「世間様に恥ずかしい」という言葉や「恥を知れ!」いう厳しい叱責の言葉がほとんど聞かれなくなったようです。
「世間様に恥ずかしい」とは、「恥ずかしいと思うようなことはするな」で、そういう事に至らぬための自省・自戒の言葉。
もっと言うと自戒・自省が出来ないことがそもそも「恥」だ!ということですね。
自省・自戒は自らを祓い清める厳しい試練なのです。
旧大日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校(現在は海上自衛隊幹部候補生学校)において用いられた五つの訓戒・五省(ごせい)があります。
一、至誠(しせい)に悖(もとる)勿(なか)りしか〈真心に反する点はなかったか〉
一、言行に恥(はづる)勿(なか)りしか〈言動に恥ずかしい点はなかったか〉
一、氣力に缺(かく)る勿(な)しか〈精神力は十分であったか〉
一、努力に憾(うら)み勿(なか)りしか〈十分に努力したか〉
一、不精(ぶしょう)に亘(わた)る勿(なか)りしか〈最後まで十分に取り組んだか〉
(以前、実家に五省の書かれた湯呑がありました。今は江田島のお土産としてマグカップ書かれています。どこかで歴代の総理の顔が描かれた湯呑はまだ作られているようですが、政治家は五省の湯呑を使うべきですね)
古事記の中には、日本人の感情や思考法や性格などで溢れています。それらは素朴で大らかであり、それでいて慎み深くて他人への思いやりもあるのが当たり前であり、美徳であったと感じます。
日本の神話には打算的な事や自己中心的な自分第一主義的なものや他人に対する憎悪むき出し的な事柄は見当たりません。
我々の祖先のこれらの根本精神に、まず、太陽を神様と崇め、山を神と畏れ祀り、自然物に畏敬の念を抱きながら、先祖を神と崇めつつ、森羅万象の中に自分を同化しているという精神文明の奥深さを感じます。
今の世界の混迷から脱却するためには、我々先祖の思考法を取り戻さなければなりません。
「俯仰天地に愧じず」(ふぎょうてんちにはじず)〕とは孟子の言葉です。意味は、心に一点のやましいところがなく、天にも地にも神明に誓って公明正大であることをいう。
これは日本の倫理観です。自省の言葉としたいものです。