人は平常時は何もありませんが、病気で苦しんだり、不安事や心配事が重なり心に深い悩みが生じたりすると、心と体が不統一になり肉体から幽体・霊体が離れ生霊となって他人に寄りかかって救いを求めたり、恨みを晴らそうとします。
また、死んだ後に肉体から離れているという自覚が得られず迷っている霊(仏教でいうところの成仏していない霊)が生きている時の様々な因縁で、生きている人に寄りかかることがあります。これらを死霊といいます。
憑依は人体のヘソの中心として起こるようですが、その付近にある太陽神経叢、腎臓、胃、心臓、肝臓、胆嚢、盲腸、直腸などに異常が現れます。
また、へそから上方に憑依があるとミゾオチや甲状腺、頭頂に現れると、のどが痛くなったり、熱が出たり風邪をひいたときの同じような症状が出て、倦怠感が起こったりしますので、コロナ感染の症状と似ています。
これらを霊的に診ると、憑依も中国武漢ウイルスも人の悪心・悪想念を媒介するようです。ちなみに、生霊は人体の右側に異常を現し、死霊は人体の左側に異常を現します。
コロナウイルスも〇〇人の生霊と考えるならば右肺が侵されるのでしょうが、体全身を駆け巡り人を死に至らしむるのですから、魔界(黄泉界)と繋がった怖ろしい憑依霊と言えるでしょう。
「倍返しだ!」も「目には目を歯には歯を」の憑依を生み出す想念(「人を呪わば穴二つ」)であることは間違いありません。
世の中、コロナ禍で共倒れのになれば大惨事です。
こんな時こそ太陽の光を浴びて、我が全細胞を慈愛に満ちた細胞に入れ替えてもらいましょう。
太陽から発せられる無尽蔵の光は、伊弉諾大御神の左巻きの遠心力(外輪)と伊弉冉大神の右巻きの求心力(内輪)とで織りなされる慈愛力(慈気力)です。出来る事は、慈気力を浴びて自分の心(思考)の穢れを溶かしてもらうことです。
お日様が出ない日には、瞼の裏のお日様でも、写真のお日様を拝してでも慈愛の心保ちたいです。度々自ら心を曇らせてしまう私のバヤイは~。