2019年11月11日月曜日

スマホ(巣魔捕と素眞保)


様々な事件・事故・犯罪の諸悪の根源は「認知の歪み」?なのかも知れません。
 
「認知の歪み」とは心理学用語で「レッテル貼り」「白か黒かの思考法」「べき思考」「拡大解釈、過小解釈」など、様々なパターンがあるとされています。おおよそ、事実や現実を適切に正しく解釈することや受け止めることが出来ない思考様式のことです。

最近の事例では、大雨を伴なった台風が来ることが分かっていたにもかかわらず、わざわざ子連れでバーベキューを楽しもうと考えるのは常識的な判断とは言えません。認知の歪みの思考パターンの過小評価です。スマホで情報を受け止めることまではできているのでしょうが、それぞれが抱えているイデオロギーや「私たちは大丈夫!」というような思考のバイアスによって間違った・誤った処理をしているのです。
 
「認知の歪み」がひどくなると、当然人間関係もうまくいかなくなります。多くの事件・犯罪は、これに原因しているのだと感じます。
 
次元上昇のバイブレーションが急激に高まっている昨今、こういうヤカラはますます増えると同時に常識では考えられない様々な事件事故犯罪がますます増える事でしょう。
 
実は事件・事故・犯罪とまではいかないが、組織の中でうまくやっていけない人が様々なトラブルを起こしている人種が増えていると感じませんか?
 
今後、「正しい認知力」を持っている善なる人たちは、全く生きづらい世の中・組織・家庭での毎日を生きなければなりません。
 
組織であっても家庭であっても人間が生活する伏魔殿に神の世界の「真・善・美」をもたらそうと思っていても、「真・善・美」の認識の歪みを持った人が多くて、「真・善・美」を受け入れてくれる人が全く少ないのです。
 
神の世界は透明で光り輝き素晴らしく、皆が喜びで光り輝く笑顔を持っているのです。その透明にして光り輝く素晴らしい世界を組織や家庭に降ろしたとき、乳白色に濁り光を吸い込んでしまい、光は力を失って輝きも消えてしまいます。
 
それでも、『心の中から一切の悪を追い出し、善なる思考で善を成せ!』で、何度でも組織や家庭に光を降り注がなければなりません。
 
この人心の末期的な異常事態に対して、神の大きな網の目の篩が振るわされるカウントダウンは止められないのだそうです。
 
 対策として、『自分の良心で物事を判断する力を養う事』だそうです。スマホ検索で得られた結果を鵜呑みにしてはいけません。

『スマホは魔物である。魔(ま)の巣(す)に捕らわれるのだから巣魔捕と呼ぶのだ!』

スマホの検索結果を自分の考えた結果と信じてはいけません。自分で考え自分の良心に照らし合わせて決定する認知の力が失われます。

魔界の人類アホアホマ~ン化計画に気を付けなければいけません。

直で理をつ、自分の素眞保(スマホ=サニワ)力を発揮しましょう。
 






天皇陛下御即位祝賀パレード

10日日曜日は自宅TVの前で、天皇陛下御即位祝賀パレードをお祝いいたしました。
沿道にてお祝いできなかったのが残念でした。

TVに映る陛下のお顔も神々しく、皇后陛下のお顔も慈愛に満ちたご表情に感激いたしました。
そして、TVに映しだされた天皇皇后両陛下を敬いお慕い申し上げる感謝の気持ちでもろ手を挙げて小声にて「万歳!万歳!万歳!」と万歳三唱。心の中ではありますが、君が代、国家斉唱です。

また今週は、天皇陛下に置かれましては大嘗祭をお努めされます。
この本義を知るにつけ、日本国に日本人として生まれたことに感謝しかありません。

11月23日は勤労感謝の日で主体は労働者となっていますが、実は主体は神様を尊び敬い感謝を申し上げる新嘗祭です。

 
10日の午前中は20年前のお宮が汚れてきたので、磨きをかけ再生作業をしました。
 
23日の自宅で行う新嘗祭の神饌は、良いものを選別して準備をして、手書きをしたノットを準備して新嘗祭を迎えます。
 

2019年11月8日金曜日

不立文字では霊主体従じゃぁ


6日は夕焼け綺麗でした。今朝出勤時(6:10)朝焼けが綺麗でした。


人は自分の視たいものを見て、自分の聞きたいことを聞いていますが、神様を視るといっても、神様そのもののお姿を見るということは非常に少なく、虹で現れたり、きれいな朝焼け・夕焼けであったり、風で顕われたり、時には声であったり、御眷属(フェアリー)の鳥(鳶・鷲・鷹・雷鳥・鶯・雉・セキレイ・メジロ・カラス等々)猿、猪、白鹿、マムシ、木の葉に集まった白露、太陽の白金、星々の瞬きであったりします。



そしてそれらから神意伝承で何を聴かせてもらえるかです。

同じような場面や現象を続けて見させていただいたということは、、何かをくみ取ってくれとの合図なのだと思います。



本当の神々は、『ああしろ!こうしろ!』とは言ってくださいません。普通は現象だけで文字に成っていない「不立文字」を読めということでしょう。


神理とは神様からの贈り物であり、その人の絶対主観ですから、主観転換のできない人達(自然現象、天地万物を神と思えない人達)にとってはこのようなお示しも神理ではないのですから、

自分が感得できた神理の喜び・天地自然の神々への感謝で「い~んです!」

で、大変だな~と感じたら、人知れずにやることをやればぁ、「い~んです!」

先ずは心身の息災を願う



年齢が上がっていくにつれ持病の数も増えていくのだそうですが、その持病が起きても、この薬を塗れば、この食品を食べれば治まる。そのような事があったら、これが安心立命なのだそうです。
 
そういう安心立命を授けてあげるのが昔むかしの宗教家のお役目でありました。ですが、今や宗教家やスピ教祖、団体が信者からお金を巻き上げるのが宗教家たちの仕事だと思っているのが現状です。
 
一般の人が神社仏閣にお参りに行くのは、僅かなお賽銭で、家内安全・商売繁盛・子供の学業隆昌のバカバカバカのおバカの衆。もう、追いはぎと追いはぎの騙し合いの様態。
 
そういう集団に紛れておみくじ引けば、『心得違い!』とのお諭が、心ある人には示されます。
 
人間、皆にとって一番大事で必要な事は何ですか?・・・
 
生きていることです。『先ずは心身の息災を願え』ということです。
 
お稲荷さんは産業の神でもあり、もちろん食べ物の神様でもあります。その前に、肉体の方の一切の面倒を見てくださるのがお稲荷さんです。ついでに「お金がない」と言えば、頼み込めば、お金をくれるのです。お金を使うことが出来る肉体をくれるのです。
 
だから、お稲荷さんでも何処の神様にでも、先ずは自分の心身息災延命長寿をお願いするとの心得が大事なのです。

2019年11月5日火曜日

心身息災延命長寿


昨日は遠方に住む知人の親の病気平癒祈願もあって、上野に鎮座されます五条天神社へ行ってきました。

経緯は仕事の関係で知人と話をしている中で、知人の母親(85歳)が悪銭リンパ腫で入院したと聴きました。急に『住所、生年月日とフルネームを聴いて遠隔で治療しなさい』という感じがしたので知人に訊ねると、即座に答えてくれました。(知人とは仕事の関係者では私が治療が出来ることは知りませんし、伝えてはいません)


金・土・日と遠隔で治療し、知人の母親は悪性リンパ腫では死なないという感覚を得ました。

4日(日)早朝、五条天神社の神々様の所へ行こう!という感覚がありましたので、身支度、毛づくろいをして上野公園に出かけました。

 
社務所で絵馬を頂き、心身息災延命長寿の祈願文を書いて、本殿の前で病気平癒祈願祝詞を奏上し、病気治療の神々様に、「その願いを届け」との思いを込めながら絵馬を括り付けました。(※光の加減で矢羽根が映り込みましたので写真に撮りました。)
 
 
 
 

 

2019年10月28日月曜日

火水(カミ)の行



生きている我々人間は、善悪を超越した者=神には成れせん。一緒になるか、お会いする
かなのでしょう。
 
神に成れるのは死してしばらくしてのことですが、今生きている間の心得と修行が大切であるとは、死して神になった方々からの通信で知らされます。それによると、善と悪を超越した者=神と繋がるには火水(カミ)の行を行うのだそうです。
 
火・・・エネルギー、呼吸と気、生命、噛む、食物、言葉。
 
水・・・身禊、清潔、さっぱり、風呂、温泉、水垢離。行とは行動です。
 
エネルギーを伴なっているものです。半歩でも少しでも前進していくというものが大事だそうです。
 
命の元のエネルギーや生命の根底には善が伴っていなければ、安心して暮らせる世の中を作り出せません。
 
神は悪しき事、汚き事、汚職を嫌いますので、身禊をしてサッパリとした身だしなみが大事。古いものでも洗ってある洋服を着たり、風呂に入り垢を落とした身体でなければなりません。心も身もきれいになることです。
 
(『昔の身禊の場は温泉であった・・・』を信じて、六根清浄を唱えながら(日光の)温泉に浸かるのも火水の行になるのでは?)

2019年10月25日金曜日

何処がどのようになろうとも


神様は人間を生んだ以上はその人の生活は最低限保証しているのに、生活できない人が居るというのは、神の心(『人よこの世に生のある限りは、豊かで健康で幸せであれよ願い)を放れ、神を信じないからでしょう。そのような人は助けようもありません。

今や社会保障が進んで、普通にまともに働いて居れば神を信じなくとも生活できる世の中になっていると思っている人が多いですが、天変地異の場合は別なようです。 
神の救いの手を振り切って行く人達を助けるほど神様は甘くはないようです。常日頃神様と共にある生活をしていれば、天変地異の時は予告が有り、また、お導き頂いて、安全に助けてくださるようです。

「我も良し」「他人(人)も良し」でなくてはいけませんね。「我良し」だけでは他人から見れば悪人です。あさましい世の中はまだまだ続きそうですが天からの鉄槌に続き、国常立尊の四捨五入の篩=震いの網の目から抜け落ちないよう、善悪を己の諸刃の剣で断ち判かつことが大事です。決して心に悪を持つこことないようにしたいものです。
 今後は何処がどのようになろうとも心を定めて、神と共にある境地に成って、神と共助で心の中に天国(高天原)を作って、不平不満を言わず、世の為人の為に誠を尽くながら天命を全うしようとの決意で生き抜こうとの決意であれば心強いです。            
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


神に「まつら」って、無難に、無理せず、幸せに生きる

  多くの人は今や神社仏閣に詣でて、自我による頼み事をするのが当たり前と思っています。 これも、「今だけ金だけ自分だけ」で生きなければ、この世の中、上手く生きていくことが出来ない。損得勘定が当たり前で、自分さえよければそれでよいとでも思っているのでしょう。しかし、はたしてそれで本...