病名や病気の進行状態を知りたいという好奇心は、病気や悪い状態を恐れるという恐怖心につながります。病気の大半は、不安と心配と恐怖の産物といえます。そして、不安と心配と恐怖は、自分なりの中途半端な知識から生まれます。医学的な知識であっても、中途半端な自分なりの知識であっても、知識は治癒のほんの少しの部分です。信ずる力は全体です。信ずれば重くなり、軽んずれば軽くなります。「神のまにまに、在るべくして、在らしめたまへ~」は神様への絶対的な信です。病気に対して自分の寸足らずの知識で、こうなったらどうしよう、ああなったら大変だと自分勝手なご都合主義や心配事の雑念や妄想が、心配した通りの状況を実現化させます。神様せいでも誰のせいでもありません。すべて自分のせいとなります。生命に関して、自分勝手のご都合主義で自然に反したアクションを起こしたりしたり選択したりすると、生命はもがき苦しむこととなrます。「天の数歌(区切り方が重要)」を無心になって唱えたり、自然(=神様)に対する本当のお任せの言葉、「神のまにまに在るべくして在らしめ給え」を無心になって唱え、自分の頭を空っぽにすることが必須です。悪は自分の先入観念です。頭に頼らず、目に悪ものを見ず、耳に悪声を聞かず、究極は無意識にならなければ、物事は成就しないのだそうです。
注意すべきは、薄暗い部屋での瞑想や、激しい修行じみた行為は、自己中、自己満足で、決して無意識状態になることができません。かえって魔縁につながることになります。日拝で呑吐の呼吸を極めましょう。