2022年11月27日日曜日

神おはす

 

(上諏訪の手長神社)

朝8時。宮司の太鼓が打ち鳴らされと同時に、上空の幽宮から神々が降臨される感じを受けました。

太鼓の音により、私の異心が御そがれました。

我が国日の本は、神おはす国。我ら日本人は、神の末。我らの先祖は神様と改めて感じます。


来月12月25日に可児市で行う大祓&勉強会で、参加の方にお伝えすることのヒントを一つ頂きました。


御社宮司様

 

(旧石器・縄文時代の古代の人が祈りを捧げていたミシャグチ神をお祀りする祠)

私が生を受けた土地の産土神様。上諏訪に鎮座される手長神社の境内社。太い大きな木の下に小さな祠があり、丸い石が収められております。

この祠の前で、産土神様への感謝のノットを奏上。「オォォォォォ~」と警蹕をかけます。

すると、太い木の上から杉の木の葉がシャラシャラシャラと禊の滝のように降りかかり、気の上からサーッ神様が下られたような感じを頂きました。

何も期待することも、願うこともなく、只々この世に生を受けたことの感謝のみ。誠に感謝感謝の感動でした。

(ミシャグチ神様と龍神様?)

木の上には、神様のお姿が、なんて創造出来て、さらに感激です。

2022年11月23日水曜日

破魔矢~っ

 

(年越之大祓、恒例(高齢)の年末のプレゼントの「破魔矢」です)

11月5日に某所で刈り取った葦の茎に、某所に生息していた柊の葉を羽にして、古代の破魔矢を作り上げました。恒例の年末の作業です。(完成したのは31本で、年越之大祓勉強会&治療会でのプレゼントです)

葦も柊の葉を昨年と同じ時期に収穫しても育ち方や葉の大きさも昨年と同じようではありません。気候が変化しているからでしょうか、今年は足の茎が堅くは太いのが多く、柊の葉は大きなものが収穫出来ました。

人間の生活環境も、企業の成績も、また、利益を上げる手法も、以前はこの方法で良かったのが、まったく通用しない時代です。

にもかかわらず、未だに「昔の良き思い出よ!今一度と」願っても、祈っても、我のみ良しの傲慢な考え方や、他人を物あつかいするようなことでは、どうすることもできないばかりか、存在が出来ないようです。

全くうまくいかないには、自分に訳があります。心のゆがみ=気懸り事です。

破魔矢は外からやってくる魔物や邪霊を除けてくれるのですが、魔物も邪霊も自らの心の穢れが呼ぶのですから、自分の心の歪みに気づき、自分の心の穢れを自祓しましょう。さすれば、この混迷の世の中を乗り切ることが必ずできます。企業も変態が必要ですが、倒産は免れましょう。3年間の辛抱です。

破魔矢を再作しているうちに、自ら招いた穢を自祓する神語が、口をついて出てきます。その意味は、大和言葉の言霊で解することが出来ました。12月25日の大祓の勉強会でお伝えします。



新嘗祭(ニイアヘマツリ)

明治天皇 御製

をりにふれたる

豊年の新嘗祭ことなくて つかふる今日ぞ うれしかりける

口語訳:稔り豊かなこの年の新穀を神々にお供えする新嘗祭。一年の農事が何の障りもなく例年どおり御祭りを迎えたことは、まことにうれしい限りである。(M.36年)


(猿田彦神社の御神田:猿田彦大神が邇邇芸命に田植えを教えた)

「勤労感謝の日」の由来~新嘗祭  

「勤労感謝の日」は、新嘗祭(にいなめさい)という祭祀に由来します。「新」は新穀、「嘗」は奉る、舌の上にのせて味をためすという意味で、「新嘗」はその年に収穫された新穀を神様に奉って恵に感謝し、口にすることを表しています。新嘗祭の歴史は古く、『日本書記』には飛鳥時代に行ったという記述があります。とは、一般的に云われていることですが、間違いがあります。

「嘗」は、「舌の上にのせて味をためす」?犬でもあるまいし、ペロペロするという意味ではありません。「嘗」はナメではなく、「アヘル」(和える)という意味です。神様がお食べになる新米を、神様と一体となって(アヘテ)感謝していただくという意味です。


現在でも、新嘗祭は宮中をはじめ全国の神社で行われており、五穀豊穣を祈願する祈年祭と相対する重要な祭祀とされています。とくに宮中では、天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、その新穀をお召し上がりになります。新嘗祭は宮中恒例祭典の中の最も重要なものとされ、新天皇が即位の礼の後、初めて営まれる大規模な新嘗祭を大嘗祭(だいじょうさい)といいます。が、※本当は「オホニアヘマツリ」といいます。

 新嘗祭が「勤労感謝の日」になったのは1948年(昭和23年)で、戦後のGHQの占領政策により改められました。これは残念なことですが、本当です。


2022年11月12日土曜日

直く正しき真心持ちて、記憶力を取り戻せ!

 

様々な体の不調の改善には、日光浴が良いと言われています。

認知症なども日光浴がいいのです。

※ただし、窓ガラス越しの日光浴はビタミンDが合成されないため、残念ですがNo Good。

光を眩しく感じる人は、写真のように木々の葉に翳して太陽の光を見れば、5分でも10分でも太陽の光を裸眼で見ることができます。(サングラスではいけません)

特におすすめの日光浴は日の出の日光浴。朝日を裸眼で見ることです。目から入ってきた太陽光は、ドパミンも増えて、脳細胞(特に海馬・扁桃核)内の汚れやゴミを昇華してくれるのだそうです。(朝日の日光浴を勧めてくれるDr.もいますが、神様もGODがGOODといわれるので、間違いはありません。)だから、認知症の人が朝日を見ていると治るのでしょう。

また、朝日を裸眼で見て拝んでいると、脳内のホコリだけではなく、心の汚れまできれいになるので、一石二鳥な心身健康法ですね。

私は心身ともに汚れやすい体質(穢れやすい性格?)なので、就寝前には「今日は悪い心を持って、ごめんなさい」と反省して、翌朝には、体をくの字に曲げながら悪い心を吐き出して、「今日一日我が心身を汚しません」と宣言して日拝しています。※お日様の出ない日は、「日の丸」を拝します。

日拝のノット・祝語の大事なところは口伝でしか伝わらないことが多いのですが、直き、正しき、真心でもって「感謝」を申し上げればOKです。

認知症の治療でも、日の大神様(太陽)からの光を脳内に注ぎ込むというイメージで行えば、記憶力も(性格も)改善されますよ。


験担ぎにどうぞ。

 (宇賀弁財天:上野不忍池)

諏訪の大明神は、龍蛇神とも宇賀弁財天ともも言われています。
商売されている方は、家の戌亥(北西)に、上の宇賀弁財天をプリントアウトして、辰巳(東南)に向けて、貼り付けておいたらいいでしょう。

(じーっと見ていると、幸せと財産を奪われるかも) 

宇賀弁財天は、(辰巳)東南からやってくる、人々の幸福や財産を奪い災禍を及ぼす荒神の家来の三悪神を象徴する「カエル🐸」の障礙の働きを封じてくれるのだそうです。
(※三悪神とは、「貪」「瞋」「痴」の三障の化身の荒神)

戌亥(北西)の方角を富や福の源泉として祭祀することはが古来よりあります。

上野不忍池の弁財天堂や諏訪大明神(宇賀弁財天)がおられる諏訪大社への参拝も、神々様とコンタクトできる方とご一緒されるといいですね。



2022年11月8日火曜日

毎日の祓い清め

 

大御心の365日。残すところ54日です。

国内も世界も「どうかしてるぜぃ!」と、嘆いてはみてもどうにもなりませんが、少しでも良い考え方を、次世代に残してあげたいと思う次第です。

明治天皇御製(M.40年) 「述懐」

よこしまに 思ひな入りそ 世の中に すすまむ道は はかどらずとも

口語訳:この世の中を、本来よこしまなものと思い定めてしまってはいけない。たとえ、自分の進もうとする道が、思い通り順調にはかどらなくても。

明治天皇御製(M.44年)「をりにふれて」

なにごとも うつればかはる 世の中を おもふがままに なるとおもふな

口語訳:何事につけても、時勢が移れば自然に変わってゆくこの世の中を、おのれ独りの思うままになるなどと勝手に考えてはならぬ。

この世の事は、自分とは全く関係のない世界ではなく、自分の考え方や生き方が、長いものに巻かれたにせよ、大なり小なり反映されているのだと思うと、自分の傲慢な考え方や生き方であったことが、とても残念です。

大御心の365日で毎朝、祓い清めていただいております。

信じること

 

明治天皇御製 

いにしへの 姿のままに あらためぬ 神のやしろぞ たふとかりけるM.45年)

口語訳:昔のままの姿を伝える神の社をおろがむことは、日本民族の生命の源をしのぶことです。

 わがくには 神のすゑなり 神まつる 昔のてぶり わするなよゆめM.43年)

口語訳:我が国は神の後裔である。神を祭るという昔からの習わしを決して疎かにしてはいけない。

 我々日本人は、大御神の分霊(ワケミタマ)を頂いている大御神の末裔でることを理解し信じる事が大事です。そして、大御神の御心に親疎(分け隔て)は無いということも事実です。

それではなぜに人によって幸福に深浅があるか?ということですけれども、人間より大御神様にお誓い申し上げる心の厚薄によって、幸福を受けるのに深浅が出来るのでしょう。

 

正しい信仰は、大御神を初め、正しい神々を祈り奉ることであり、遠い先祖の追福を営むことが、我々日本人の祖先礼拝(感謝)の基本ですね。


2022年11月6日日曜日

感謝感激天(アメ)阿波礼(アハレ)

 

(興玉大神 御名 猿田彦大神) 

お礼参りがしばらく叶いませんでしたが、8波が高くならないうちにと、二見興玉神社、猿田彦神社、伊雑宮、お伊勢参りが叶いました。かなりハードな感謝・感激ツアーでした。

御利益なんぞ言挙げせずに、ただただ感謝で神様に向かいますと、具体的なお示しを頂きました。

二見興玉神社でお頂いた御神籤の「神の教」には、                 『小さき榊のその一枝に、心込めたる御玉串                     神様と結ばれる心の糸は清くなければならない。清くなければ、神様に心は通じない。世の爲、人の爲に汗をかくて紡ぐ清らかな心の糸こそが、神様と結ばれるかけがえのない絆である。神前に供える榊の小さな一枝に、心を込めてお祈りを捧げ、神様の御心に寄り添い生きることが、神様の御末たる人の務めである。』とお諭し頂きました。

ちょっとしたことで有頂天となり、他人と比較して、小さき事でも欲をかく、GET、ゲットの浅ましき世の中に流されず、「世の爲人の爲に命も長く尽くさしめ給え」と、お誓いした次第です。

 





12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...