井伊谷宮(いいのやぐう)静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷1991-1
ご由緒は、明治5年に明治天皇の思し召しにより御鎮座、翌6年には静岡県内でも数少ない官弊社(井伊谷宮は官弊中社)に列せられ創建当時は県内2番目の格式高い神社です。(後に三嶋大社、富士山本宮浅間大社に次ぐ県内3番目となる。) 以来昭和5年には、昭和天皇が御親拝になり、続く昭和58年には、平成の天皇皇后両陛下が皇太子妃時代にご参拝される等、皇室とも大変関係深い神社であります。新しく建立された真っ白な鳥居の上には皇室の菊のご紋章があります。
御祭神は後醍醐天皇第四王子の「宗良親王」(むねながしんのう)です。今より約650余年前、朝廷が二つに分かれた南北朝時代に一品中務卿征東将軍(いっぽんなかつかさきょうせいとうしょうぐん)として、この地を本拠に50余年の間、吉野朝(南朝)のためにご活躍になられました。
偽りの言の葉にのみききなれて 人のまことぞなき世なりける
南北朝時代の最も優れた歌人といわれる宗良親王のお歌です。 後醍醐天皇の皇子として生まれ、征東将軍として足利尊氏の北朝との戦いに身をおく運命となり、十分な兵力もなく、味方の裏切りなどで各地を流転しつづけた宗良親王。「この世の中は偽りの言葉だらけ、人の誠はどこにいってしまったのか!」と、苦しく哀しい心境のお歌です。であるにもかかわらず、
君が代を絶えせず照らせ五十鈴川 われは水屑と沈み果つとも
と君への忠義しつくす、敷島のやまと心に心打たれます。
神皇正統記には、「乱世の始めは、言葉の乱れ」とあります。
「口唇の穢れ」多き今の世は、まさに乱世でしょう。この乱世を良き世にできるのは、しきしまの道の日本の精神・道徳であると確信し、遅ればせながら、「カムナガラの道のシキシマの道」を再研鑽しようと決意を新たに、「再学びはじめ」を祈(ねぎ)申してまいりました。
※しきしまの道は、智者の観念や学者先生の教理哲学ではなく、自然=カムナガラであり、自然にあるという反省を現わしています。
やまと言葉(国語)を守って、俗語を正すことは、やまと民族存続の信念であります。それがやがて世界の国々の存続となるのであ~ると確信しています。