2021年1月25日月曜日

咲かせたい、ゼンダラケの華

 


物金に対する強欲と自分にとって異質な者・事への増悪は、相手の痛みを思いやることを止めさせ、相手はモノだからどんなひどいことをしてもかまわないと考える「悪魔」を育てます。

江戸時代に幽顕両界を往来した“仙童”寅吉は、人の魂の行方について次のように語っています。
「人の魂は、善にも悪にも凝り固まりますので、固まって消えることなく、中でも悪念が凝結した魂は、消える期(とき)なく、妖魔の群れに入って永く神明の罰を受け、善念が凝結した魂は、神明の恵みを受けて無窮に世を守る神となります。 しかしながら善念は崩れやすく、悪念は崩れ難いものであるため、善念は生涯をかけて固めなければ凝結しません。悪念はわずかの間思ったことでも凝結して消えません。たとえていえば、一分の悪念によって九分の善念も水の泡となってしまいます。善にも悪にも凝結するほどのことがない人の魂は、散じて消えることもあり、同じような魂が相(あい)混じり合い、人にもその他のものにも生まれ出ることがあります。」と。

小さな不平不満であっても日々それを放置していると、妄想なども加わって知らず知らずの内に心の奥で苦悩の塊となり、それが積み重なるとやがて凝結して憎悪や怨念などの悪念となり、遂には黄泉の世界・魔界の鬼や邪霊と繋がって禍・災いの現象の渦中に引き込まれる事になります。

つまり災いは自分の外にあるのではなく、自分が発する悪念が自分の内(心)からじわじわと滲み出し、魔界の住人はその匂いを嗅ぎ取ってその人に取り憑き、悪しき災いや苦しみ現象の中に引きずり込むのです。
だから『何が何でも、善き事を想え!』と云われる所以であります。

特に憎しみの言葉は悲劇をもたらします。
憎しみの言葉は、それを口にする人の憎悪感情をさらに刺激し、より過激な言葉へ、そしてより過激な行動へと駆り立ててしまうのです。

また、暴力的な言葉は邪霊と感応し、破壊・破滅のエネルギーとなって自分も他人も巻き込んでしまいます。

毎朝神棚に向かって『大祓詞』を奏上致しますが、この『大祓詞』の前半部分を奏上すると心中に潜んでいだ悪感情・悪念が溢れ出て来ることを感じる時があります。そして後半部分を奏上することにより、それらの悪感情念が解消されるようでとてもすっきりします。これは言霊の大いなる霊験なのでしょう。

そして、「今日も一日、悪感情・悪念を持ちません。他人の悪口は言いません。清明正直で1日を世の為人の為に尽くさせ給え」と決意します。そして、日拝・・。

が、夜寝る前には毎度の反省。善だらけの華は中々咲かせられません。

12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...