2019年11月28日木曜日

「参り」の後の「魔入り」ました


茨木出張の帰り、上野駅で下車し、知人の病気平癒の重ねての祈願。

『ちゃんと聴いておるわ!その患者いずれ良くなるので、それからお礼参りに来られよ!』との感じを受けました。五条天神社の病気平癒の神々に対して少しでも疑いをもったことに違いないと恥じ入るとともに、『信じ込んで願い込め』の大事を再確認させられました。

五条天神社の参拝を済ませてから展示会場の閉館まで1時間ほど時間の余裕があったので、ささっと観れであろう「人、神、自然」の展示会場に入りました。

アジア・アフリカ・中南米などの世界各地の古代文化で生み出された工芸品の数々・・・ですが、すべて、ウィズアウト ゴッド。神無し、仏無し。しかし、魔は入ってました。美術工芸品に対する人間の所有欲はいっぱい入っていて魔入りました。

近くで開催中の「ミイラ展」は魔イン御礼?で、さすがに見る気はしません。

時間があれば「正倉院展」は観たほうがいいです。

時間に余裕をもって、神様エネルギーを感じに「ゴッホ展」はしっかり感じたいです。







2019年11月25日月曜日

神籤が示す本当の事

五条天神社でのお礼参りとお願いの帰り、社務所の隅にあるおみくじ自販機に100円投入。しかし、神籤は出てきません。
神籤自販機をドンドンと小突くにはさすがに私も気が引けます。雨日和なので自販機の中が湿っていて、おみくじが引っ付いているのかもと思いおみくじ出口に手を差し込んで調査するもおみくじの気配はなし。しからば、100円を今一枚投入してみると、「ガサ」っとの音とともにお御籤が5つ出てきました。
 
「ひゃ~」200円で5回分のお御籤?ともいかないので、5つのお御籤から2つだけを選び、残り3つのお御籤は、早朝で閉まっている社務所の窓に沿わしてお返ししました。
 
◎中吉:『古きをすてて、あたらしきにつくがよい あまり一つの物にとらわれて役にも立たぬ事を思ってはだめです 元気を出して捨てるべきはすて進む所へ進め』  病気:『医師を選べ』
 
◎大吉:『御祐助(おたすけ)をこうむって 福徳増しなお日に進んで望事は心のままになる しかしそれについて心驕り身を持ち崩して災いを招く恐れあり 心正直に行い正しく身を守りなさい』
病気:『信神で平癒す』 とありました。
 
「信神で平癒す」とは、治す側も自分が治しているとは心だに思わず、「神が治して下さっている」ということを信じれば、目の前の病人はどんな病気であれ、奇跡的な平癒が神によってなされるであろう。ということと、治される側からすれば、
「私は絶対、神様によって癒されることを信じています。神様、感謝します」ということなのだ!ということが意味されているのだと感じます。
 
「どのお御籤にしようかな?本当の正しい神様の言う通り!」で5つのお御籤から2つの神籤を選んだわけではないですが、神様の言う通りでした。

お礼参りと新たな祈り

24日(日)、朝6時に家を出て、上野に鎮座する医薬祖神 五条天神社に坐します、大己貴神・少彦名神様へお礼参りと新たなお願いに行ってきました。
他人に何かしらのお願いをしたら、お礼をするのは当たり前ですが、神様に何かしらのお願いをしたらば、それが成就するしないに関わらず先ずはお礼。成就したなら感謝の言葉を添えて尚更お礼するのが常識であります。


今月初めに知人の85歳になる母親の悪性リンパ腫治療・病気平癒のお願いしました。私の遠隔治療のサポートでは、『高齢であるが、この人は悪性リンパ腫では亡くなることはない。肺の炎症には気を付けるがよい』との感覚を得ました。その後知人に様子を伺うと、「おかげさまで母は退院できました。」とのこと。さすが医薬の祖神様です。

外国人観光客の礼儀知らずの喧騒を避けるため7時30分に上野に着きましたので、社務所には神官さんも巫女さんもいなかった為、神様へのお礼の手紙に紙幣を包み、賽銭箱に投入し、現代語でお礼を申し上げ、ノットを奏上して病気平癒成就の感謝を申し上げることができました。
ふっと気づくと、外国人観光客4~5名が居ましたが、彼ら視線を無視して、新たな病気平癒の祈願をしました。

自宅で書いてきたノット風神様へのお願い事のお手紙に紙幣を包み、賽銭箱に投入しました。
時間にして15分くらいでしょうか?祈願が終わり振り返ると、外国人観光客が賽銭箱を覗いていましたので、「あなた方の有り金全部を、この賽銭箱に入れて、さっさとこの神聖な場所から立ち去るのじゃ~」と言ってやりたい気持ちを抑えて、「ようこそお参りになりました」とも言えず、その場を立ち去りました。

日曜日は早朝から雨風が強く、傘を差しても全身が濡れるほどでした。上野不忍弁天堂の宇賀神様もびしょ濡れでした。水の神様ですので、病を水に流してくださいとお願いしていると、
 
 
他人に対する嫌な思いを『きれいに水に流す』こと。健康の秘訣と思い出させていただきました。

 

さすが鯛のアクアパッサ


毎年1123日は近隣の国魂大神様のいらっしゃる神社で新嘗祭をお祝いするのですが、今年は、自宅神棚に神饌を捧げて自分の大直日・神直日に太陽再生の儀式を!な~んちゃって新嘗祭を施行しました。
 
23日午前中は治療で名古屋方面へ出かけましたが、始発から新幹線下りは満席状態でした。(天皇陛下が伊勢神宮へのご報告をなさるため、陛下をひと目見ようとの人も多かったのかもしれません。)しかし、天皇陛下の日本晴れで東海道は富士も晴れたり日本晴れ、虹もかかって心も晴れ晴れでした。神奈川に戻ったのだ14時ころ、それからなんちゃって新嘗祭の神饌の準備。
(気は心、気は心と言いながら出来合いの物を心を込めてレンジでチンもあります。)
 
18時丁度に新嘗祭のノットを奏上、様々な生成発展を祈りました。
直会では、大きな鯛に苦心しましたが、ネットで見よう見まねの鯛のアクアパッサを作ってみました。
(ネットで調べた見本のアクアパッサ。私が作ったのはお恥ずかしくてペケポン)
 
家族曰く、鯛の料理がダメでも鯛なんだぁ、さすが鯛、鯛だけでもおいしいだと。(# ゚Д゚) 
 
食べつくして気が付いた!失敗したのは鯛のな~ちゃってアクアパッサを食べる前に神様に先にお召しいただくのを忘れてたことです。
 
教訓、「何事も我がことよりも神が先。」神様に先ず喜んでいただくことです。
 
 
 
 

2019年11月22日金曜日

バーロージジイ



(昨日の事:爺がね、いい年こいて「わ~っハローケティだぁ~」なんてスマホで写真を撮って、自分の後ろの気配を感じ振り返ったらね、若いお母さんがハローキティをバックにベビーカーに乗せた自分の子供を撮っていた。「ごめんなさい。気が付かなくて・・・」と謝ったら、「シッ、録画です!」とムッとされた。爺の声が入ってしまったのでした。「バ~ロ~ジジィ」)

善意とは①よい心・善良な心②他人の為に良かれと思う心。逆に悪意とは①他人に害を与えようとする心。他人を憎む心。②意地悪い味方。

社内に口密腹剣「口に密あり、腹に剣あり」で、言葉は優しいが悪意を抱いているような人が居るとストレスが溜まります。

また、社内に善意が解る人が少ないと楽しく仕事が出来ません。家庭にあっても善意が解る夫、妻でないとその関係は冷めたものとなり居心地が悪くなり、その関係は長く続きません。

世の中は全てが自己中心的となり、人と人との関係や会話や態度、心の疎通などで全く適応できなくなってきているようです。

会社でも家庭でも共同作業ができないのは、妥協したり、思い直したり、相手を認め合うといった心のしなやかさが失われてしまうからでしょう。

人は互いに助け合い、補い合ってしか生きていかれないということが身に染みて分からされる日が近いのだそうです。

他人を助けるにも先ずは「準備と心構え」が必要です。

クワバラクワバラ

2019年11月21日木曜日

産土神様憑代石エネルギー更新

私が生まれた処(信州上諏訪、湯の脇地区)の産土神社には神職が常駐していないような小さな神社。昨年産土神社の境内に落ちていた子供の拳大ほどの石を拾って、産土神の憑代(お札の代わり)にして家の神棚に祀っておりました。
 
頂いてきた小石は何者かは分析していただいておりませんが、何となく溶岩のような感じがしました。
 
(上諏訪は6000年来の温泉地であり、まさかその当時の石のかけらが現代の産土神社の境内に落ちているとは考えにくいですが、私は又の名を「思い込みの命」を自称。信じています。)
 
来年に向けて神棚を清掃するにあたり、産土様の憑代の石を信州上諏訪の源泉かけ流しで禊いでいただこうと、某温泉宿のうたせ湯で浄化いたしましたところ、その憑代石の表面に白蛇の模様が浮かび上がり、裏面には龍神の正面のお顔が浮かび上がりまして、ビックリするやら、感激するやら、恐れ多くもあり、身も引き締まる思いです。

 
(見にくいですが真ん中の茶色の石が6000年前?の石です)
 

温泉かけ流しの禊を済ませた産土様の小石を持って、早朝の産土神社の境内の賽銭箱の上にお座りいただき、産土神様を称え奉るノットを奏上。来年また1年お世話になります。



2019年11月19日火曜日

幼ごころで


那須温泉(ゆぜん)神社に参拝しました。御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
私が到着したのは土曜日の9時半。参拝客もまばらで、じっくりノット(例の太祝詞)を奏上しますと神々さんといい感じになれるようです。

神籤にも、教え:『怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる』
「言」では、また、最高のお授けを頂きました。
「言」:『人間が幼ごころを 今度は再び自分の叡智の中に見出すことを 神は待ち受けています。』

色々知識を詰め込んで、知ったかぶり知識では人も神も反応しくくれません。見返りを求めない幼ごころが人や神を動かすのでしょう。


境内社の「見立神社」でも暖かい反応を頂きました。御祭神は、天児屋根命様です。
太祝詞を唱えている最中、合掌した手の掌がブワ~ッと熱くなり、それが体全体に広がりました。
まるで温泉に浸かっている感覚に見舞われました。

境内奥に右側には、九尾稲荷神社があります。我欲の願いをする人が多いのか、ちょっと寒い感じがしましたので、稲荷大神秘文の祝詞と太祝詞で稲荷大神と眷属神さん達の神威を褒めたたえる気持ちを込めてノットを奉唱させていただきました。

「神様方、私は放屁はしておりません。私でないです。」と言い訳なんかしなくても、境内には硫黄匂が充満しておりまして、意外と結構いい匂いに感じられます。

自宅の浴槽の中での「ボフッ、パカ、プ~ン」の硫黄匂も自分のだから悪くないですね。

2019年11月18日月曜日

人間の思い上がりの末


「殺生石」の由来を先師から聞き及んでいたので、何時か行きたいとの願いが叶いました。また、金毛白面九尾は既にいないとも聞いていましたが、本当に居ませんでした。(しかし、まだ修行中の狐は上の方にキョロキョロしていましたので、気を付けなければいけません。)

「人間には不幸か、貧乏か、病気が必要だ。でないと人間はすぐに思いあがる」とは、ロシアの作家、ツルゲーネフの名言ですが、那須殺生石のちょっと下には、生きながらに地獄に落ちる伝説の教傳地蔵が祀られています。(ちょっとぉ、私に似てません事?)

人間の思い上がりが過ぎると天罰を受けるとの戒めなのでしょう。その周りの千体地蔵といい、生きながらに地獄を見る日が本当に来そうでドキドキしました。




あっ、エッ?硫黄(アエイオウ)


最近心身が圧迫されているかの感じをなんとか払しょくしようと、仕事での出張先から栃木県那須町湯本にある「おおるり山荘」の温泉に浸ってきました。出張先から電車とレンタカーを走らせ、17:30頃宿に到着。19:00・22:00翌朝4:30とたっぷり硫黄の温泉禊ぎが出来ました。源泉かけ流しでありましたが、先の大雨の影響?温泉の温度は38℃~40℃。露天風呂は外気の影響を受けていて冷泉の禊となりそうでしたので入らず終い。翌朝は、ビューティフルな日の出に合掌!ノット奉唱!お日様による禊ぎを受けることが出来、心身の重みも軽くなったようです。

8時に会計を済ませ宿を出ると、アッ、あ、葦を発見。さっそく真っ直ぐそうな葦を40本くらい刈り取ることができました。
那須与一のお導き?天候不順で毎年足を刈り取る場所とタイミングを逸していましたが、おかげで来年用の破魔矢を作ることができます。
 

さらに、「エッ、え、」矢の羽の部分に使う葉ぶりの大きなヒイラギも発見。これで来年襲い来る魔界の使者を射殺すほどの破魔矢が出来そうです。 
ッと葦を見つけ、ッっとこんなところにヒイラギが、温泉はイオ泉。続けて発声、「ア~エ~イ~オ~ウ~!」「ありがとうございます~。」最近の気分の落ち込みは、悪天候やら「揺れ」など大変な出来事の前触れ感知じゃなかろ~か?外からくる悪魔も自分の心の中に住まう悪魔も、自ら祓いに祓わないといけませんね。

12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...