現在居住地域の産土神社
露骨な自利奪他ちゅう国による外圧やら地殻変動などで今、私たち日本人は、一人一家の私事においても、国家全体の公事においても、人力の及ばない非常の難局に逢着しているかの如きです。
そのような時には俄然、神社の存在が鮮明となり、忽ちにして国民生活の中心に君臨するのは神社です!日本人であればそういう時には最後には必ず神社に祈るのでありまして、殆んど一種の遺伝的な本能ともいうべき力強い衝動なのでしょう。神社こそは、私ども日本人の魂の故郷であります。
神社の起源は、日本民族とともに古く、その生命は民族の発展とともに常に伸張しつつありました。「ありました」と記しましたが、近年、神社に関する一般常識も、神社に関する正確な正しい認識を有する者は、政界においても、教育界においても、家庭においても極めて稀であるという現状は、誠に嘆かわしいというか、絶望的な状況です。
しかしながら今や、国体の明徴(明らかに証明すること)とともに、日本の精神の高揚等が、日本の高市政権と日本国民との間にジンワリとではありますが叫ばれつつある折柄、国体の淵源にして日本精神の中核とも云うべき、神社に関する一般的な知識の普及徹底は急務であると思っています。
神社は実に、我々日本人の全体の止むに止まれぬ本能の要求から生み出された、民族魂の表象です。でありますから、我々日本人が神社を拝するのは、自らの魂を拝するのでありましょう。
自らの魂を拝して、その弥栄を祈ると同時に、自らの魂を通じて、祖霊を拝し、天照大御神を拝し、天之御中主神を拝するのです。
(※神拝祝詞は理屈ではありません。まことをもって、自分の魂に呼びかけましょう。)
ですから、神社を拝する事は、日本人の魂を尊崇することであり、神社に祈ることは、日本魂(やまとだましい)を祈ることです。(※家の神棚を拝するのも全く同じです。)
我々日本人が大事にしている、神に通じる「まこと心」「正直」は、自分の利益のために他人の物を奪うのは当たり前という自利奪他人には、全く通じないのに臍を噛む思いですが、「神様は見てござる」で、心を慰めています。