朝鏡を見て目が鰯のような目であっても、日拝して「とことのかじり」を数分唱えれば鯛の目デンス。その日拝のいいところのエビデンスとして、山口起業先生の「天照大御神」をご参考下さい。
天照大御神
天照大御神は高天原に神留(かむずま)りまして、天地四方神人物(てんちしほうしんじんぶつ)を主宰し、照臨の神徳至らざる無きの義なり。皇大神(すめおおかみ)は統大神(すべおおかみ)の義なり。宇宙を統べて万神(よろずのかみ)の徳を合あわせ玉うの義なり。
この大神の神徳を仰ぎ敬恭粛(けいきょうしゅく)拝するに必かならずこの大御名(おおみな)を称(とな)うべし。
もしあやまちて諸々の悪念を萌(きざ)さばこの大御名を称うべし。
もし諸々の善念を発っせばこの大御名を称うべし。
もし諸々の幸福を得ればこの大御名を称うべし。
もし諸々の災厄を被ればこの大御名を称うべし。
能く此の如く心に誠に此の大御名を称うるときは、悪念は忽ち消して善志(ぜんし)に移り、善念は愈々張りて行ないを遂げ、幸福は益々大にして子孫に伝え、災厄は変改して福祥となり、終身服庸(ふくよう)して此くの如くなれば命終(みょうじゅう)の後必ず高天原に帰して無量の福祉を受け、その徳九族に延きて共に娯楽蒙ること更に疑いなきところなり。神典を拝読するの実理眞要(じつりしんよう)此の義に達っするを以って第一の深奥とす。
皇大神宮主典山 口 起 業 (明治七年神典採要通解眼目より)
コツは、欲を持たずに、数分で良いから、とにかくやりつづけること。
このエビデンス、実はタイデンスでした。
(海老で鯛とかけただけで、深い意味はありません)