今起こり来ている様々なよくない現象・事象は、人間の考え方、生き方の大変革を求めているかのようです。
スピで言う金運とは、お金の集め方の指南ですが、スピの信者・信奉者が金運に恵まれたということはなく、夢を見ることができて良かったわね、というくらいでしょうか。(※夢を描いて落っこちた人は数知れずですが。)
今起こり来ている惨事、こらから起こりうる大惨事が示すものは、お金の集め方とお金の使い方についての警告でしょう。
金や富というものは、人を喜ばすことによって、その報酬として与えられるもの。人に親切をする事によって入るものなのだそうです。
人をだましたり苦しめたり、人の目をごまかして得た金銀財宝は、自分・家族の健康をはじめ、多くの代償を伴います。
色仕掛けで得た金や財や、仕掛けられた相手の家族を悲しませて得た金や富には、取ったら取られるという単純な法則だけでなく、倍返し何倍返しで清算しなければならないようです。
シナに言わせると、騙す方は悪くない。騙される方が悪いのだという理屈をいうのですが、騙す方が幸せになれる世の中はいつまでも続くことはないようです。
人をだまして相手やその家族を悲しませ罪は、天津罪・国津罪として、今生でもあの世でもお仕置きを受け償わなければなりません。
騙される方もケガレを受けます。欲を出しすぎた落ち度があるからです。今までの行い考え方を反省して、詫びを入れると騙された人の穢れは払われます。
そして、スピや新興宗教の神仏のいうマヤカシの教えではなく、正系の神々の教えに従って、正しく豊かになる道を選ぶのか、これからの運命の分かれ道なんですね。
悪い狐や低級テング・低級龍神を信仰する経営者は結構いるようですが、夢~!まぼろし~!を魅せられた経営者の成れの果ては哀れなものです。
(口はとんがり、目は吊り上が、くだらないことをチャラチャラと。あの世で木に縛り付けられて見世物になっています。着物の袂が破れ、そこから金貨銀貨銅貨が足元に零れ落ちていて、足でかき集めようとしていますが届きません。そこで通りすがりの私にうまい事を言って落ちたお金を拾わせようとチャラチャラとうまいことをあれこれ言ってきます。顔に知り合いの面影はありましたが、狐のような顔をしていました。哀れbでしたが、物金への執着が抜けなければ助けられないとのことでした。 本人の希望はロープが解け自由になるということよりも金銀財宝を握りしめていて本望なのでうから。)