。ほぼ下道を使っての行程であり、ナビに結構...