万葉集の中に「葦原(あしはら)の水穂の国は、神随(かみなが)ら言挙(ことあ)げせぬ国」という、柿ノ本人麿(かきのもとひとまろ)の有名な歌があります。この「言挙(ことあ)げ」というのは、人間の考えた理屈という意味です。
また万葉集の中の、大伴家持(おほともやかもち)の有名な歌に、「神代より、言い継ぎけらぐ、父母を、見れば尊く、妻子(めこ)見れば、かなしくめぐし、うつせみの、世のことわりと、かくさまに、言ひけるものを、云々」の様に、
親は子供をめぐし、可愛いと思うのは、決して理屈で、「このように信じる」に至ったわけではなく、止むにやまれぬ人情が自然に出てくる与えられた事実です。これを、人間の本能であるとか、利己心の一変形であるとか言うことが人間の理屈ですね。
我々日本人の民族性は世界の中で稀な「事実を貴び理屈を主としない」ということが本来の特徴です。
この「あるがままに信ずる」という純真な素直な心が「神随ら言挙げせぬ」ことになるのです。
理屈・屁理屈で、損得勘定むき出しが当たり前のような世の中ですが、「言挙げせず、素直正直で、他人を思いやることのできる人間になりた~い」と願う人が多くなると、いい世の中になるのでしょう。か?