2019年10月のブログに、誠をもって対せねば、近い将来、経済も未曽有のどん底生活を強いられる云々と書いた事を思い出し、今年はさらに大変になるぞとブルっとしました。
以下2019年のブログの記事に最近の事象について思う事を付けたしました。
祈れども しるしなきこそ しるしなれ おのが心の まことならねば という古歌があります。神様を祈って その神秘体験(結果)が無いとガッカリしたとしても、それは、自分の神様に対する誠が足りなかったのだ、と思うべきであります。
明治天皇御製の中に 鬼神(おにがみ)も 泣かするものは 世の中の 人の心の 誠なりけり とあります。
神を拝するには誠の心を以て拝することを山鹿素行は、その名著『中朝事実』の中で、「蓋(けだ)し神と交わるの道は誠にあり。至誠を以て祭祀すれば、即ち鬼神の幽冥(かすかなる)もまた格思(かくし)すべし」と説かれ、「誠とは、素直・親切・腹立てず・自我を忘れて神を拝する姿なり」とあります。
『続日本書記』にも「神明の感、誠にあらざれば通ぜず・精誠(せいせい)神に通ず」などと説かれています。
神拝(しんぱい)の要訣においては、ただただ上記の誠の心を以てするという一言につきるのでしょう。
誠という字の意味は「まごころ・いつわりのない心・本当・真実・あきらかに・つつしむ(敬)」とありますが、
近い将来、我々の生活は我々の住まう「環境も経済においても未曽有のどん底生活を経験させられる」のですが、そのどん底生活を生き延びる秘訣は「誠」にあると直感させられました。
明治天皇様の御製に「行」と題する御歌があります。
「行」
世の中の 人のつかさとなる人の 身の行ひよ ただしからなむ
大意:世の中の人の上に立つ頭と仰がるゝ人は、身の行為が殊に正しくありたいものぞ。
先日波紋を呼んだ与党国会議員たちのクラブ活動。恥ずかしき所業、情けない限りです。
さらに、騙される方が悪いのだとの持論を振りかざし、いけしゃあしゃあとインチキコロナワクチンを売りつける中国人も極悪ならば、中国マネーに骨抜きにされ、国民の命をも平気で売ってしまうかの売国奴達(尖閣もどうぞだってぇ~?)の不埒な悪行三昧はどうしたものか?二階?から落っこちてどうにかなってほしいものだと思うだけでも、わが身が穢れる思いです。
この難局を生き延びるにはどうすればよいのか?
誠の心を以て誠の神を拝し、神の愛と一体となる極意を身に付けておかなければ迫りくるドン底の世の中を生き延び難いと感じます。
「誠我一体」となるには、日々の禊祓いと日拝鎮魂が必須です。
※(両手で「まことちゃん」のグワシッを作り、その両手を絡ませて重ね合わせると、正系の神様を拝する印となります。※この印は昨年6月の研鑽会でお伝えしましたよ~。)
注意1:間違えると仏魔界や修験・天狗界の印になりますのでお気を付けください。
注意2:誰かれと教えてはいけないのでしたね。