2019年6月17日月曜日

善と悪を超えて

神様には、白い光を放つ方と、薄緑色の光を放つ方がおられます。魔界・霊界の方の光の色とは違った光なので、すぐに区別(善神 悪神)が出来ます。と思っていたら、ある時、

『善も悪も超えて(陽)の光の状態になり、遍く温かい陽光を注ぐ人になれるように目指すが肝要なり』と言われたような感覚になりました。

人が善も悪も超えて光り輝く魂となった時には、道(かんながらの道)は永遠にその所にあるのだそうです。

また、人が善と悪の両方である時には、惟神の道は消えてしまうのだそうです。

善と悪を超えた光、愛、慈悲に、人はならなければならないのでしょう。

かんながら(惟神)とは、神様に全てを任せるということですね。善も悪も超えた境地。如何様なりとの境地でしょう。

「全て神様にお任せです」の境地とは、このことをいうのでしょう。

その善も悪も超えた者(神)に触れるには、各人のお山の頂上へ、私たちが近づいて行くしかありません。

急こう配の坂道を、善 悪 善 悪とペダルを踏むが如く、さらにジグザグ自転車走行している私にとって、ハードな道のりであります。

「あぁ、シンド」ですが、その中に、「あぁ、神道」で、神の道を走破するのは喜びです。

苦しんでいても、ある時急に垂直上昇しますが、有頂天にあると、真下に落とされます。

真横から見ると、それでも少しは上に登れているようです。




ゆすり・たかりの神社詣でのあさましさ。

  (人間の命の元・精の神々様は、自然霊である龍神様です。) 大和民族は古来から、一旦国難や一地域一家の難渋に直面した場合、何はさておいても神明の前に参進して、その都度、事の詳細を奏言することが当たり前でありました。 神明のご加護に甘えようとするよりは、むしろ神様に向かって「ご照...