禍は忘れた頃にやってくるという言葉は死語になっちゃったのでしょうか。災禍はたびたびやってくる、だけじゃなくて、居座っちゃて、さらに広がっちゃって。災禍と共存しなけりゃならなくなっちゃってる。なんちゃって~じゃなくて、なっちゃってるぅ~。
科学も医学も進歩しているのに、人の災禍除は防ぐことが出来ません。新型コロナも収まることを知りません。
多額のお金を出しても、信者にも世界にも平和は来ませんから、ここは一発、昔から伝わるお金のかからない「まじない」に頼るしかありませんねぇ。
江戸期の「まじない」に、「浅草の浅草寺山門の金剛神の跨(また)ぐらをくぐると、天然痘(疱瘡)や麻疹が治るという「まじない」があったそうです。(※跨ぐらをクグっても梅毒が治るとは伝わっていません。今は股ぐらを触ることも出来ないように、「まじない除け」の囲いがあります。治った人もいたのだから、記録に残っているんでしょう。)
昔の人の生活は、さぞかし「まじない」だらけと思いきや、富国強兵は「まじない」の呪文にあらず、まじなっちゃちゃぁイカン!というおふれがありました。
時は明治~大正の頃、尋常小学校の修身書(尋常高等小学校第二年級用第六課)に、
「世には種々の迷信あり。幽霊ありといい、天狗ありといい、狐狸の人をたぶらかし、または人に憑くことありというが如き、いずれも信ずるに足らず。また怪しげなる加持祈祷をなし、卜筮御籤(うらないおみくじ)の判断をなすものあれども、たのむに足らず。およそ人は知識をみがき、道理を極め、これによりてことをなすべく、決して迷信に陥る部刈らず。疾病にかかりしとき、医薬によらずして加持祈祷神水等に依頼するが如き、難儀の起こりしとき、道理を弁えずしてみだりに卜筮御籤(うらないおみくじ)によるが如きは、いずれも極めて愚かなることというべし。」ですって。
今風に言えば、「まじなくな~い?マジ無いっす!」でしょう。
そうであっても、天候不順で雷がゴロゴロ鳴ったら、とりあえず、「クワバラクワバラ」って唱えれば、お金も落とさず、雷も落ちることはありません。
昔から、多額の財物を収めて、願いがかなったという人の事例はありません。
赤き・正しき・真心で神仏に接し、結果をありのまま受け入れて、自然・神仏・他人に感謝して来ました。
そうすることで各自が癒されていたのが「まじない」なのかもしれません。