人は平常心でいるときは、自分の体内の神棚には神様・先祖様から頂いた魂魄と一体となっておりますから、何も異常はありません。ところが、何か心に深~い悩みをもったり、仕事や人間関係で苦しんだりすると、心と体が不統一となり、自分の中の次元の異なる体(幽体や精神体といわれるもの)が自分の肉体から離れて、他人に寄りかかって救いを求めたり、他人に恨みをはらそうとすることを、他人に憑依する(生霊)と言います。
人からあらぬ恨みを買ったり、やっかみを受けたりして、肩甲骨や腰が痛くなったりするのも、一種の他人の生霊が憑依している場合が多いです。この場合自分に非がなければ、簡単な祓いで痛みを取ってあげることができます。しかし、他人を苦しめてその報いを受けている場合は、本人の反省懺悔があればよいのですが、そうでなければ救いようがありません。(祓ってあげることができません。)
これらは生きている人の霊の場合ですが、死んだ人の霊にも同じこようなことが起きます。人間は死ということによって、肉体は活力を失い腐敗分解して元の元素に戻りますが、人間の本体をなしている神様から頂いた霊は滅することなく永遠に生き続けるのです。そこで考え違い思い違いがあったり、他人を苦しめたり、動物を虐待したり、神様に不敬を働いたりしても反省のない霊が、生きている時の様々な因縁によって、生きている人に依りかかることが多々あります。これは、生きている人の想念と合致(憑依)するからです。
いずれにしても霊の憑依が起こると、身体や精神に色々な障害が起こって、これが肉体的、精神的な病気になっている人が非常に多くいるのだと感じます。
例え世の人の心が乱れていても、今の世の中の風潮に流されず、自分は「まこと」を貫くぞ!と決意して、それを実践していれば、憑依はされません。
もし、人の道に外れた考えを持ったり、人を傷つけるような行動や言動があったと察すれば、すぐさま反省、懺悔して正しい考え生き方に修正すればよいのです。
※「どうぞ私の異心を祓い清めてくださいませ!」と、いつも祈っている私です。