絵馬に、「夢をかなえていただきまして、ありがとうございました。」とお礼の文言が書かれてあったのを見て、他人事ではありますが、とてもほっこり嬉しくなりました。
神社参拝において、神々に対して【ユスリ・タカリ】の我欲でもって祈願する方は、願いが成就しても
神様のお陰とも思わず、自分(肉体心)の手柄とし、お礼参りなど心の片隅にもなく、「さて?つぎの願いは何処のパワーのある神社に行こうか?」などと、完全に我利我利亡者神に操られている方が多いのです。
他人から取ったら取られる。他人を利用したら他人から利用される。というのは、相対的な3次元の世界での出来事で、悪念悪結果を生み、善念善果を生むのは3次元の事実であります。
エゴの欲求や認識の歪みや自己価値の喪失(自分の使命の喪失)やあらゆる種類のトラウマが
絶対の世界からのメッセージを途切れさすのです。
現在直面しているどのような問題・トラブルであっても、そこに注視して、それら問題・トラブルに対する自分の現在の態度に注目することによって、より深いところに隠れている解決のヒント(和通円満の方法)が見つかります。
その解決のヒントを与え真の心の変化が起こる場所が、各人の産土神社であり、各自の中にまします神座なのでしょう。
我々は、好きだ嫌いだ、暑い寒い、善か悪か等相対の要素と、様々な対立概念が和通円満している絶対(神)の要素から出来ていますが、元を正せば絶対という素材でできています。
至高の自己の本拠は絶対であるのですが、エゴと無知と悪しき思考・情報で至高の自己が自分であることが見えなくなっているだけなのでしょう。
エゴと無知と悪しき思考・情報を大掃除する=「夢をかなえていただき、ありがとうございました。」というととになるのです。