我々は宇宙の絶対という素材で創られているので、我々の本性は元々絶対であるのですが、この地上で本性である絶対を維持するためには肉体があるため、感情や無知や欲が働いて、不自由な生活を強いられるのですね。
すべての結果もすべては己に原因があるので、そこから悟れ、そこから気付いて悔い詫びる必要があるのです。
祈りとは:祈りは本来、神から人への神の心の表れでありますので、人から神への祈りは常に、神への感謝、それのみであるのです。
全てを委ねる神への帰依の気持ちを素直に表す。それが祈りでしょう。
「願う」必要などありませんね。