2025年10月28日火曜日

明治神宮・靖国神社参拝は、パワースポット巡りではありませんのことよ!

 明治神宮のパワースポットはどの辺ですか?靖国神社にもパワースポットはありますか?っちゅう質問がありました。

バッカも~ん!現世利益頼みの「おかげ信仰」ではないのだよ、神社は。「だっちゅ~の」(古語)

感謝です、感謝。親兄弟朋友、地域の人々~日本の国に住まう人々~日本国の平和、更に他の人の国の人々の平和を願い、幸せにと祈るのです。簡単に言うと、皆が豊かで幸せでありますように。と祈れば、必然的に自分の心の安寧が得られるのではないでしょうか。


明治神宮では「祓いの言葉」から、「明治神宮参拝祝詞」を心静かに感謝をしながら唱えたらよいでしょう。

「祓詞」

掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原

御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等

諸々の禍事罪穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし召せと

恐み恐みも白す

神宮参拝祝詞」

掛けまくも畏き 明治神宮の大前に 恐み恐みも白さく

大神等の広き厚き御恵を辱み奉り  高き尊き神教(かみのをしえ)の随に 

天皇(すめらみこと)を仰ぎ奉り 

直き正しき真心以ちて  誠の道に違ふことなく  負ひ持つ業に励ましめ給ひ

 家門高く身健に 世のため人のために尽さしめ給へと  恐み恐みも白す

そして、「今の私に必要なお言葉を下さいませ!」と祈念して御神籤を引い

て下さい。

明治天皇の御製か昭憲皇太后の御歌どちらかに自分にとっての必要なお歌が

示されます。※ここの御神籤は吉凶を占うものではなく、人倫道徳の指針と

してお示し下さるものです。さらに、大御心のお歌によって、自らに反省を

促し、大御心の御言葉を声に出し読み上げることにより、身禊(耳禊ぎ)で

自らが招いた罪穢れが払われます。さらに、

※明治神宮神界に向かいては、日本国の弥栄を、高市総理大臣の御守護を祈願するとともに、日本国民の安寧を祈願いたします。

そしたのち、明治神宮での神聖な雰囲気を常にいただきたいと思われる方

は、社務所にて、開運木鈴(もくりん)ややわらぎの鈴などはいかがでしょ

うか?

私は今回は蛇腹(教育勅語と五箇条の御誓文、明治天皇御製、昭憲皇太后御

歌、一日一首を蛇腹形式にまとめたもの)を求めようと思案しています。

「365日の大御心」(パルコ出版)もおすすめです。これらは、御製・御歌を奉唱することによって、誠心を養うことができます。

      

靖国神社で奉唱する祝詞はありません。私は靖国神社拝殿において、明治天皇御製と昭憲皇太后の御歌を奉唱し、どうぞ英霊の皆様がた、末永く日の若宮でご安寧くだされませと祈念いたします。

 明治天皇御製

我が国のためをつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき

国のために命を捨てし武士(もののふ)の魂や鏡にいまうつるらむ

 昭憲皇太后御歌

神がきに涙たむけてをがむらしかへるをまちし親も妻子も

  このお歌を唱えますと、自分のふがいなさも相まって、涙がちょ~ちょちょぎれます。

靖国神社の社務所では、日章旗のピンバッジを求められたらいいでしょう。それを胸につけておりますと、「右翼?」と言われることがあるかもしれませんが、さりげなく堂々としておれば、左派の人たちやシナ人からの攻撃は無いと断言はできませんが、危うき場所には立ち入らないのがケンメリです。賢明です。

以上の事を踏まえられましたら、11月1日、明治神宮、靖国神社で会いましょう!

2025年10月27日月曜日

明治神宮・靖国神社で会いましょう。(&かんくり11月の予定)

 

(高市早苗ブルーと日の大神様)

高市政権が発足して間もないのですが、心ある国民は、日本の明るい未来を期待できつつあります。有難いことです。さらに近い将来、豊かで大きく強い日本国の復活に希望が持てるようになりました。
しかしながら、高市政権に反感を持つ輩の攻撃は日に日に激化し、見るにも聞くも堪えない攻撃言動の嵐が吹き荒れております。そのようなマイナス魔界のエネルギーの攻撃を払拭排斥しなければなりません。
そのためには明るく直き誠を以て、正しい経済の知識、正しい国防の知識、正しい日本人としての生き方、考え方、あり方を、真剣に取り戻さなければなりません。
三橋先生、藤井先生、どうぞご指導くださいませ。お頼み申上げます!

というわけで、11月1日(土)は明治神宮に参拝し、日本国の発展と安寧を祈願しに行ってまいります。特に明治神宮の上空10Kmの処には、日本国発展のために尽くされた方々が護国の神々となられ明治神宮神界に坐しましておられます。その明治神宮神界におはします神々に、高市早苗総理大臣の御守護とご加護を祈念しに行ってまいります。

また明治神宮参拝の後、靖国神社に参拝。お祭りされている英霊様がたに感謝と、日本の国の為に命をお捧げ下さったのにもかかわらず、日本国はこんなになってしまいましたごめんなさいと、懺悔反省してまいる予定です。

で、心ある日本人の方々、「明治神宮・靖国神社で会いましょう!」
(めっけたら、声をかけてね。)※10時~13時の間に行ってます。

ー かんたまCL. 11月の予定 ー

  11月    1日 ()  「明治神宮参拝」・祈願 → 「靖国神社参拝」・祈願

  11月    2日 ()  明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 研鑽

  11月    3日 ()  天長節・明治節・文化の日 (明治天皇の御誕生日)

  11月    8日 ()  終日療治(予約)

  11月 9日 ()  終日療治(予約)

  11月15日 ()  終日療治

  11月16日()  療治(予約)及び祝詞研鑽・御製研修

  11月22日()  終日療治 

  11月23日()  療治及び祝詞研鑽・御製研修

  11月24日()  療治及び祝詞研鑽・御製研修

  11月29日()  埼玉出張(氷川神社参拝)

  11月30日()  休館日

2025年10月21日火曜日

㊗ 高市新首相!


 邦文の「武士道」新渡戸稲造著 経営科学出版(近藤晴郷 訳 藤井聡 解説)を祈るような気持ちで読み返しておりました。高市新総理大臣、まことにおめでとうございます!至誠通天(至誠通神)、何よりです。

世の政治家の中で、武士道精神を感じるのは高市早苗さん筆頭であります。組閣はやむを得ないところの人事ではありますが、高市新首相の元、心ある賛同者や日本民族の想いと心ある支援協力の下、心ひとつに力を合わせて国難を乗り切ってまいりましょう。

早速、日本の国の事なんぞ何とも思っておらず、自分の経済の事にしか頭にない様々な有識者や御意見番と言われている国賊、シナっているメディアやジャーナリスト達の高市新首相への攻撃、悪口雑言が激化しだしました。

TV離れは善い傾向ですが、YouTubeサーフィンしていても、左巻きの国賊の僕(しもべ)に洗脳されますので、これからもご注意ください。【ヒロポン、保利エ悶、タハラ糞爺、他裂き(ソウカの手先)、その他いろいろいっぱいます非日本国民は。

日本人としての正しき良識は、自ら鍛えておかないと、あっという間に左寄りのアンポンタンになってしまいますので要注意。

例のノットを奉唱する前にやるべきことがあります。それは、自らを省みて、自らを反省することです。自分の生き方性格を宇宙の理と一体化させるのです。理屈や頭でなく、日本人としてのDNAを目覚めさせるのです。それが例のノット奉唱です。途切れていても大丈夫です。やり直しが効きますからね。(大丈夫、大丈夫、のび太君、のび子さん!どこでもドアで宇宙の真理の部屋に直行です。)

2025年10月15日水曜日

国賊を打ちてし止まん!と独り言

 


国賊を打ちてし止まん!と思うのです。(意味は国賊を打ち倒すまでやめないぞ!という意味です。)

日本の国の為に、日本の国民の為に、政治家として何をしなければならないかが判らない。そして何もしない、さらに、何もできないことを正当化する理由として、希望的観測を探し回って、シナの言いなりになって、日本国民を騙してウソを正当化する。挙句の果ては、自分の利権欲しさに総理に返り咲こうとしている国賊。及び利権を同じくする国賊どものいう事には、開いた口がふさがらないです。(足元に棒っ切れが落ちていて、目の前に国賊が現れたら、その棒っ切れぶん回して、ドタマ勝ち割って、ストローで脳ミソチューチュー吸うたろかぁ、われぇ!くらいの気持ち。・・・あ~怖かったぁ。)
彼らが醸し出す汚辱なる空気と絶望は、我ら人心を殺すほど極悪であります。
アッそうかガッカリも一部上層部個人の利権第一。政権に依頼するアッそうかガッカリ宗教にも腐敗臭がします。どちらが先に腐敗したのかわからないけれど、もともと日本にやって来て、金貸しからスタートの臭教です。離脱しても腐敗臭は残ります。もともと生粋の日本民族でないから、いしばぁが総理に返り咲いて、アッそうかガッカリが元に戻って来ても日本の政治は余計に良くはなりませんのこと、必須です。
「数を揃え、でも暗し(デモクラシー)」です。
デモクラシーの一つの大なる危険は、数に重きを措きすぎることであると言えます。
(シカ愛)→郷土愛→家族愛→国家愛とを繋ぐ、大切なる連鎖を感じる高市自民党は少数ではありますが、我々日本国民への愛へえと繋げてくれると信じます。
以上、過激な独り言です。

オデコに手を、オデコに光を!


我々人間は、未発の憂患を予想してしまって、愚かにも自ら苦悶し、過去の出来事を悔恨して愚かにも自ら煩悩しがちです。これら二つことは精神的解脱の大敵ですので、自力で防がねばなりません。その精神的解脱の基本は、意育にあります。意育とは意志を自ら養育することです。

未だ起こり来たらぬ事象に苦悶、悔恨する時は、深く長い息を心がけ、オデコに手を当てて、太陽光線が我が手の掌より流れ入ると思念しましょう。

オデコの奥にある偏桃体には、自らが刻み付けた恐怖や心配の記憶というのがあります。実際に悪いことが起こり来たったと感じてしまう恐怖や心配の大半は過去の記憶です。

恐怖・心配解放手順1)・・先ず、深い呼吸をし、感じている恐怖や心配心を「体から頭から出ていけ」と声に出して言い、フーッと細く長く息を吐き切ります。(複数回)

恐怖・心配解放手順2)・・次に、オデコに手を当て、自分の手の掌から太陽光線が流れ入り、偏桃体に記憶されている恐怖や心配の記憶が、溶け出していくイメージを持つのです。

日拝をされている方は、八葉印でオデコ(眉間)を翳して、太陽光線を流し入れて下さい。。

これらが意育の一手法(自ら意志を養育する方法)です。

占い等は他人任せですので意育にはなりません。逆に自ら沸き起こる意志を穢してしまうことになるので、いけません。

あくまで自己の進路は、自己が開拓者であるべきです。

しかし功を焦るといけません。迅速は、ある場合においては成功の要素となりますが、結果を早く求めるときは失敗の誘因ともなります。

時は天に替わりて、人事一切の裁判を為すと言われます。自らが進み行くべき道が分かるまで「待つ」という勇気が大事です。

2025年10月13日月曜日

高市新総裁の偉大なる日本国家の建設に翼賛する

 

縊死罵(いしば)氏の汚辱なる空気と絶望は、人心をも殺すものでありました。     石罵(いしば)が気兼ねなく食べたかった念願のラーメン。それを報道するマスゴミにも呆れますが、日本人の生き血をすする石罵(いしば)は、シナチク(China竹)たっぷりラーメンをまだすする気でしょうか?

今、我々真の日本人にも光明が差し込まれつつあります。高市新総裁の偉大なる日本国家の建設に関しての想いは、さらにこれから多く吐露され、実現されてゆくでしょうが、その想いと決意は、我々日本人に明るい希望と幸福感を与えてくれます。

以下、日本人としての精神的基盤・羅針盤となる、徳富蘇峰翁の言葉です。

「偉大なる国家を建設せんと欲せば、先ず国民の心に一の希望の念を扶植(ふしょく)せよ。人その幸福なるを自覚せば、元気淋漓(げんきりんり)、山をも排(おしひら)く可(べ)く、海をも掀(かか)ぐ可(べし)し」                      

「幸福の念を来すもの一に曰く、天を信ず。二に曰く、職分を盡す。三に曰く、命に安んず。」                                     

「幸福とは、心理的の認識なり。自ら幸福なりと思うは、則ち大なる幸福なり。」                        

「日本(高市氏)には、国家ありて個人無し。支那(石罵氏)には個人ありて国家なし」 (※高市氏・石罵氏とは書かれていません。が)                                     

「日本人は人として武士ならざるはなく、支那人は人として商売根性なきなし」

「日本人は名を愛しみ、支那人は利を愛しむ」                                

「吾人は愛国心はこれを国史に求め、国史はこれを皇室に求め、皇室を中心として、大和民族の活動、発達、膨張に求むるの、根本的見解を把持せざる可からず。」と、日本人としての在り方を述べられています。蘇翁言志録】より(昭和11年12月25日初刊)                                

明治天皇御製 「道」(M.36

ちはやぶる神のひらきし道をまた ひらくは人の力なりけり

口語訳:(M.36皇祖の神々がお開きになった道の大本を、さらにまた豊かに開いてゆくのは、人の力である。

この深淵なる大宇宙の中に我々人間をお創り下さったのは、大神様・サムシンググレート様であるということが真解できるようになると、我々は、為すために出で来たりたるものにして,為さざるために出で来りたるものにはあらず、ということが理解できるようになっていくのでしょう。

為すとは、親のため、家族のため、社会のため、国のため、地球に住まう人の幸福のために為すということです。

私も「ボケナス」と言われないように、精進してまいりたいと想い為(ま)す。

2025年10月7日火曜日

神様の恩に報い感謝する祝詞は凄いです!

 

里芋の煮っころがしで中秋の名月をと思っていましたが、日々の業務にかまけて準備が出来ませんでした。とりあえずススキを刈ってお酒でも備えてと思案していた昨日の夕方、妹から📞「お餅屋さんで、お月見団子買ったけど、欲しい?」 

夜空は曇っておりましたが、先ず神棚にお供えしてご神徳に感謝申し上げて、次にご先祖に備えて感謝を申し上げ、それから床の間にお供えして一人心鎮めてお月様を通じて大宇宙に感謝を申し上げました。(お軸は海神様と太陽神様ですが・・・)

先月の29日(土)にお伝えしました祝詞は現代祝詞(昭和初期)ではありますが、大宇宙に坐します天津太祖大御神(天之御中主神 天照大御神)の真理(神理 天理)を倭姫が感受され神仙界まで降ろされ伝わったものを、本田霊学を学ばれた神職が現代人に真解(神解)させてあげようと苦心して作られた祝詞です。

講習では熱っぽくお伝えしまして、この祝詞を朝夕に怠ることなく唱えてね!とお願いしました。(熱っぽく→半ば強制感あり)

もう挫けちゃった人はいませんか?                                      毎日自分の声を自分の耳に聴くことも禊ぎ(耳禊ぎ)です。今日休んじゃったで落ち込まないで、また新たな気持ちを奮い起こしてやればいいのです。やらなかったという罪悪感は要りませんからね。

大宇宙の真理(人間が生くべき道)というものは人の頭では想像も理解も出来ませんが、古事記同様に、多少意味が分からずとも、日々唱えておりますと、遺伝子というか生命というか魂レベルで真解出来るようになります。これが日本語・大和言葉・言霊のすごい処です。

8月にこの祝詞に出会うことが出来てから、毎日の神棚拝にて通常唱えます天津祝詞、猿田彦大神・佐瑠女命奉唱祝詞・大祓祝詞に加え、この祝詞を奉唱しており、少しづつではありますが、生命エネルギーが新たになってゆくのを感じます。特に命の元のソマチッドマ様も活発に回転運動されているようです。特また、現実界では、様々な事象についても、正しい考え方・間違えの無い判断が出来ているのを実感しています。

皆様も是非、倦まずに、先日ご紹介した祝詞を奉唱され、この世での真の幸せをご家族ともどもに得られますように祈念いたします。

注意としては、この祝詞奉唱に馴れて、調子こいて屁こいて(悪い言葉は使わないでした)→調子に乗って抑揚を付けたり、悪魔が喜ぶような、喉から血が出そうなガラガラ声のうなり声ではなく、神様がお聞きくださるような「ファ」の音階の一本調子で、赤子の様な素直な心持で、何一つ欲を出さず、何も期待もせず、誠心でお唱え下さいね。

「わからねえなら、お前の体に解らせてやるぜ!」は江戸時代の取り調べの拷問。     神様のお報せは、ゆっくりではありますが、【人として得るべき本当の幸せ】を実感させられるのです。

ただねえ、私の熱っぽい解説付き(11枚のレジュメあり)でないとこの祝詞はお渡しできないというのが金の玉に傷です。(下に走らないで!上を目指しましょう!)

2025年10月5日日曜日

祝!高市新総裁就任、祈!和通円満、城内実(きうちみのる)先生の財務大臣就任。

 


希望的観測でもって無策極まりなく、挙句の果てに大量の外国人を向かい入れて景気回復だなんて、自分の利益だけは確保して、国や日本人の爲には、何もしない何もできない政治屋が新総理に選出されなくて良かった~です。
あらためまして、高市新総裁ご就任、誠におめでとうございます。 
日本国が日本国民が再び素晴らしい国家になるための道が日本国民が再び豊かになれる道が開かれました。
我々国民一人一人も私利私欲を離れて、必死で国の爲、地域の爲、家族の爲に、直く正しき道を歩むことが出来ることを本当にうれしく思います。
昨日4日の猿田彦大神の奉賛講の大祭においても、日本の幸せを願う多くの方々が全国より集まり、日本国の進みゆく道啓きが行われているのを実感いたしました。
そして、直会では、全員が声高らかに日本国国歌「君が世」を唱和さ出来ましたことは、高市新総裁選出前でありましたけれど、「五本は大丈夫だ!」と励まされた感じを受けました。(高い音が出にくくかったですが・・・)
そして今日は、地域の草取り奉仕作業の後、芋ほり。

天日干しをしながら「どうぞ、財務大臣には城内実(きうちみのる)先生をご指名ください!」と神様にお願いいたしました。
1999年12月31日に神界に神上がられた「相曾誠冶先生、ご神名は、言向命(ことむけのみこと)」様からのご指名であります。
財務大臣就任のあかつきには、「和通円満」日本国内の無策な政治家(何もしない、何もできない、希望的観測しか持ちえない)や、諸外国の我儘勝手な図々しい政治家たちへ、新総理と共に言向けやはせ!とのことでしょう。
我々も先の希望の光を頂きまして、多少のことなら辛抱できます。太陽の光を下さいました新総理に、そして言向けや和してくださいますであろう木内先生に従いついてまいる所存です。


日本の国体の道をゆく

    明治天皇御製    おのづから仇 (あだ) のこころもなびくまで誠の道をふめや國民 (くにたみ) 国においても、個人においても、全ての場合において、敵と相対する所の最大の威力は「誠」であると、日本では神武天皇の時代からそう考えられています。 相手がポケットに手を突っ込んで...