2025年10月13日月曜日

高市新総裁の偉大なる日本国家の建設に翼賛する

 

縊死罵(いしば)氏の汚辱なる空気と絶望は、人心をも殺すものでありました。     石罵(いしば)が気兼ねなく食べたかった念願のラーメン。それを報道するマスゴミにも呆れますが、日本人の生き血をすする石罵(いしば)は、シナチク(China竹)たっぷりラーメンをまだすする気でしょうか?

今、我々真の日本人にも光明が差し込まれつつあります。高市新総裁の偉大なる日本国家の建設に関しての想いは、さらにこれから多く吐露され、実現されてゆくでしょうが、その想いと決意は、我々日本人に明るい希望と幸福感を与えてくれます。

以下、日本人としての精神的基盤・羅針盤となる、徳富蘇峰翁の言葉です。

「偉大なる国家を建設せんと欲せば、先ず国民の心に一の希望の念を扶植(ふしょく)せよ。人その幸福なるを自覚せば、元気淋漓(げんきりんり)、山をも排(おしひら)く可(べ)く、海をも掀(かか)ぐ可(べし)し」                      

「幸福の念を来すもの一に曰く、天を信ず。二に曰く、職分を盡す。三に曰く、命に安んず。」                                     

「幸福とは、心理的の認識なり。自ら幸福なりと思うは、則ち大なる幸福なり。」                        

「日本(高市氏)には、国家ありて個人無し。支那(石罵氏)には個人ありて国家なし」 (※高市氏・石罵氏とは書かれていません。が)                                     

「日本人は人として武士ならざるはなく、支那人は人として商売根性なきなし」

「日本人は名を愛しみ、支那人は利を愛しむ」                                

「吾人は愛国心はこれを国史に求め、国史はこれを皇室に求め、皇室を中心として、大和民族の活動、発達、膨張に求むるの、根本的見解を把持せざる可からず。」と、日本人としての在り方を述べられています。蘇翁言志録】より(昭和11年12月25日初刊)                                

明治天皇御製 「道」(M.36

ちはやぶる神のひらきし道をまた ひらくは人の力なりけり

口語訳:(M.36皇祖の神々がお開きになった道の大本を、さらにまた豊かに開いてゆくのは、人の力である。

この深淵なる大宇宙の中に我々人間をお創り下さったのは、大神様・サムシンググレート様であるということが真解できるようになると、我々は、為すために出で来たりたるものにして,為さざるために出で来りたるものにはあらず、ということが理解できるようになっていくのでしょう。

為すとは、親のため、家族のため、社会のため、国のため、地球に住まう人の幸福のために為すということです。

私も「ボケナス」と言われないように、精進してまいりたいと想い為(ま)す。

高市新総裁の偉大なる日本国家の建設に翼賛する

  縊死罵(いしば)氏の汚辱なる空気と絶望は、人心をも殺すものでありました。     石 罵(いしば)が気兼ねなく食べたかった念願のラーメン。それを報道するマスゴミにも呆れますが、日本人の生き血をすする石 罵(いしば)は、 シナチク(China竹)たっぷりラーメンをまだすする気で...