トラブルとは一切の嫌な事。「凶」と言われる事象です。
凶事やトラブルや苦難にみまわれた時、人は誰しも「何とか解決する方法はないか」と祈ります。
この時、人を思いやる暖かい心で祈りを発信したならば、その祈りを受ける側も暖かい気持ちになり、さらに暖かい思いやりの想念を送信すれば清く明るく暖かい陽気に包まれたグループを形成します。
ところが逆に怒りや恨みや憎しみの想念を発信すれば、それを受けた人も当然同じ気持ちになり、怒りや恨みや憎しみのこもったゾッとする想念を送信し、冷たく暗く陰気な雰囲気のグループを形成することになります。
当然、前者の仲間には善きことや幸運が訪れ、後者の仲間たちには争いに巻き込まれる機会が多くなります。(このことは本人が気づいていない場合がほとんどです。)
平田篤胤先生が『霊の真柱(たまのみはしら)』の中で、
「その霊の、猛(たけ)きは猛き徒(とも)どち寄り集ひ、邪(ひが)めるは邪める徒どち群れ集ふものぞ」と記されているように、「類は友を呼ぶ」の法則のことを言われています。
人間の祈る心は万霊万物と交信する発信機。
しかし、その宛先を知らなかったり、送信先を誤ったり、助かればナンデモイイ式のその場しのぎでEnter を押したりすると、知らず知らずのうちに邪霊界に送信してしまい、邪神や妖魔の仲間になってしまうことも十分ありえます。
この祈る心を調節して正しい祈りをすることが、この人生で「幸福」になる上で大事な問題であります。
せっかく正しいところに通信できたとしても、成就を焦ったり、自分勝手に急いだり、正しい事を十分理解できないことに自分勝手に「カチン」ときて、自ら通信を遮断してしまうことで、神様や他人からの協力を得られないということがあります。
自分勝手に判断もすぐカチンとくるのも前世からの癖・匂い、因縁です。
そういう前世からの癖・匂いを改善すると運は当然好転します。
良いオカゲは遅いVS悪いオバケは早い? ちょっとの我慢も必要です。