人間はどうしても形あるものにとらわれがちです。ですので、目に見えない存在に感謝するということがなかなかできないのです。そういう意味からすると、仏教のように偶像を通じれば、感謝しやすいということはあります。
仏教が日本に入ってきて、日本では仏像に目に見えない精神、神霊というものを入れ,見て感じられるような仏像に作りあげましたが、神を信じなくなったというわけではなく、全国に8万とある神社には、目には見えませんが神代以来の神様が現役でおられる証拠です。つまり、偶像は、あってもなくてもどちらでもいいのですね。偶像がなくても神様に感謝できる人はそれでいいです。要は、いかに神様仏様に通じることが出来るかが問題なのです。
お墓や仏壇も同じで、「お墓なんかにいません~、」でお墓や仏壇はご先祖様方のためにあるのではなく、生きている子孫の爲にあるような気がします。といっても、ご先祖様をお墓や仏壇に呼びつけて、自分勝手なお願いごとをしている人が大勢いることは、、ご先祖様にとっては、誠に迷惑なことです。
神仏にも、ご先祖様にも、差し上げるのは感謝だけです。願い事なんかしなくても、家庭が崩壊するほどの献金なんかしなくても、幸せになれます。
豊かで幸せになれるのは、本当の信仰だけです。