1371年、第55代後醍醐天皇の皇子無文元選禅師によって開創された全寺、深奥山方広萬寿禅寺と称する大本山方広寺。家から徒歩5~6分、半僧坊大祭の日に、半僧坊奥の院へ参拝してきました。
門前通り各家の軒先には、御祭禮の提灯が掲げられています。 新参者の私の家には声もかかりませんが。
お寺の門をくぐり左手通路に進むと、奥山大権現と掲げられた大きな鳥居をくぐり
左手、椎河竜王(女性の神様)をお祭りする祠にご挨拶します。
登坂平地の左手に、七尊堂(富士浅間大菩薩・春日大明神・伊勢大神宮・稲荷大明神・八幡大菩薩・梅宮大明神・北野天満自在天神の七尊を祀ると)にご挨拶。しかし神様方を仏教名をつけるとは、仏教は神道を下に見るのですねぇ(#^ω^)
登坂のテッペン正面に奥山半僧坊大権現の半僧坊真殿があります。
半僧坊真殿で、本日のお祭りのお喜びを申し上げます。
お祭りの時には、ここで大般若経を坊さん達が、神様も耳を塞いでしまわんばかりの 迫力のある任侠の人のような大きなしわがれ声で、大般若経が唱えられます。
私は、真殿の中に書かれている真言「オンナンノウチリチリソワカ」も唱えてみますが、 やはり神様に届くであろうノットを唱え、半僧坊様の御開運と弥栄をお祈りしました。
半僧坊真殿奥より、徒歩15分登ったところに、半僧坊奥の院があります。 鳥居があり、中の誂えは仏教ぽいですが、半僧坊様は神様です。 そのご神体は「鼻高天狗」と言われております。その由縁は、
京都の仏師が半僧坊の霊像を作ろうとした時、枕元に一人の老翁が現れ、 半僧坊の姿は身の丈八尺、面相あくまで赤く、高鼻乱髪、木杖を携え、 その姿あたかも猿田彦そのままであるとのお告げに基づいて造られたそうです。
(そうです、何を隠そうバビロニアから海を渡ってやってきた猿田彦大神直系の 天孫降臨族の一柱、と私は感じるのです。そう信じるのは私一人でしょうか?)
だってぇ、奥の院でお聞きしたら、「そうだ!」っておっしゃった気がしたんだも~ん。
半僧坊大祭の前日、我が畑(っても小さい)収穫祭を、一人粛々と執り行いました。 里芋は未熟で全滅。サツマイモも写真がすべて。掘り起こし3時間ほど天日干ししてから、一つ一つ新聞紙に包み、風通しの良い場所に保管して熟成。 神饌してから12月頃におすそ分け。 焼き芋にして食しますさせます。おいしく出来たかどうかわ、私の味覚次第です。