神社の建築が古代の姿をとどめ、大祓詞が古文の形を取り、神職が古代の服装を用いる理由は、神霊に最も近接するものであるからでしょう。古代の制度や古式に従うことは、神霊は不変で恒常であるとの神理の現れです。だから我々参拝する者の神前での立ち居振る舞い、所作は古代からの所作に乗っ取ったものでなければ、神様に通じません。
神社拝詞
掛けまくも畏き 〇〇神社の大前を拝(をろが)み奉りて 恐み恐みも白(まを)さく
大神等(おほかみたち)の廣(ひろ)き厚き御恵(みめぐみ)辱(かたじけな)み奉り
高き尊き神教(みおしえ)のまにまに 誠の道に違ふことなく 負うひ持つ業(わざ)に
励ましめ給ひ 家門(いえかど)高く身健(みすこやか)に 世のため人のために盡(つ
く)さしめ給へと 恐み恐みも白(まを)す
神ながらの道は、祈願ではありません。神様から頂いた使命(これを命・ミコトという)を
誠の道に違わずに、果たします!との決意表明です。
神様は何事も「お見通し」ならばこそですね。