(五百羅漢さん。「ひろしです」?)
『神様~、私の願いを叶えてくれましたら、後日お賽銭を奮発させていただきます。』という方はとても多いようです。で、本当に自分の希望通りとなると、希望が叶ったのは、ラッキーだとか、自分の努力のおかげであると自分のせいにして、神頼みしたことも忘れてしまいます。
お賽銭も、ケチっていつもは100円玉のところ、500円玉と神さんを騙(玉)して放り投げていますから、願いが叶っても、お礼参りでお賽銭を奮発する人は本当に少ないようです。
人間社会でも、人にものを頼むときは、まず先に、お願いすることのお礼するのが当たり前。希望が叶えられたら当然のごと、感謝の謝礼を奮発するのがのが常識です。人間でも先に感謝されたら何とかしてあげたいというのが人情です。
物事がうまくいかない、体の調子が悪いの原因は、自分の心の誇(ほこ)り、身の誇(ほこり)り。私を誰よりも偉い、賢い、私一人が正しいのだ、うまくいったのは私のせいだ。などと誇る気持ちになったと時、神様の救いの網から漏れ落ちて、心も身も破滅するのだそうです。
「祓い給え、清め給え」の神語(しんご)は、自分の希望や成就を邪魔する火の粉を祓ってください、ではありません。
神前では、まずは心の誇り、身の埃を懺悔します。自分の心の誇り、自分の身の埃を「祓い給え、清め給え」と懺悔します。お賽銭は、懺悔で祓い清められるお礼です。願いが叶えられたら感謝のお礼参りをして、賽銭を奮発します。
「願いを叶えてくれたらお礼します」などのユスリ・タカリの御利益信仰はもう通用しません。ユスリ・タカリは悪魔の世界です。
神社でも、風に急に吹かれたり、木々が急にザワッとなったり、紙垂がクルクルと風に舞ったり、雲間から太陽の光が急に差し込んだりは、神様からのご返事です。とても嬉しい気持ちになります。神様への感謝の気持ちのお返しです。後利益ですね。