6日は夕焼け綺麗でした。今朝出勤時(6:10)朝焼けが綺麗でした。
人は自分の視たいものを見て、自分の聞きたいことを聞いていますが、神様を視るといっても、神様そのもののお姿を見るということは非常に少なく、虹で現れたり、きれいな朝焼け・夕焼けであったり、風で顕われたり、時には声であったり、御眷属(フェアリー)の鳥(鳶・鷲・鷹・雷鳥・鶯・雉・セキレイ・メジロ・カラス等々)猿、猪、白鹿、マムシ、木の葉に集まった白露、太陽の白金、星々の瞬きであったりします。
そしてそれらから神意伝承で何を聴かせてもらえるかです。
同じような場面や現象を続けて見させていただいたということは、、何かをくみ取ってくれとの合図なのだと思います。
本当の神々は、『ああしろ!こうしろ!』とは言ってくださいません。普通は現象だけで文字に成っていない「不立文字」を読めということでしょう。
神理とは神様からの贈り物であり、その人の絶対主観ですから、主観転換のできない人達(自然現象、天地万物を神と思えない人達)にとってはこのようなお示しも神理ではないのですから、
自分が感得できた神理の喜び・天地自然の神々への感謝で「い~んです!」
で、大変だな~と感じたら、人知れずにやることをやればぁ、「い~んです!」