2019年12月19日木曜日

恩頼(みたまのふゆ)


神様から恩頼(みたまのふゆ)を頂戴するとは、神様の霊衣を羽織らせていただくようなことです。

神様のオーラで出来た霊衣を蒙ることを、神徳を戴いたというのだそうです。

現実的な三次元の世界での物を戴いたということではありません。

某神社の拝殿の裏に回わり、自然に五本の木の真ん中に立ち合唱していると、まず、合掌した両手を温かい光(エネルギー)でつつまれ、さらに温かい羽織のような霊衣を全身に被せられたような感覚しました。至福の時であります。

ノットを上手く奏上しようとか、ああしてほしい、こうしてほしい、あれがほしい、これがほしい等々の我欲から離れた状態。頭の中では何も考えていない状態で、ただただ生かされていたありがたいなぁと感謝をしていると、神様のオーラに包まれます。恩頼です。

神様は人間を造った以上、普通の努力さえしておれば、必要な最低限の衣食住(恩頼)を補償してくれているのですが、必要以上のお陰(物・金)がどうしても欲しいという人は、悪魔を祀っている神社仏閣に行って、自分の魂と引き換えに悪魔のご利益を貰えばいいのでしょう。

これを悪魔との契約と言いますが、悪魔は現世利益と引き換えに人間の魂を食らうのです。

神様の分け御霊である魂を悪魔に食べられた人間は、当然、死んで神の元には帰れないのです。

恩頼(みたまのふゆ)・霊衣とは別物で、悪魔・邪霊から身を守る鎧のようなプロテクターを霊鎧(れいがい)というのがあります。

これも求めれば例外なく頂けるということはありません。神の使徒として何らかのお役目をしている人に特別に与えられるとのことです。


2019年12月17日火曜日

上・中・下 津瀬之祓


 
 
【上津瀬祓】

 神は一滴を以(もち)て、四海(よも)に充(み)て給ふべき通力坐(おは)す。今の時、目に視(み)耳に聴き、口に言ひ、身に動くに就(つ)いて、汚穢(きたな)き事を、潜(くぐ)り濯(すす)がんとするに、中と云ふ中津瀬、下と云ふ下津瀬と雖(いへど)も、上と云ふ上津瀬にして、在(あ)らゆる罪と云ふ罪、咎と云ふ咎をば、潮(うしほ)の消え行く如く、祓ひ申し清め啓(まを)す状(さま)を八百万の神達、照らし給へと啓(まを)す。

【中津瀬祓】

 神は一滴を以(もち)て、四海(よも)に充(み)て給ふべき通力坐(おは)す。今の時、吾が身の汚穢(きたな)き事を潜(くぐ)り濯(すす)がんと、上と云ふ上津瀬は太(はなは)だ急にして、下と云ふ下津瀬は太(はなは)だ弱(な)るし。中と云ふ中津瀬にして、祓ひ申し浄(きよ)め啓(まを)す状(さま)を、八百万の神達、清浄に照らし納受して、天海原(あをみのはら)に藻屑(もくず)、掻(か)き流す渚(なぎさ)の跡(あと)の如く、清し浄(きよ)しと啓(まを)す。

【下津瀬祓】

神は一滴を以(もち)て、四海(よも)に満(み)て給ふべき通力坐(おは)す。今の時、物の汚穢(きたな)き事を潜(くぐ)り濯(すす)がんとするに、上と云ふ上津瀬、中と云ふ中津瀬と雖(いへど)も、下と云ふ下津瀬にして、汚(けが)れたる裳(も)の裾(すそ)、濯(すす)ぎ流す事の如く、清し浄しと啓(まを)す。

※ご参考までに3つの祓のノットを記しました。時間がない時や急ぐときに、上・中・下をすべてのりあげる場合や、その祓う内容によって選んで思念を込めてのりあげます。

2019年12月13日金曜日

病気を治す力


(ノーベル生理学・医学賞のメダルは、表面にはアルフレッド・ノーベルの横顔(各賞共通)、裏面には膝の上に本を広げつつ、病気の少女のために岩から流れる水を汲んでいる医者の姿がデザインされている)
 
ノーベル生理学賞を受賞したハンスクリップ卿の言葉に、
「医師や患者が出来る事は、体が体自体を守り、治療することができるような最適なコンディションをつくることだけである。生命力、つまり自然治癒力を助けること以外に何もできない。」とありました。
 
この自然治癒力を高めるについては、人の主体である心の問題が重要であるにもかかわらず、未だに肉体と精神を分離して、精神は精神、肉体は肉体の二元論が主流であって、医学は進歩していると言いながらも病人の数は一向に減らず、医療費も増え続ける一方です。
 
また、医師からも希望の光を感じる言葉は一切ない以上、病気を治す主体はあくまで病人自身と患者を愛を持ってサポートできる付添人であって、医師も薬も病気を治すパートナーに過ぎないといえるでしょう。
 
したがって、「この薬さえあれば」とか「あのスーパードクターにかかりさえすれば」というような過剰な思い入れは禁物。反面、自分がかかる医師や薬を信用しなければ効果はかえってマイナスにもなる始末です。
 
このようなことから、病は気からということも言い得るのであって、自分の心があくまでも主役であり、病を治すのは自分の内部に持つ力なのですね。
 
「人間の自然治癒力を高める」にはどうのようにしたら良いかをまとめてみると、
1、かかった病気は必ず治るという確信をもつこと。
2、正しい食生活を送ること。
3、健康的な環境を整える事、
4、必要にして十分な医療行為を受けること。
これら4つの項目を眼中に置き、その人の今ある立場に応じて最善の事をすればよいでしょう。
 
昔から心身一如と言いますが、人間の体を三つ目で観ると、精神が3体、魂が3体、肉体が3体と重なっていて、人の体は9体一如となって観えます。その一つが病めば8つの体が病みます。(エネルギー治療では9つの体を治すわけですが、九つの体を持つのは日本人だけで、外国人は精神・魂・肉体の体が一つづつの3体が多いです。)
 
人間は自然の法則(=宇宙の法則=神理)に従っていれば最後まで元気で生きる事が出来、反すれば病気になります。この大前提は如何に医学が進歩しても変わることが無いでしょう。
 
権力を持つ人の個人的な欲でもって、神のサポートがある研究(IPS細胞)の研究費にストップをかけることも愚かな行為であり、自然の法則の自然な成り行きに反する感じがします。

2019年12月11日水曜日

死んでで花実が咲くものか!


 仕事で関係あった人が命を絶ってしまいました。

彼は、すぐに覆面を着けられて、これから暗くて長い反省の修業をさせられるのです。

残された奥さんや、子供の人生も真っ暗闇にしてしまいました。

50歳です。優秀な人間でしたが、まだまだハナタレ小僧です。人生は62歳を過ぎないと本当の人生を送れないのだそうです。

自分の頭で考えて、理解して、行動していかないと、誰でもこの世で生き抜くことが難しくなります。

スマホで答えを見つけて、それを自分の答え・考えとするスマホ人間は全滅になります。

これからは、各人の神を見つけて、自分の神直日(鏡)に各人の神を映して、何事も自分=自分の神として判断し解決していく時代です。

これから、色々な事が起きますが、困難な事に出会っても、あきらめないで生き抜くことが大事です。

あきらめて、死んでしまったら、あの世でも花実は咲きません。生きているこの世で花見を咲かせなければいけません。

自分で命を絶ってしまったら、生まれ変わりもないんだぜ!

バカヤロー!死にやがって。

2019年12月10日火曜日

万葉集と祓の原型


万葉集の中に大伴家持作の「酒を造る歌」「中臣(なかとみ)の太祝詞(ふとのりと)言ひ祓へ贖(あがな)ふ命も誰(た)がために汝(なれ)」意味は、(中臣の太祝詞を唱えて祓って酒をささげて長命を願うのも誰のためであろうか?あなたのためだよ)という歌があります。

人の不健康になった事を神に詫びて、無病息災延命長寿の成就を願いを叶えてもらう言葉にして、それを太祝詞に乗せて神に聞き届けてもらい自分の蒔いた種(罪・穢)を祓ってもらう贖いとしてお酒を添える。

そこには神様を試すとか、治してくれたらお礼(贖う)すればよいなんて損得勘定の駆け引きはありません。

神を信じて疑わない。当然直してくれると信じているから先に贖いとして当時、神様が喜ぶ最高の物としてのお酒を捧げ、自分の不徳を詫び、神様に健康の願いを叶えてもらうというのが祓いだったのでしょう。

それから神様のおさがりのお神酒を戴くことによって神様と幸せ共有するという直会。
酔ってくると、「生きる者 遂にも死ぬる ものにあれば 此の世なる間は 楽しくをあらな(大伴家持作)」(生ある者は遂には死ぬものであるから この世に生きてある間は楽しくおりたいものだ)との心境になるのでしょう。

これは楽しく生きなきゃ損!なんてことではなく、不安がったり心配したり、悲しんだり、苦労したり、余計な鳥越苦労をしていては病気=罪を作って人生をつまらなくするのだよ。ということと私は解釈しています。

太祝詞とは、我々の願いの構文を神様の世界(高天原)まで届けてくれる「言の葉で造られた船」のようなものであるなぁと感得しています。

万葉集の時代、言の葉の船の動力は人の感謝が込められた酒(価値のあるもの)という贖いだったのでしょう。

太祝詞は、各人のくどくどしい願いの念じ込みを神界まで届け成就させてくれる心神理の言葉

※太祝詞は「目に見えるもの(秘)と「目に見えないもの(秘)」をセットにして回路を働かせることがポイントでしたね。ヒ、ヒッ。(28日、おさらひ〈秘〉しましょう)
 

2019年12月9日月曜日

念じ込みと自然薯


(毉藥神社)

日曜日の早朝「そうだ医薬神社へ行こう!」で、呼ばれた感じがして、ご挨拶してまいりました。
 
今住んでいるところから電車で3駅。駅から徒歩で15分くらいの所の神社。毉藥神社というだけあって、ご祭神は大国主命と少彦名命です。
 
ノットを奏上していると、『念じ込め!』という感じがしました。『神に対しての念じ込み方が少ない』と言われているような感じを受けました。
 
イエス様は、『汝の神を試すなかれ!』と言われました。願いをかなえてくれたら信じます、願いをかなえてくれたらたっぷりとお礼しますというのは神を試しているという事なんです。
 
一般の欲深い人間の願いを聞き届ける神はおりません。神に関している事で他人の為に(自分の為にでも)熱心に念じ込む人の場合は別なのです。
 
神様に対しては唯一、作法はあまり関係なく念じ込み以外にはありません。「神様から断られたって元々だ」くらいの気持ちで念じ込め!だそうです。
 
拝殿の裏での念じ込みが終わって出口に向う途中、境内に木の根の一部が顔をのぞかせていました。念じ込めば立派な自然薯になるのか?・・・
 
念じ込みはしませんでしたが、病後・術後の患者さんの体力をつけさす食べ物は『自然薯は可!』のご教授を頂きました。
 
食す人も、「自然薯は体力がつく!」との思い込みと、「神様が下さった」という感謝の気持ちで、本当に体力がつくのです。しかし、食べ過ぎはいけません。

2019年12月6日金曜日

在るべくして在らしめ給え~

(神集いて、神計り給ふ)

不安を抱えたまま布団圧縮袋に入れられ空気を抜かれたような不気味な状態で固まっているのが続いてるような感じ。(なんのこっちゃ?ですが、何も出来ないという雰囲気)

今年は、様々な状況の変化に対応する力と確固たる信念に基づいた行動が取れる判断力が試された1年であったような気がします。

また、来年は経済も環境も生活も底を這うような厳しい年となるとのことですが、慌てても焦っても何ともならないというのを更に経験させられるのでしょう。

高天原の神様会議での来年の方針は、『在るべくして在らしめる』とのこと。

自分の心から出来る限り悪の考えを追い出して、神と一体となって謙虚に事に当たれば万事うまくいくのでしょう。

ポイントは「我、自らにして何事も成し得ず。天の神、我に居まして御業を成さしめ給う!」でしょう。

病気治療の極意と同じです。治療の神をお呼びして、「この病者の症状を、在るべくして在らしめ給え~」とお願いして、治療の神々と一体となって治療に当たる。

そこには肉体心(頭)であれやこれやということは全く考えないことが大事と言われます。(神々を敬い信じるという信念のみでアクションします。)

そして、たとえどのような結果になろうとも、そこには最高のことがなされたと信じて疑わないことが大切ですね~、ということが示されたようです。

病気直しも、人生・経済・生計の立て直しも同じ事なのだそうです。





2019年12月4日水曜日

あな幸せ!OK~っ



岩戸別神社(栃木県塩谷郡塩谷町船生8171)
ご祭神:天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
 
仕事の出張の帰り、『来なさい!』との強い感じを受け、カーナビに確実に導かれるようにして参拝が叶いました。(道が急に細くなり心配になりますが、ナビを信じ進むことで岩戸分神社にたどり着けました。)
 
天照大御神も再びお姿を隠されるのではないかと思われるほどの暗い嫌な事件・事象が多い今日ですが、自分の心も暗くしてはいけないと感じていた時でしたの嬉しく思いました。
 
本殿でノット奏上して「人生を明るく歩むには?」なんてことを考えていたのだと思います。すると記憶にある「あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ、おけ~」という言葉が力強く思い起こされました。
 
そうです、人生を暗くするのも、明るくするのも自分の心がけ次第でありました。
 
自分で自分が閉ざした心の扉を自分のパワーで開け、心の奥隅にある嫌な考え習慣を自分のパワーで祓いに祓ってさわやかにし、そこに天照大御神の御光と一体となることでした。
 
例え今がどうであれ、心は天晴れ、ああおもしろい、ああ楽しい、ああ今私は幸せだ!と言い切ると、本当にそのようになるのでした。
 
おけ~おけ~と樹木がザワワザワワと「そうだそうだ」となりました。
 
※28日では「あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけおけ~」を例の太祝詞事のあとに叫び、OK!にしましょうね。


2019年12月3日火曜日

止揚を使用しよう!


何が善なのか?何が悪なのか?善悪とは結局のところ、人にとって都合がよいかどうかで判断しているじゃないかぁと思う今日この頃です。

善悪の区別は目的的には区別が無く、善であろうと悪であろうと、神の内であるならば悪も止揚(アウフヘーベン)されていて、悪としては存在していないということになるのですが・・・。

健康が善とすると、病気を悪と考え、病気の悪(魔)を縛ってぶっ飛ばせば病気は治る?というのがオカルティズム、スピリチュアリズム、〇イ〇などの金儲けの主義の治療やら、毒には毒をじゃないけれど悪にはもっと強い悪でやっつけるのが現代医学?抗がん剤は悪魔も嫌うから癌に効くけど、いい細胞も死んじゃう( ;∀;)

神は善であり、唯善なる存在として存在しているが故に善悪の区別は神には存在していないのです。だから善悪の区別は自分にとって都合が良いのが善で、自分に都合が悪いのは悪として判断している自己中の世の中。例えていうと米や麦を善とすると、ハグサは悪。米や麦は人に食料として有用であるから善であって、ハグサなどの雑草は米や麦の生長の邪魔をするから悪とされています。
でもね、同じ草であって酸素を出してたり、土砂を流失から防いでいるところに目を向ければ有用であります。存在に善悪は両方ともあり得ない。地球が神であるならば悪のハグサも止揚されて善とも考えられます。

我々は生き方として、悪という存在を認めないということが崇高な生き方、神の道があるのでしょう。善も悪も同一性と考えれば、悪は止揚されるべきものです。

病気治しでも、悪魔を縛ってぶっ飛ばして病気を直すより、身も心も善だらけになって、病者に善の言霊、善の光で包み込んで止揚すれば健康になる!なんて最高に楽しい治療です。

神直伝の治療から外れない様に止揚っと。



「破魔矢」出来ました 

 
今年もいろんなことがありすぎたのか?地球が回るスピードが速まったのか?あっという間に残すところ、後ひと月です。
 
恒例となった?身内だけの大祓式も自祓作法付きで今年は28日(土)にしっかりやりましょう。(公共会館を利用できるのが28日までなのため)
今年の大祓では、他人に頼らない自分でできる病気・不具合・アクシデント対策力の発揮の仕方をお伝えします。また、前回お伝えした自己治療力のチェックもします。


特典は毎年同じですが「破魔矢」のプレゼント!限定30本、大祓いに参加された方のお持ち帰りのみ。

今回の破魔矢は、那須塩原原生の葦とヒイラギで作りました。那須与一のエネルギー入りですので、強力な魔除けになること請け合いです。

大祓に参加できない方は、住所・氏名・生年月日に病名や気になる所をメールで構いませんので1215日までに送ってください、私が紙人型に転写して、28日の大祓で祓います。
(ただし、破魔矢の郵送はいたしませんのでご容赦ください)

12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...