先の日曜日、通勤用にと買い求めた中古のスーパーカブ110の試運転をしました。30数年ぶりの仮免ライダーです。しばらく走るとふらつきも無くなりカーブでの体重移動もスムーズ?。快調に風を感じ、小雨も何のその。しばらく走って、「ライダ~ぁ、到(トウっ)っ」で、清水の里に到~着。
冷やし中華を注文し食堂のテーブルに腰掛け、バイクの振動で興奮気味の体を落ち着かせていると、向かいのテーブルでは神社や神官の話をしている長老がいました。今度は心が振動してきた私は、常連とおぼしきウラ老いた女性に紹介していただき、長老のお話を承ることができました。
冷やし中華がテーブルに置かれましたが、長老(聞けば95歳でまだ現役の会社経営者であるそうな)の課外授業は、神社や息子様の神官の事、将来の日本の経済・政治・日本の食料の事、先祖から引き継がれたところの家庭教育の大事な事、良い伴侶に巡り合う事が大事である事、正しい思想で生きる大事さの課外授業に、私は志新たに、「まだまだ頑張らねばならない!」と痛感させられました。
長老のお話は心にしみて尽きることがありませんでしたので、注文した冷やし中華に箸はつけられずにおりました。
冷やし中華がテーブルに届かれた時から、便所蜂が冷やし中華の周りをブンブンするのを手で追い払いう仕草も、心が豊かになった現れでしょうか?穏やかでリズミカルなものとなっていました。(電撃ラケットを持っていればと後悔もした)
以前、先師は、祝詞は神様からハッキリと強く宣(の)られ示されるお言葉であるので、「神の言葉を聞き、神の御心に神習(かんなら)おうとすることが大切である」と、何度となく教授してもらいました。理屈で理解出来ないことです。それは、神様から下されるお言葉を大切に守り、それを広く、強く言うことが祝詞であると教えられました。
昨日、長老の課外授業を受けて、日本の正しい思想で生きた人の言葉を聞き、その人のまこと心に人習(なら)うことの大切さを学びました。(ト~ォ!)