2024年9月30日月曜日

神仏は欲望が大嫌い!

 

【赤宮(じゃぐう)神社  御祭神:猿田彦命】

30年前、『病気治療で君をサポートしてくれる神さんに挨拶してきたまえ!』と啓示を受けて、浜松市内にある小さな神社に詣で、「これから多くの人の病気を治すことが出来るよう精進いたしますので、どうぞ後押しをお願いいたします。」とご挨拶をしました。今年浜松に戻ってから、「再び、この地を拠点に初心に帰り病気治療に励みます。どうぞご指導のほど、よろしくお願いいたします。」と私の決意を申し上げることが出来ました。

神様の気を発しておられる神社は数多くありますが、この赤宮神社には、人が多く参拝される神社ではないようですが、神の気を発せられている神社の一つです。


逆に、多く人が集まるパワースポットと呼ばれる神社ほど、神様はおられないような気がします。

パワースポットで脚光を浴びている神社仏閣では、多くの人がそれぞれの欲望のお願い事を祈願して熱心に拝むからか、神様は人の欲望がお嫌いなので、お逃げ隠れられるようです。また、あまりにも身勝手な人間の欲望の陰の渦に、神様が縛られていたケースもありました。※(お寺で神の気を発せられているところは、ほとんどありません。霊の気ばかりです。お寺では、「総持寺」に詣でた時、巨大なお釈迦様がお出ましになられたことがありました。神の気に近いものでした。)

人間の自分勝手な欲望は霊障を招くのは本当です。ですので、神社やお寺・お仏壇でも、自分の勝手な欲望を必死になって願ってはいけません。

神社やお寺での神仏がお喜びになるのは、神仏への感謝の言葉です。感謝の言葉で最強の言霊は、「神様、ありがとうございます。もったいのうございます。」です。ご先祖様にも「ご先祖様、ありがとうございます。」です。真心こめて感謝を申し上げ、「まこと心」で日常を過ごすことが大事であり、開運となるのは本当の事です。

※神仏にお願い事をしてはいけません。

中には、「ありがとうございます」などの感謝の言葉を、何千何万回唱えれば希望が叶い、開運となるかと聞いてくる方がいますが、神仏は、駆け引きや損得勘定はお嫌いです。

賽銭も、神饌も、お供物も、真心、「まこと」のこもったものでなければ、神仏には通じません。

2024年9月24日火曜日

10月のちょっと欲張っちゃった「かんくり」の予定

 

(手なぐさみ)

10月 5日() 令和6年度 猿田彦神社 奉賛講大祭参列

          (皆様も猿田彦神社の奉賛講に入講され、猿田彦大神様のご縁をいただかれますように。)

10月 6日() AM 8:009:30奥山半僧坊P公園の清掃奉仕作業

10:0012:00振魂天津祝詞之太祝詞惇探求

PM、直接&遠隔治療・タナスエノミチ伝授及び研鑽

10月12日() AM、サツマイモ収穫。(売るほど無い) 

PM、直接&遠隔治療・タナスエノミチ伝授及び研鑽

10月13日(日) AM、奥山半僧坊「奥の院」参拝・かんながらの道探求 

PM、直接&遠隔治療・タナスエノミチ伝授及び研鑽

10月14日() 終日、直接&遠隔治療・タナスエノミチ伝授及び研鑽

10月19日() 神社参拝(引佐・細江・舞阪)※3人まで乗車可

10月20日() 終日、直接&遠隔治療・タナスエノミチ伝授及び研鑽

10月26日(土) PMかんながらの道振魂天津祝詞之太祝詞惇の探求

10月27日(日) AMかんながらの道振魂天津祝詞之太祝詞惇の探求


産土神様からご褒美を賜る?の巻

 


22日(日)、産土神社の草取り奉仕作業に、初氏子として参加させていただきました。雨降る中、約1時間30分、10名くらいの氏子が境内を手分けしての草取奉仕作業です。

私はちょっと長い階段脇の草取り志願。階段の途中の石垣下に、長く伸びた御蛇様の抜け殻を発見!

「これは地の神様の眷属神さんの抜け殻じゃぁ!持ち帰って家で祀るがよい!」と、勝手に直感。ならば草刈奉仕作業後に持ち帰ろうと、こそっと丸めて石垣の隙間に隠しおき、奉仕作業終了後、石垣からそっと取り出して、誰にも気づかれることなく家に持ち帰りました。

(※自ら進んで困難な場所の清掃をかって出たことへのご褒美ですね。)

その日は、知人宅の宅地建物のお祓いがありましたので、床の間にお祭りした産土神様の眷属神様にもエネルギーをいただいて、お祓いをさせていただきました。

「はい~っ、終了で~す。皆さん、お疲れさまでした。終わってくださ~い。」との掛け声も聞こえないほどの無心奉仕作業は、疲れ知らずです。雨で心の穢れも祓い清められた感じで清々としました。

2024年9月20日金曜日

神様の願い『慈愛力と感謝力は地球を救う』

 


神様が最も望まれていることは、多くの人が、安全で健康で順調に生成発展し、感謝の心をもってこの世で過ごすことなのだそうです。

大いに自己の言動と良くない性格を反省し、「慈愛力」「感謝力」を盛んにし、

「祓え給い 清め給え 神ながら 守り給い 幸え給え」と祈念して、神様に手を合わせ、

「心の免疫力」を高めましょう。

「慈愛力と感謝力は地球を救う」

2024年9月18日水曜日

延喜式内社 「須部神社」

須倍神社(すべじんじゃ)は静岡県浜松市浜名区にある神社で、延喜式内社で遠江引佐郡六座のうちの一つです。社伝では、人皇58代光高天皇の仁和3年(887年)の建宮とされています。鎮座地である都田町は伊勢神宮の御厨として発達した土地であるため、祭神は神宮を勧請したものだそうです。

(実妹の嫁ぎ先の産土神社。今年は地域自治会の班長で、お祭りの準備やしめ縄作りで大変だそうですが、奉仕のし甲斐がある神社だそうです。妹談)

神明造りの須倍神社のご祭神は、天照大御神はじめ多くの神々、日本武尊、神武天皇、菅原道真公、鹿島・香取・熱田神宮同神など70柱の神々をお祀りする大変珍しくまた由緒正しき神明宮で、別名を寄宮とも称される霊験あらたかな神社。というのも、利益を求めて東奔西走しなくても、須部神社の70柱の神々が御祈願の事をお聞き届け下さるので、御祈願は須部神社一つ処で事足りるのだそうです。

須部神社の内宮本殿(千木は内削、鰹木6本)には、                           ◇主祭神:天照皇大御神  ◇相殿神:天手力男命・拷幡千々比売命                            外宮本殿(千木は外削、鰹木は5本)には、                         御祭神:豊受姫大神  相殿神:皇孫邇々藝命・天児屋根命・天太玉主命が、祭祀されおり、さらに外宮には、都田村内69社が合祀されています。

                                      

また、境内社の秋葉神社には、火之迦具土命が、津島神社には、姥神社:建速須佐之男命・石凝姥が祭祀されています。

私は縁あって須部神社宮司が執り行う神葬祭にも参列させていただきました。宮司が素晴らしいと、氏子達も迷わず幸せへのあの世への道を進むことが出来ると感じました。

生きている人は、宮司に神様へのお取次ぎをしてしてもらいましょう。

御手洗に参拝のあかしを張り付けなくても、神様は何でも「お見通し」なのよ。

十五夜 お月見 里芋の煮っ転がし

 


昨日は十五夜お月見。里芋の煮っころがしを生まれて初めて作り、神前に捧げ、プリン体、糖質ゼロのイモ焼酎で味わわせていただきました。

家の近くに地元の農家さんの作物を販売するところがあり、先の日曜日に里芋を一袋買っておりました。里芋の煮っ転がしは昨日が十五夜であったので、帰宅後に作りました。袋から取り出した里芋は何と15個。十五夜お誂え用です。

インターネットで作り方を参考にしながらの料理でしたが、我ながらおいしく出来ました。

お膳にはススキがあれば映えましたが、残念でした。

今日19日が満月だそうですが、満ちるちょっと前がいいです。

地殻変動など、ちょっと心配なこともありますが、「祝ひおさめて、心鎮める」ことが出来ました。

日本に生まれて幸せです。

2024年9月13日金曜日

日本古来の「徳育」の大事

 

(百日紅:さるすべりの花。さる=シャール=神:バビロニアでは)

明治天皇御製を拝誦させていただきます。

明治天皇御製

神祇

いつはらぬ神のこころをうつせみの 世の人みなにうつしてしがな

(口語訳:まっすぐで偽りのない神の御心を、この現実の世の人すべての心に映して、すがすがしい世にしたいものである。 M.44) 「ありがた~い。」

天地(あめつち)のなしのままなる世のをしえ まもる心ぞ身のまもりなる

(口語訳:大自然の摂理そのままを、世の中の教えとして守る心こそ、身の守りとなるのである M.37) 「生きる指針としま~す。」

教育基本法では、第一条において、教育の目的を、「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」と定めています。そして、第二条において、教育の目標を、知・徳・体の調和のとれた発達を基本に、自主自律の精神や、自他の敬愛と協力を重んずる態度、自然や環境を大切にする態度、日本の伝統・文化を尊重し、国際社会に生きる日本人としての態度の養成と定めています。

こうした教育基本法の規定も踏まえると、「徳育」は、「社会(その国、その時代)が理想とする人間像を目指して行われる人格形成」の営みであり、幅広い知識と教養、豊かな情操と道徳心、健やかな身体をはぐくむという、知・徳・体の調和ある人格の完成を目指す教育の根幹を担うものであると言えるとしています。って、いいこと謳ってはいても、中身が伴いませんね~。

人間の健康を維持するにあたり、食育ほ当然、徳育の大切さを感じます。

14日(土)は健康維持のための治療中心ですが、少しでも日常生活に「徳育」を心がけていただくべく、講習は出来ませんが、「徳育」の資料として、「教育勅語」「五か条のご誓文」の真解、ベンジャミン・フランクリンの自叙伝「13の徳育」を抜粋してお配りします。

我々大和民族は、古来から一貫して、一旦、天変地異や国難や、家族・一族郎党、地域住民の村などが、難渋に直面した場合に、何はさておき、神明の前に参進して、その都度ことの仔細を奏言することが慣例となっていました。つまり、神明のご加護にあやかるというよりは、むしろ神々に向かって、ご照覧を乞い奉らんと願ったのでした。

つまり、いずれの時代であれ、大和民族の子孫が、大試練に遭遇すると、老幼も先を争って産土社に参進し、民として尽くすべき道を明らかにして、その達成を明らかにして、その達成を誓うのが当然の慣行であったのでした。

民がこのようであるので、神々は民の志を憐れんで幼い子達の身の上までもご加護を垂れ給わったのです。これが徳育の恩恵でしょう。

※また、今の世の祈願のような祝詞は、仏教が日本に入ってくる以前の日本では、非礼の所作であったとのことです。

な~んでか?

元来、日本の神道というものは、仏教に見受けられるような御陀の慈悲を無辺であるとして衆生に来世の幸福を説くものではありません。又、キリスト教のように、キリストの愛を限りないものとして、迷える子羊に、その糧として日々の感謝を説くものでもありません。

日本の神道は、神随らの道であって、大自然の摂理そのままを、神の教え、世の教えとして、日本民族の子々孫々を古事記・祝詞・長老・親の後ろ姿=日々の語り部としての地位に就かしめていたのでしょう。そして、元の神道は、このようであったがために、仏教のような万巻の経文も、キリスト教の聖書も、今はやりのスピリチュアルの絵空事(ちょっと言いすぎ)も必要としませんでした。

いつはらぬ神のこころ  天地(あめつち)のなしのままなる世のをしえ も、禊ぎ(身禊、耳禊、口唇禊)あってこそ。素直なる「やまと心」「まこと」を以てしかいただけないのであると、先師の受け売りを大いに受け売っちゃいます。

日本古来の徳育は、単純なるがゆえに、また、知識や哲学など思考の延長線上にはないので真解・体得は難しい時代になっちゃいました。

そうであっても、まず親が体得して、子々孫々に伝えていかねば、日本は滅びるかもしれません。

2024年9月10日火曜日

佐賀美(さがみ)に噛む「口唇の禊」

 

神社の御手洗の水を口に含んで、勢いよく霧吹きする人は全く見かけません。私は参拝客がいない時に限り、ブハーッと「さがみに噛み」ます。

これは口唇の穢れを祓う行為です。

「婿殿!なんですか?はしたない。中〇家の恥です。リツしっかりと作法を教えてあげなさい!」と言われようが、御手洗に人がいるときでも、「祓ひ給へ清め給へ」と祈念して口に水を含んで「プ~」っと控えめではありますが、気持ちは「さがみに噛んで」天津神・国津神の神にならって、常日頃からの言葉の穢れを祓うことで、神様に対座させてもらうことができると感じています。

言葉の禊です。

禊の意義とは、神の存在を自ら確認することであると先師から教わりました。滝に打たれるばかりが禊の修行ではありません。日々の生活も大事な禊です。

神様に恥じない行動をとるようににし、十分に考えてから発言し、行動をとることです。特に嘘を言わない事! 小さいことと思われることでも人を騙してはいけないし、自分を騙してもいけません。すべてにおいて思慮深くあることです。と先師。

人間は自己欺瞞に陥りやすい生き物であると気づくことが大事でした。

一語一語(ストロベリー、ストロベリー)に気をつけて、自己欺瞞にならないよう気をつけて発言してゆけば、人は神様からの御頼(みたまのふゆ)を沢山いただいて、良き人生を歩むことができるのであると、先師。

遠隔であっても、治療の前には口唇の禊で「ブハ~ッ」と。

自分の感覚(自力)に頼ることなく、神様の御言葉に立つことが出来るので、安心で楽に治療が進みます。

各神社で、霧吹きマンや霧吹きウーマンが増えて、神々様と対座されんことを祈念いたします。

しかし、世の中、「口唇の穢れ」の嵐です。それを交わす言葉は「ハイ~ッ」ですね。

2024年9月9日月曜日

和歌知古ワカチコは温故知新

 



昭憲皇太后の御歌を拝誦させていただきます。

世の中に生きとしいけるものみなも 思うことなき日はなかるらし

(訳:この世の中に生きとしいけるものは皆それぞれに、何かしら思ったり、考えたりして、そんなことが何一つない日というのは、なかなかないようです。M41)

衛生

かりそめのことはおもはでくらすこそ 世にながらへむ薬なるらめ

(訳:その場限りのはかないことに、くよくよしないで暮らすことこそ、この世に長生きするための良薬というものでしょう。M42)

日々の情報(事件事故災害のニュース)をほとんど入れないでいると、安らかにいられる気がします。耳や目に入ってくるマイナス的な情報に、一喜一憂して、自分も巻き込まれるのではないかと心配していると、それが穢れとなって、自分の健康を害します。

※病院の先生が下される診断結果も情報も、元気が奪われます。

くよくよしないで暮らすことを、よくよく考え実行しましょう。

明治天皇御製と昭憲皇太后の御歌(明治神宮の御神籤になっています)を、朗々と謹んで拝誦させていただくと、ちっちゃいことなど気にしなくなります。(ワカチコ ワカチコ~)

和歌知古ワカチコ温故知新:和歌には日常を安らかに生きるメッセージが沢山あふれています。新しい情報を詰め込んでも、頭が混乱するばかり。和歌・御製・御歌には、故を温めて新しき生き方考え方を知ることが出来るのです。)

2024年9月8日日曜日

異常気象で「俺たち何か悪いことした?」に思う

 


大雨が続く中、TVインタビューで「俺たち何か悪いことした?」と答えた人に対して、同調こそしないが、何か起こると、自分のことは棚に上げて、他人や行政や国や環境のせいにして批判ばかりを重ねてしまいがちな世の中の風潮に、自分自身の「自己反省の精神」の欠如を感じました。

謹んで明治天皇御製を拝誦させていただきます。

明治天皇御製
をりにふれたる
天(あめ)をうらみ人をとがむることもあらじ わがあやまちをおもひかへさば(M42年)
(訳:天を恨んだり他人をとがめたりすることもあるまい。自分自身の過ちをよくよく思い返して反省をふかめてみれば。)

をりにふれたる
なにごともうつればかはる世の中を おもふがままになるとおもふな(M44年)
(訳:何事につけても時勢が移れば自然に変わってゆくこの世の中を、おのれ独りの思うままになるなどと勝手に考えてはならぬ。)

述懐
よこしまに思ひな入りそ世の中に すすまむ道ははかどらずとも(M44年)
(訳:この世の中を本来よこしまなものと思い定めてはいけない。たとえ自分の進もうとする道が思い通り順調にはかどらなくても。)

大御神の御心には分け隔ては無いけれど、人間よりお誓い申し上げる心(「まこと」をもって世のため人の為尽くします)の厚い薄いによって、幸福を受けるのに深い浅いができるのでしょう。また、「天は自ら助くる者を助く」と言い伝えられているように、神様も清く、明るく、正しく、生活する人を守護してくださることでしょう。

罪の生活(よこしまな考えや行動、われのみ良し、物金第一主義など)をしながら、神様の最大の祝福を望むことはできないのです。

日々の生活において、完全に悪から離れなければなりませんね。

「天津祝詞」「大祓祝詞」を唱えさせていただく自己反省の日々の私です。

※「自己反省の精神」は日本皇統の伝統的道徳の神髄であり、我々日本民族の伝統的道徳でもあります。もう一つの「仁慈の精神」とあわせて、14日の治療会では「教育勅語」で研鑽しましょう。」

12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...