紅葉葉楓(モミジバフウ)。別名アメリカフウ「マンサク科フウ属」の実を拾いました。
1週間ほど机の上に放置していると、茶色くなって穴がいっぱい開いてきて、怖いお顔になってきて、種が吐き出されたような状態になりました。
(ちょっとコウェ~感じ)
この木の実は、祈らずして与えられているのだなぁと思った次第です。
天地の恵は平等にして広大ですね。祈らずして与えられるのですから、人は毎日この天地の恩恵に対し感謝しなければなりませんね。
お箸を取っては先ず食前に感謝。出かけるにも靴に対して感謝です。(一人で食事を作ったりしていると、野菜などの食材をダメにしてしまい、もったいない!ごめんなさい!と言いながら捨てることになります。)
物価も上昇中の中、目に見えない日光や水や空気に対しても、たとえ理論上経済価値は薄くても、人として絶えず有難く感謝しなければなりませんね。
感謝に生きる者は、一日の生をも楽しみ、一椀のご飯にも無限のありがたさを覚えるものだとは、昔から先哲から言われてきた言葉です。
生まれながらにして余りに物が十分であったので、物の勿体なさとか有難さということが分からなくなってしまっているからでしょうか?今や経済は大混乱。その原因は「自身功利本位制」の結果なのでしょう。
本居宣長翁の歌に、「あめつちの神の恵みしなかりせば 一日一夜もあり得てましや」という歌があります。
万物は天地の和合によって化育されているのですから、「感謝報恩制」に切り替えなければ、心穏やかに生きていくことはできませんでしょう。