新嘗祭(にいなめのまつり)・勤労感謝の日の起源
新嘗祭は新春の祈年祭と相応する最も重要な意義がある大祭だそうです。
この新嘗祭の御趣旨は、今年の新米で作られる御食(みけ)や御酒(みき)を、天皇陛下御自(おんみづか)ら、天照大御神を初め、天神地祇(てんじんちぎ)に御供進(ごきょうしん)あらせられ、天皇陛下御自らも聞召(きこしめ)し給う御儀です。
「ニヒナヘ」というのは、「新之饗(にひのあへ)」の儀で、「新(にひ)」は新穀(しんこく)の意味。「饗(あへ)は待遇(もてなし)の義です。この「ニヒノアヘ」の「ノア」がつまって「ナ」となり、「ヘ」が「メ」と転じて「ニヒナメ」と言うようになったそうです。(決して何か新しいものをお舐めになるのではありません。)
新嘗祭の起源は、天祖天照大御神が高天原において新嘗祭を営ませ給ったことが日本書紀の神代の巻に載せられています。「古事記では大嘗祭(おおにあへのまつり)とあります」
また、天孫降臨に際しては、天照大御神御自ら齋庭(ゆには)の穂を天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、太玉命(ふとたまのみこと)に授け給い、これを皇孫(すめみま)に御(まか)せ奉(まつ)るべしとの御神勅がありました。そこで皇孫(こうそん)が日向国(ひむかのくに)に天降(あも)りなされて、齋庭(ゆには)の穂を播植(ばんしょく)せられ、その豊熟を待って、高天原におけるように、新穀を齋庭(ゆには)において聞食(きこしめ)されましたというのが、新嘗祭の起源であるとのことです。したがって、この新嘗祭は我が国の建国以来の旧儀であるそうです。
新嘗祭はもともと、旧暦11月の2回目の「卯の日」に行われていました。現在でいうと12月上旬~1月初旬ごろです。1873(明治6)年、新暦に移行するときに11月23日になり、そのまま「新嘗祭」という祝日も生まれました。
戦後は、稲作だけではなく世の中をかたち作るすべての勤労に感謝しようという思いから、「勤労感謝の日」と名前が変わり、現代まで続いています。新嘗祭の日までは新米を食べてはいけないとも言われました。
神様に新穀(初穂)を捧げるより前に、天皇陛下がお食べになる前に、人が食べるのはおそれ多いという考えからです。
勤労感謝の日は現代の国民の祝日の中でもっとも長い伝統を持つ祝日のひとつなのですね。
「新米のくせに」それって、パワハラじゃないの~?
逆にぃ、先輩に対して「古米・古古米のくせに」も逆パワハラじゃないの~?
(サカガミガミノシブノ命)