2022年12月31日土曜日

今年1年 お疲れさまでした。

 


今年も今日で晦日です。心と住まいの大掃除はお済でしょうか?
今年、精一杯やり切ったという人も、やり残したことがあり、後悔している人も、良きことも悪しきことも一切を捨て去ってしまわないと、新しき年を気軽に身軽にスタートができません。
明治天皇の御製に、次の御製があります。

歳暮 
をしめども今年はくれぬあたらしき 初日のかげにいざやむかはむ (M.17)

(いくら惜しんでも、今年1年は暮れてしまった。さあ新しい年の初日の光に向かって、新しい歩みを踏み出そう。)

また、神籤で頂いた「神の教え」という命(みこと)葉には、

人知れず思ふ心のよしあしも 照らしわくらむ天地(あめつち)の神

神様はなんでもお見通しです。自分に偽ることなく、神様にもはじることなく、雄々しく1年を乗り切ろうと思います。

来年は、身も心も本当にしっかりしないと大変な年になりそうです。
国土も経済も誠に不安定ですが、直き正しき真心持ちて事にあたれば、安全で快適に進むことが出来るでしょう。

2022年12月29日木曜日

良きことが来る手筈とは


 昭憲皇太后 御歌 「述懐」 

 日にそへてなにくれとなく思へども おもふかひあることぞすくなき

(気がかりなことを、日を重ねるにつれてあれこれと、とりとめもなく思うけれど、その結果、思っただけの効果が実るということは少ないものです。)

 さまざまのものおもひせしのちにこそ うれしきこともある世なりけり

(当面する大事な問題について、あれやこれやとさまざまに思い悩んだ後にこそ、はっと心が開けて解決の道がつき、うれしいことに出会えるのが人の世であります。)

 昭憲皇太后 御歌 「歳暮」  

 家ごとにちりを払ひて日の御旗 たつらむ年をまつやたのしき

(歳末には家ごとに掃除を済ませ、やがて日の丸の旗が家門に飾られる新年を待つのは、何とも心楽しみなことです。)

せめて掃除だけはやり残しがないようにと頑張りました。明日AM中にはパーフェクト?

ついでに、気がかりごとも一掃できれば尚OKです。

心の穢れは、自業自得の異心です。来年まで持ち越すことなく、一切を水に流しましょう。

良きことが実現する手筈です。

1年の振り返り

 

(御殿場に鎮座する神場山神社)

阿倍仲麻呂の歌に
いざ子達 狂行(くるない)なせそ 天地(あめつち)の かためし国ぞ 大和島根は
という歌があります。
意味は、(さあ人々よ!たわけた事をしてはいけない。天地の神々が力を与えて固めた国なのだ。この大和の国は)です。

明治天皇のM.43の御製には、
おのが身はかえりみずしてともすれば 人のうえのみいふ世なりけり
意味は、(自分自身のことは顧みもしないで、ともすると他人のことばかりあれこれと悪しざまに言う世の中である)です。

1年を反省し顧みてみると、自分も世の中の思い考え感情に何となく合わせてしまって来たなぁと、反省しきりです。


来年こそは、国も自分も雄々しく生きていものです。

2022年12月28日水曜日

大祓

 


 

ご報告です。

お預かりした紙人型を、神社で大祓詞を奏上後、大きな川の河口近くに向かい、大祓ノットを唱えながらサスラ姫様にうやむやにしていただくべく、川に流させていただきました。

昼の12時のサイレント同時に大祓を始めたのですが、大祓終了後の頭上の太陽に私も大祓していただきました。(太陽の下の雲は波しぶきの態で、彩雲も見えました。)      日(火)と水(波)と風(強風)でもって、大祓させていただけて感謝感激でした。

皆さんには、勉強会でお伝え出来ました神語(口伝)を唱え、朝、東に向かい己が作った穢れを日々謝罪してから吐きだし、その後に太陽様のエネルギーを体に充満させてください。単純なことですが(口伝の)意識が大事です。

また、古事記が教えるイザナギニミコト様が行った本当の禊を、各家庭でできますので、お伝えした通り大みそかには特に行ってください。これも簡単に(湯+塩少々+お酒少量+八の字混ぜ混ぜ)できますが、信じる力と正しい意識が必要です。

今年1年の穢れを各自でお祓い下さいね。


2022年12月17日土曜日

混迷の世を生き抜くための、私のひとすじの信

 

天照大御神に対する信仰は、天照大御神は時間・空間を通して、全宇宙の中核体であり、天照大御神の神意・神恵の及ばない世界や存在はないという確信から生まれています。

ですので、天照大御神から離れた存在や天照大御神に対立する存在はあり得ないと知るのです。 

さらに、天照大御神から離れた存在の地獄や邪神邪霊、迷霊や因縁などは存在しないのです。

同時に、天照大御神の神意、すなわちミコトのままに思い、ミコトのままに生きる神ながらの信仰と生活のみが、この道による生き方であり、日本人の正しき道なのです。

(※ミコトとは、大御神から頂いた各人のこの世での使命です。)

そして、人が大御神に与えられたミコトを忘れて、自我心を中心とするとき、対立的行動・対立的信仰に陥りやすいのです。

神の道の本質を十分自覚し、体認しなければなりませんね。

八咫烏、おった!

(浜松高塚の熊野神社でヤタガラス発見!)

静岡県浜松市高塚駅から歩いて3~4分のところに、熊野神社があります。その鳥居前の右手に八咫烏(ヤタガラス)を発見。わかりにくいですが、足が3本あります。日本サッカー協会のシンボル、マスコットガラスです。(作りものですが、よくできています。)

父親がスズキ自工で永年お世話になっていましたので、父親を背負って(霊体)の参拝です。
で、父が言うには、「あの世での八咫烏は、人間の姿である。足の速い(=行動の速い)人間(国つ神)のあだ名が八咫烏」なのだそうです。

なぜ、亡き父が八咫烏と対面していたのかですが、父は若き頃マラソン選手であったその縁なのだそうです。

ちなみに、古代のサッカーといえば蹴鞠(ケマリ)ですが、ケマリの特異な神様は、猿田彦大神です。

ちなみに私は小中高とサッカーをやっていました。それで猿田彦大神とのご縁を頂いているのか~と一人納得しています。

(自分があっちに逝ったら、猿田彦大神にお会いできることを夢見ています。)

ちなみに、~彦は日子なので、天津神が天下って国津神として国土を開拓されましたので猿田日子→猿田彦なのでしょう。しかし、猿はあだ名ではありません。
本当のお名前を、田彦大神(さだひこおほかみ)とお呼びします。







 

神様は「お見通し」であるということ

 

神社の建築が古代の姿をとどめ、大祓詞が古文の形を取り、神職が古代の服装を用いる理由は、神霊に最も近接するものであるからでしょう。古代の制度や古式に従うことは、神霊は不変で恒常であるとの神理の現れです。だから我々参拝する者の神前での立ち居振る舞い、所作は古代からの所作に乗っ取ったものでなければ、神様に通じません。


神社拝詞

掛けまくも畏き 〇〇神社の大前を拝(をろが)み奉りて 恐み恐みも白(まを)さく

大神等(おほかみたち)の廣(ひろ)き厚き御恵(みめぐみ)辱(かたじけな)み奉り

高き尊き神教(みおしえ)のまにまに 誠の道に違ふことなく 負うひ持つ業(わざ)に

励ましめ給ひ 家門(いえかど)高く身健(みすこやか)に 世のため人のために盡(つ

く)さしめ給へと 恐み恐みも白(まを)す


神ながらの道は、祈願ではありません。神様から頂いた使命(これを命・ミコトという)を

誠の道に違わずに、果たします!との決意表明です。

神様は何事も「お見通し」ならばこそですね。

直(なほ)き正しき真心持ちて

 

(上諏訪の先宮神社)

今年の漢字一文字は「戦」だそうですが、そうだなと選んだ方もそのまんまで、なんか変な感じです。神様は、キナ臭さがお嫌いです。

(ちなみに、神前に線香は焚ないでしょ。また、魚を神饌として差し上げるときは古代では、血の出ない漁で得た魚を差し上げます。焼肉ジュージューの匂いや、タバコの煙、匂いもお嫌いです。)

今年1年振り返って思うことは、私も知らず知らずのうちに、何事につけても心穏やかでなく、世界のイライラ、文句たらたらのマイナスエネルギーの影響を受けてしまっていたなぁ~と、反省しきりです。

明治天皇御製 「をりにふれたる」M.42

天をうらみ人をとがむることもあらじ わがあやまちをおもひかへせば

(口語訳:天を恨んだり他人を咎めたりすることもあるまい。自分自身の過ちをよくよく思い返して反省を深めてみれば)

また、「我が国の人の心直なれば、外また直なり。その心曲れば、外また曲れり。心は体、外は影なり。影の曲れるに恥じて、あめの神の教えを守るべし。」(多度明神の神託)

を思い起こすにつけ、世のイライラ、文句たらたらに同調した自分を反省するとともに、来年はさらに大変な時代になるとの予感に、「外の何事にも波長を合わせまい、そして、来年こそはと、」ひそかに心決めをした次第です。(多度明神の神託とありますが、「あめの教え」とは、天照大御神の神託でしょうか。)

 (※来年は、大変の大変。再来年は、大変の大変の大変!どのような大変さであるかは、25日にお伝えします。)

どのような大変であっても、

直(なほ)き正しき真心持ちて、真の道に違ふことなく、負い持つ業に励まし給ひ、家門高く、身健やかに、命もながく、世のため人のために盡さしめ給えと 恐み恐みも白す~。

で切り抜けられます。


いたづらに年のひととせすごしきて

明治天皇御製 ちはやぶる神をまつりてこともなく くれゆく年をいはひけるかなM.35

(口語訳:はげしい霊威をお持ちになった神をお祭り申して、何の障りも無く静かに暮れてゆく年の幸いを、心謹んで祈ることである。)

今年も残すところ半月を切りました。

私の心は、昭憲皇太后のM.19年の御歌 「年暮」

いたづらに年のひととせすごしきて 残る日数ををしみけるかな (口語訳:むざむざとこの1年を過ごしてきて、はっと気がついた残るわずかな日数が、しみじみと惜しいと思われることです。)と、恐れ多くも同じです。

しかしながら、我々はおかげさまで、日々に正系の神々(皇祖皇宗の神々)をお祭りすることで、大変な世の中にあって何の障りも無く、静かに暮れてゆく年の幸いを、心謹んで祈ることが出来そうです。

 

大祓と正しい道への蘇り(黄泉還り)

明治天皇御製 「教」

ちはやふる神のをしえをうけつぎし 人のこころぞただしかりける M.38

(口語訳:神代から連綿として受け継がれた御祖の教えを守り伝えてきた精神こそが、日本人として正しい道なのである。)

古事記は、我々の祖先である天津国津神々の真実の記憶の記録です。作り物の神話なんかではありません。まさに、神代から連綿として受け継がれた御祖の教えです。

ということが、コロナのお陰で、「日本人として正しい道」であることを再確認する時間を頂きました。(神語など大事なことを公に記してはいけないのですが、「語り部」として口伝で心ある人たちにのみおつたえしなければならないということもよく分かるようになりました。)

3年前のブログには「経済も地球もスピリチュアルも、これからはにっちもさっちも立ち行かなくなるぜぃ!」と感じたままブログに書きました。

その原因は、「正悪善邪の判断を忘れて、利害打算のみに長けた人を創る教育の在り方を良しとしてきた事が原因であることもがはっきりしてきました。

しかしながら、多くの人が、正系の神々の教えではなく、傍系の神々や、人間の欲望が作り上げた神仏を、今でも頼りにすがっているようです。今までは、これらの偽の又は傍系の神仏に頼ることで一時の利益はありましたが、それの犠牲になった人達の怨念に、傍系の曲神や邪霊達が合体して、益々立ち行かなくなってしまうでしょう。(会社経営においても、生身の健康においても、これを改めないと全く立ち行くことはできませんね。)

12/25の大祓&勉強会では、「正悪善邪の判断を忘れて、利害打算のみの手法に毒された罪・咎・穢」を大祓して、「日本人としての正しい道」を再確認(黄泉還り・蘇り)できますよう、心血を注いで大祓をします。

12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...