祓は、素戔嗚尊が、高天原において、天照大御神の神田(かんでん)を荒し、また、神聖(しんせい)な斎場(さいじょう)を穢すなどの天津罪を犯したために、群神会議(ぐんしんかいぎ)の結果科せられた一種の刑罰です。
素戔嗚尊は、その罪の代償として千位(ちくら)の置戸(おきくら)の祓具(はらへつもの)を出し、さらに手足の爪や髭をも抜き取られ、ついには高天原を追放されたのです。
この手足の爪や髭を抜き取るというのは、罪に穢れた身体の一部を除去するためですが、後に身体に苦痛を与える体刑となります。
また、千位(ちくら)置戸(おきくら)の祓具(はらへつもの)を出すという事が、罰金刑の形になりました。
つまりは、祓というのは主として「ツミ」に属する行為に対して、他からこれを祓ってもらう儀式です。
禊というのは主に「穢」に染まった場合に、自らこれを払浄する方法です。神は本来、清きものであり、穢れ無きものですから、これを拝するものは、常に心身の浄潔を保たなければありません。古代は神を拝するときには必ず禊ぎをして身体を浄めなければならない決まりでした。
伊勢神宮に流れる五十鈴川は、その禊ぎ川または祓い川とよばれていますように、今日、各神社に設備されている御手洗の水は、この禊ぎ川の代用で、「手水の呪」の
「かきながす大山本の五十鈴川 八百万代の罪は残らじ」と唱えてから
口を漱ぎ手を洗うのは、太古の禊の名残、古い形の禊の単純化された形です。
(「分かり易い神社の話」中島清光著より)