心の誠から自ずから現れた言葉で、「事」と「理」が融合一致したものを「真言(まこと)」いいます。
これに反し、誠ならざる心から出た言葉を「枉言(まがごと)」「曲言(まがごと)」「凶言(まがごと)」といい、その意味は、真事を枉(ゆが)め、曲げて、凶(あ)しき言葉といいます。
この「枉(まが)」に対して「正(せい)」、「曲(きょく)」に対して「直」と言う言葉が相対します。
誠の心とは、「正しく直(なほ)き心」をいい、一般にこれを「正直(しょうじき)」と言われています。
北畠親房は、「天照大神も唯、正直をのみぞ御心とし給へる。・・・」と述べられているように、神の尊(みこと)は直ちに天地(あめつち)の「真事(まこと)」であり、その「真事(まこと)がの人間に現れたのが「真心(まごころ)」となり、この「真心(まごころ)が、正しく直(なほ)くそのままに、言語や行動に表れた場合、それが「真言(まこと)」となって、能く天地神明に通達することになるのだそうです。
このことをよく言い表した歌に、
「皆人の祈る心のことわりに そむかぬ道を神も受くらむ (藤原爲守)」があり、
神に祈るものは、「真心(まごころ)」より出る「真言」をもって祈らねばならないと教えています。
(「分かり易い神社の話」中島清光著より)