私は、「誡」になりたい
の「誡」。①「人の悪いところを言葉で注意する」のではなく、②「自分の悪いところを反省する」人になりたい。
なぜ、だめであったのか?
悪いのは、担当者でもない、会社でもない、元の職場の上司でも、同僚でもない、クライアントでもない。今の世の中でもない。
他責のままでは、何も変わらない。他責のままで、他人の生(せい)にしてきた、自分の生(せい)です。
神様のSAYに素直に従わなかった自分の性(せい)です。
「はい!」という素直な心がない、自分の性(せい)です。
大事なことは、自分の問題は、他責にしないで、自責で考え、自責で行動しないと、幸せは訪れません。そして、心の底から変わろうと意識することが大事です。
自分の事ばかり主張しないで、相手の立場に思いを馳せ、相手の言い訳に耳を傾けることです。相手の身になって考えることです。すると、相手が自分を受け入れてくれるのです。
一方の良かった人は、なぜ、よかったのか?
相手の身になって答えたからです。
自分のことより先ずは相手の気持ちを大事に出来ているからです。
「でも、~」「~ですが、」という批判の異心がないからです。
「はい!」という素直に受け入れることが、当たり前に出来ているからです。
私は、このような人になりたいです。