2021年5月25日火曜日

病は自分のせいなのだから

 

コロナに感染して呼吸困難に陥った人を遠隔で観ると、肺そのものも委縮していますが、胸郭(胸椎・肋骨・胸骨)の可動域が無くなり、肺を包んでいる膜とが肺との間の潤滑液が無くなって、肺と膜が癒着しているのを観ます。

この現象はコロナに限らず、普通の肺の炎症にも、喘息の人にも見られます。

『人との意見の対立や、人の意見を素直になって受け入れるということを拒むという、自然の摂理に逆らうとにより起こる』と教えられました。

緊急治療で胸郭を緩め、肺と肺の幕の間の石灰化し密着したところに再び液を通してあげるとと呼吸がスムースにできるようになります。さらに本人の頑固さが無くなり、本人が好んで朝日の爽やかな空気を肺に取り入れるようにと意識し努力すると、順調な呼吸が復活し持続します。

ギリシャの名医ヒポクラテスは「それは患者の苦しみを和らげている時によく現れた。病んでいるところに手を当てると、あたかもその手に不思議な力が宿り、それが痛みやさまざまな不純物を引きずり出し、剝がしとっているかのようであった。」と述懐しています。

あるドクターは、「病気を医するのは自然である」と達観されていますが、ヒポクラテスの治療も、あるドクターの感じるところも、人間が病を治すのではなく、目に見えぬ自然のエネルギーそのものがある意思をもって直すのではないかと感じるのです。

われわれ人間は、この自然という天地間の一物である以上、天地自然の法則に背くことはできないのは当然の理です。

その天地間の万物は、皆、規則正しく順序・秩序なる真面目な活動を連綿と繰り返しているのだから、人間も規律正しく順序良く真面目に活動することが、天地自然の大いなる法律であり、大憲法であり神理、天津祝詞の太祝詞諄です。

しかし、自然の法律・法則に背き、不規律や不秩序で不真面目であれば、天地万物に対する反逆者であり神理・真理の破壊者です。

そのような人には制裁が加えられるのは当然の報いです。(制裁とは、貧困・病気・他人に疎まれ孤独・早死・事故災害)人間も規律のある真面目な生活をするのが人生の本質です。

善なる習慣、悪なる習慣が人間一生の浮き沈みの分かれるところと言われています。

「意識を変えよ!」とは、「悪習慣・悪癖を直せ!」ということです。神我一体・自然合一・宇宙意識との合一の境地です。

ある神様も、『病気や不運は本人の悪想念によって生ずる。自分のやった行為・しゃべった言葉・何を思ったかで、病気になったり、健康になったり、運や不運もやってくる』 『特に、人の事を顧みず 、自己中心的に物事を捉えたり考えたりするわがままな性格や習い性が病気や不運の原因である。』 『病気を治すことや不運を改善することは、本当から言うと本人以外にはできないのだよ。本人が生き方や考え方を直さぬ限り方法はな~い。』とお教えくださいました。

天から授かった寿命を生命力といいます。その生命力を縮める心は、怒り・憂い・悲しみの心なのだそうです。特に、猜疑心など悪心を起こさない様に自分の心をよく注意をして、悪霊たちの襲い来る動機を作らないように、日々心掛けることです。

祓い清めの旅っ。おやおやかんたまさん、どうしましたか?

  日向山神社(ひなたやまじんじゃ)です。ご祭神は、大己貴命/大穴牟遅神(おおなむち) [別名]大国主命とありますが、元々は水の神様と日の大神さまが祀られていて、古代の神祀りの色が残っています。 3 月2日の遠方出張治療の後、日向山神社に偶然にご挨拶いたしました。。       ...