2020年12月31日木曜日

今年も、ありがとうございました。

 

(12/29 新幹線 新富士駅前で撮影。冠雪無しでした。)

本年も、私の反省文のブログにお付き合いいただきましてありがとうございました。

今年はコロナ禍で誠に大変な1年でありました。皆様におかれましてはいかがでございましたdしょうか?

私はいろいろと体調の不具合が発生しましたが、日拝と懺悔と・禊で無事今年を終える事が出来そうです。

来年はさらに積極的に「日拝」をして、自分の体についても、もっと積極的いたわり、鍛え、やるべきことはさらに積極的に行い、かつ、謙虚に発言・行動していこうと思います。

各神社での大祓の神事も、蜜とならないように工夫され、ちょっと寂しい神事になりそうですが、皆さん方におかれましても、この1年の反省され、善くないことは祓い捨て去って、すっきり新年を迎えられますようお祈り申し上げます。

来年の1月1日の日の後、(8時頃)には高天原に神々が内揃い、造化三神(天之御中主神・高御産巣日神、神御産巣神)を拝神されるそうです。

私も初日の出の後、八時頃から造化三神に一年の無事をお祈りいたします。

皆様方におかれましては、来年も益々ご健康で過ごされますよう心よりお祈り申し上げます。

 

2020年12月24日木曜日

早朝の部屋の空気の入れ替えとプラスα

 

神社の御神木の葉を翳して太陽を拝しました。なんとなくツリーにもベルにも見えます。

イエス・キリストが「天なる父よ」と拝まれていた神様とは、実は、「スサノオノミコト」であったのだ~。かも知れません。

本当かどうか、それを決めるのは私の主観です。は、置いといて~、

私は日本人なのでクリスマスより大事なのは冬至と大祓です。は、置いといて~、

私は、早朝(4時~)部屋の窓を開けて正常な空気を取り入れてから禊祓・大祓の祝詞を唱えています。

午前の気は生気と言われていますので、禊祓・大祓のノットを唱えずとも、毎朝の部屋の掃除のついでに部屋の窓を10分程度開けて空気の入れ替えを行う事は大事です。

誰しも忙しい朝の時間。誰しも短時間で自分の運気を上げる呪文をお教えします。唱えるとコロナ対策にもなること請け合いです。

先ずは、                                     「神火清明(しんかせいめい)神水清明(しんすいせいめい)祓ひ給え清め給え」と複数回唱え、自分の体と心を清めます。

次に                                       ②合掌し両掌の中に前世から今生までの本来の自分自身に、生気が入り込むようにとイメージをして「福寿海無量」(ふくじゅかいむりょう)」と複数回唱えます。

これを続けますと1日1日が充実した日になり、大難は中難に中難は小難に小難は無難に過ごすことが出来ます。

(注意:午後の気は死気と呼ばれますので、基本的には良い習慣・作法には向きませんのでお気を付けください。)


(冬至の日の早朝、御神木に顕われたのは、クリオネでした。)

(飛騨高山では「黄金のサルボボ様のご出現じゃぁ~」と村の長が叫ぶかも?)

2020年12月20日日曜日

大祓祝詞は懺悔文

 

「禊(みそぎ)」は「身滌ぎ(みそそぎ)」の意で、本来は海水に入って全身を沐浴することでした。

「祓(はらひ)」は「拂ひ(はらひ)」で、心身に付着してしまった「ツミ」や「ケガレ」を拂(はら)ひ清める意味です。

本居宣長翁の『古事記傳(伝)』の中に、「波良比(はらひ)は自爲(じゐ)を云ひ、波良閉(はらへ)は令祓(はらはせ)の約言なり。』とあります。また、橘守部(たちなばもりべ)翁は、「禊と祓は別で、は惣名(そうめい)にて禊はその中の一種であるので、禊と云うべく、祓と云うべからず。禊は水辺にて行うに限れる名なり。」で、禊は祓中の一種であるといわれています。

しかし、既に伊弉諾尊の神話(神代の実話)に物語れているように、禊は何処までも自主的に心身の穢れを拂浄(ふつじょう)することであり、祓とは別のものでしょう。

6月と12月に行われる「大祓」の式はそれぞれ半年間に渉(わた)って知らず知らずの間に積った我々の心身の罪や穢れを、神々の浄化力によって、祓い清めて頂くというのがその精神ですが、各神社で行われている神前に奏上する「祝詞」の中で、「大祓祝詞」は一種の懺悔文に相当するものです。(その他の祝詞は祈祷文)

自分に当てはまる懺悔の内容は他人に言う必要はなく、具体的に神様だけに申し上げ猛省すれば、結局、大祓も自爲の波良比(はらひ)となるのでしょう。



2020年12月14日月曜日

お礼参り

 

先の日曜日、上野に鎮座する五條天神社と花園稲荷神社へお礼参りに行ってまいりました。目的は、五條天神社にお祭りされています医薬祖神であるオホナムチ様とスクナヒコナ様に今年治療でお世話になった事の感謝を捧げるためです。


境内は大祓の茅の輪が設営されており、大晦日神事は準備万端の様子。

「今年1年の締めくくりのお言葉をください!」と思念して、社務所でガラガラして神籤を引きました。

1番!頂いた神籤は大吉。

神のみ教えの歌は『朝日かげ たださす庭の 松が枝に 千代よぶ鶴の こゑののどけき』 いい感じで今年一年を締めくくれそうな歌です。

神様の具体的なご教示は、『天の御助けを受け諸々の災去りて喜びあり。心を正直に、行いを慎み、貧者を慈しみ弱きを助け信神怠りなければ益々思うままになります。(だってぇ~。んが~っ、)色におぼれ酒に狂えば凶なり』とご教示頂きました。


拝殿の上の方に神さんを感じながら隣接する花園稲荷神社でご挨拶させていただきコロナ渦にあっても知人共々生業豊かで過ごせましたことの感謝を申し上げることが出来ました。

コロナ感染を避けるためアメ横を横目に帰路につきました。





2020年12月8日火曜日

祓い残しのないように

大祓の起源は、伊弉諾尊が、妹神(いもがみ)の伊邪那美尊の後を慕って黄泉国(よもつくに)に赴かれまして、その穢れに触れられたのを、筑紫の日向の橘の小戸の檍原(あはぎはら)において禊がれなされた事と、素戔嗚尊が高天原に於いて、千位置戸(ちくらのおきくら)の祓物(はらへつもの)を出して、群神に依って祓(はらひ)を受けられた事に発します。

太古の時代には必ずしも時を定めず、随時随所に必要に応じて行われていたそうですが、6月30日と 12月31日に行われる大祓式は、国中に知らず識らずの中に、積もり積もった諸々の罪穢れを半年ごとに祓い清めるという趣旨によって定められたものです。

この世で生かされている我々は清濁混交する地上世界にて生活している以上、自分の感情の乱れに気づくと気づかざるによらず黄泉国の悪因縁と結ばれてしまうことは避けられないことであり、さらに、それらに前世や先祖の因縁も加わって凶の禍が顕現してしまいがちです。

年2回の大祓を受ける事は最低限の行事です。私の場合は日々「悪に志す」ことの無きよう禊祓・大祓して日々狂いがちな感情を修正し、神仙感応経と生魂神供に書かれている「悪い志」を持たない様にと心の清め祓いに務め、様々な悪影響を最小限に止める努力が必要です。

今月28日(月)の大祓&勉強会でのテキストが完成しましたが、毎回の事ですが時間配分を考えず20ページにも及んでしまいました。


毎回の如く秘事は口伝です。お漏らししてはいけない事は文字にしていませんのでしっかり聞いてくださいね。ポテチン

コロナ対策で超ソーシャルディスタンス会場となりますので、無理をせず、聞きたい人、正しいことを知りたい人だけでOKです。

 

2020年12月7日月曜日

破魔矢が完成しました

 

破魔矢が完成しました。

5日(土)には、先月刈り集めた葦の茎とヒイラギを組み合わせて「破魔矢」を作りました。

完成した破魔矢を数えたら41本でした。(最高の本数です!)

破魔矢の起源は『古事記』に出てくる返矢の神術です。

お話は、『天若日子(あめのわかひこ)は天孫降臨に先立ち、地球上の様子を伺うために高天原から使者として下されましたが、その任務を忘れて大国主神にこびへつらって、あわよくばスメミマノミコト(皇孫命)の代わりに地球上の主権を得ようとして、天津神から賜った弓矢で、天若日子の様子を伺うために高天原から遣わされた雉を射殺して天津神に反逆してしまいました。天の使いの雉を貫いた矢は高天原に逆さまに舞いのぼり、高天原にます天照大神と高皇産霊神(高木の神)の処に到りました。そこで高皇産霊神が高天原に戻ってきた矢を見て、八百万神に対して、「もし天若日子が命令に背いたのではなく、悪い神を射た矢が戻ってきたのならば天若日子には当たらず、 あるいは天若日子が邪神を持っているならば、この矢でミマカレ(死ね)と言って矢を衝き返したところ、その矢は天若日子の胸に命中して死に至った』という話(神代の実話)です。

古事記の返し矢の神術を念じながら作った「破魔矢」ですので、各家各自に悪いところが無ければ逆恨みなどによる凶時などはクルっと跳ね返してくれるでしょう。

(12月28日(月)の大祓&勉強家に参加の方にはプレゼントします。)

破魔矢と同時に完成したのは「祓いの鈴」。破魔矢の下に映っています。

その後、勢いに任せて作務衣のズボンの裾上げを「裁縫上手」の布用ボンドを酷使して仕上げました。

一人で生きるにはマスターしなければならないことがたくさんありますが、欲張らなければ大丈夫そうです。

2020年12月1日火曜日

産土神社にお礼参りを忘れずに

 

以前、見知らぬ土地の小さな神社を探しておりました。

ナビにも載っていない神社です。農道を迷って走っていると、畑作業中の第一村人を発見。

私「すみませんお尋ねいたしますが、このあたりで〇〇神様がお祀りされている〇〇神社は何処でしょうか?」

第一村人「あぁ神社ならこの坂を上がったところにあるだ~。神社の名前は解らねぇが、この辺じゃぁ馬頭観音といっているだ~。」

私は心の中で「(いかりや長介風に)だめだこりゃ。」罵倒しないでにこやかに、「ありがとうございます。行ってみますぅ」とお礼して、後は直感を頼りにお目当ての呼ばれている神社を探すということはたまにあります。

神と仏、神社と寺の区別のつかない人は意外と多くて残念というか情けない次第です。

神社が仏教の寺院やキリスト教の教会の如きものでは無いことは勿論ですが、ましては新興宗教の施設や銅像や記念碑の類に非ざることも明瞭な事実です。

それは我が国の国体が他のいずれの国家にも類例を見出し得ないもので、上古の為政者たちが政策的に作り出したものでもなければ、外国の風習を模倣したものでもありません。神社自体全く独自な存在です。

それは実に、我々大和民族全体の止むに止まれぬ本能の要求から生み出された、民族の魂の表象です。

であるので、我々日本人が神社を拝するのは、自らの魂を拝することと同じなのです。自らの魂を拝して、その弥栄を祈り、同時に、自らの魂を通じて祖霊を拝し、天照大御神を拝し、天之御中主神を拝するのです。

つまり、神社を拝する事とは、日本人の魂を尊崇する事であり、神社に祈る事とは、大和魂の弥栄を祈ることです。

神社は我々日本人の魂の故郷ですね。

今年も残すところ僅か1ヶ月。今年中に各自の産土神社にお礼の御挨拶を忘れずに。

また年明けの御挨拶には、各自の産土神社へお参りされることを願います。



12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...