「人がこの世に生まれ出る瞬間に、神様の御心に添えて魂(「一霊四4魂)を授かっている恵を理解できていれば、神社・神棚において神様へ向かう時、その人は自ずから、まず神様への感謝の気持ちもが高まり、感謝の気持ちが高まれば、命(ソマチッド)の波動も高まるとともに、自然に自我・我欲が無くなり、そうなると様々な願い事は自ずから叶うのでであ~る。」(神様のまにまに、マニ宝珠)
人は切羽詰まると神様仏様、他人様へのお他力本願よろしく、我心で必死にお願いするのが常でありますが、神様仏様人様は、その時ばかりの御願いには見向きもして下さいません。まず、神様への感謝が先に来ないといけません。「引き寄せの法則」や「成功法則」なども、どうしても叶えてくださいという熱烈なる自利には、まず先に、目に見えぬ神への感謝の心がないと、引き寄せられません。
「我ながらあっぱれ」「人ながらでラッキー」から「神ながら」で健康豊かでハッピーへ
「我ながら」は、自分を中心に物事を考え、決定し、実行する事。「人ながら」は他人を中心として考え、且つ行動することで、人の思惑やその行いを標準にすることです。今のこの世は、「我ながら・人ながら」で物事を決定し、それで上手くいけば、「俺様のおかげ」「俺はついている」「ラッキーっ!としがち。逆に上手くいかなければ、他人のせい、運命のせいとして恨みつらみのさもしい人と成り下がる人が多い、いや~な世の中でございます。
一方、「神ながら」で、悠々と自然に健康や豊かや幸せを謳歌している人もおります。 「神隋ら」「神従ら」であり、「な」は成る、また「為」であり、「から」は「「より」。よって、この世の一切は神意より生じたと見るのが「神為がら」であり、神理より成ったとみるのが「神成から」。そして、神理(天理)は神意の現れであるから「一切は神の御心より生れる」ということになります。つまり、自分(我)を中心・本とする心を捨てて神を本とし、神意のままに成らせて頂くという事です。 この「神のまにまに~」というこのゴールデンルールは頭(理屈)では理解できません。
神様の徳、宇宙の真理、法則とは。なぜ人間にだけ神様の御心と四魂が与えられて、この地球上に降ろされて、神の指令使命通りに生きていくのが幸せなのか?という真理は頭で理解することができません。そういう宇宙の真理(宇宙大憲章)が書かれた祝詞(古事記の神代の巻など)を奉唱(声に出して自分の耳に聴く)の行をルーティン(朝に番に)に行うことで、命の波動(ソマチッドのバイブレーション)が高まり、遠い過去に刻み込まれた神心の記憶が蘇り、おのずと各自が必要とする願い事が叶い、この世で、より健康に豊かに幸せになり、あの世に行っても幸せにとなるのが真理であります。 日本人に埋め込まれている、この神の遺伝子を呼び覚まさないといけませんね。