天照大御神が直日神として、一切の悪を同化包容される最高の神となられたのは、皇祖の深い信仰と高い御性格を通してなされたと伝えられています。
つまり、皇祖天照大御神の主観的人格面が直日の精神をもって生活せられたからで、スサノヲのあらゆる暴虐を咎めず、逆に寛容され、善意に解してスサノヲの心境を美化し浄化されたと伝得られています。これを、「のり直し」と名付けられています。つまり、天照大御神の「のり直し」の徳によりスサノオの暴虐を寛容されたのです。
それでもスサノヲの暴虐に対して、天の岩戸に隠れになった理由は、スサノヲを咎め給わず自ら退いて、自ら反省の生活に入り給わられたのです。他を咎め給わず、退いて自ら反省の生活に入り給うとのです。
他を咎めないということは、罪悪を自己に対立するものとは見ずに、自己の責任とする概念です。自他を同視する観念、他の悪を我に包容同化する精神の現れです。
昭憲皇太后(明治22年)の御歌
寄国祝 『橿原に宮居ましけむ昔より 日嗣(ひつぎ)かはらむ国はこのくに』
口語訳:この日本の国は神武天皇が橿原の宮で即位された昔から、万世一系の天皇の御位を継承して変わることのない国です(明治神宮365日の大御心 PARCO出版より)
天照大御神の、他を咎めず、自他を同視する観念も継承されておられる天子さまの元に住まうことが出来る我々日本人は、幸せです。