2025年11月28日金曜日

12月の予定 かんたまCL.

 


早いもので今年も残すところ、ひと月となりました。やり残すことが沢山ある私にとって、12月はあわただしくあまり好きではない月ですが、後悔することなく令和8年を迎えるべく頑張ります。

明日29日は、埼玉県大宮市に鎮座される「氷川神社」にご縁を頂きましたので参拝してまいります。(神恩伝授、エネルギー伝授あり)

12月の予定は下記の通りです。
12月師走月の大イベントは「年越しの大祓」です。師走は皆さま何か忙しいため、かんたまの大祓は12月20日に行いますが、12月31日にはお預かりした「紙人型」を再度大祓して浄化させていただきます。また、20日の大祓の後には、「人間がこの世に生まれ落ちた意味・意義を改めて研鑽します。

先日お伝えしました「神様の御恩に報い奉る祝詞」を、皆さんがまじめに奉唱されていることを聞き及んでいます。皆様の精神が進化されているのを拝見できることを楽しみにしております。(参加記念は、例年のごとく「破魔矢」です。)

かんたま大祓の翌日21日には、伊勢神宮外宮・猿田彦神社・伊勢神宮内宮に参拝し、今年度、神々様から頂いた恩頼に感謝参拝の予定です。


ー かんたまCL. 12月の予定 ー

  12月   6日  ()  「破魔矢」制作

  12月    7日 ()  終日療治(予約)

  12月13日 ()  終日療治(予約)

  12月14日 ()  終日療治(予約)

  12月20日 ()  「精神世界の勉強会&大祓式&治療会」(於:可児市)

  12月21日 ()  「神恩感謝」伊勢神宮&猿田彦神社参拝

  12月27日()  療治治め(予約・一般)日本国学の学び治め

  12月28日()  「神国日本」精神世界の学び納め

  12月29日(月)  大掃除 

  12月30日(火)  大掃除&飾り付け

  12月31日(水)  大晦日「年越の大祓式」

2025年11月25日火曜日

自己の金儲けのために、C国にシナ垂れる勿れ!

 


地上波が届かないのでTVは見れません。また新聞も正しい情報も得られないと分かって、以前から読んではいませんので、シナ寄りのキャスター・出演者・記者のヘイトな発言やTV番組や新聞に向かって憤慨は出来ません。しかしユーチューブを視聴しては、糞のような非難中傷の嵐に、それこそ糞害?いや憤慨することしきりです。

自分は清廉潔白であり、いつ何時であっても自分は正しいと自分の考えを他人に押し付けたり、自分の思い考えと異なる考え方や行動をした者を、あまりにも激しく罵倒したり、それを裁いていると、やがて自分も手を替えた物事や事象や、自分の体の不具合が生じたり、陰から他人から厳しく裁かれたり罵られることが起こってきます、ぜ!。

なにせこの世は他人を疑えば自分も疑われるし、他人を罵れば、陰で自分も罵られるし、全てこの世は心の通りになって、善し悪しにかかわらず、それそのように現れて来る、自業自得の世の中です。これは、人の心の働きが如何に大切であるかを悟らしめんがための神様のお計らいに外なりません。
また、他人を自分の考え通りに押さえつけたりしていると押さえつけられた者は何時かは爆発しています。
「今に見ちょれ~っ!売国奴どもっ!」ちゅう思いですが、神に替わってお仕置きはできませんが、やったらやられる、言ったら言われる、馬鹿にしたら馬鹿にされる。

高市総理が爆発しないのは、日本を豊かで強い国へと導いて、日本国民を幸せにしたいという強い「神国日本へのまこと」の信念があるであると推察いたします。外圧・内圧を受けている総理の心情をおもんばかると、本当に心苦しいです。が、神様は見てござるです。
神様のお諭しは、いかなる場合でも、「他にはゆるやかに、自己には厳しく」であります。
逆に、慢心は神様の一番目障りとするところです。

「目障りじゃ!日本から失せやがれ!」と、だんだん興奮してきますが、こっちが興奮すれば
あっちの興奮返しにあいますね。

日本は神国です。神への「まこと」=神国日本及び日本国民への「まこと」とは、高市総理の持たれる精神的な一番尊い宝であります。
高市総理を「まこと心」でお守りいたしましょう。「まこと返し」ですね。
しかし私は、ここで興奮、発奮、澱粉?

「まこと」の心無き日本国民に告ぐ!
「自己の金儲けのために、C国にシナ垂れる勿れ!」と言いたい。
「まこと心に、歩調を取れ~っ!」  「高~っ、イチ、ニ~、イチ、ニ~、サ~ン!」

2025年11月19日水曜日

日本の国体の道をゆく

 


  明治天皇御製

  おのづから仇(あだ)のこころもなびくまで誠の道をふめや國民(くにたみ)

国においても、個人においても、全ての場合において、敵と相対する所の最大の威力は「誠」であると、日本では神武天皇の時代からそう考えられています。

相手がポケットに手を突っ込んで変な目つきをしたから、こちらもポケットに手を突っ込んで睨み返すという相対的な感情では、この世の中に平和は来ません。

「誠」を以て勝ったもののみ、根本的に勝ったと言いうるのです。「誠」によって相手は敵意が無くなってしまうからです。

シナの様に権力・武力・金力・腕力という力を以て勝ったのは本当に勝ったのではありません。(興亡も力の誤り:シナ地区は出来ちゃ滅びての繰り返しであることが歴史で実証されています。)

明治天皇の御製にお示し下さいました平和に対する主義は、絶対平和の主義です。これが日本の国体の主義であり、神武天皇建国の精神。「刃(やいば)に血塗らずして天下を平げむ」とは、「誠」を以て征服することに外ならないのです。

でもね、シナチクショウと心の中で思っても、「あぁそうですか」と一歩下がって円満にの「誠」が分からぬか!無礼者!と心の中で絶叫中です。

2025年11月17日月曜日

健康・豊かさ・幸せの「引き寄せの法則」は、「神のまにまに」マニ宝珠にあった!

 

「人がこの世に生まれ出る瞬間に、神様の御心に添えて魂(「一霊四4魂)を授かっている恵を理解できていれば、神社・神棚において神様へ向かう時、その人は自ずから、まず神様への感謝の気持ちもが高まり、感謝の気持ちが高まれば、命(ソマチッド)の波動も高まるとともに、自然に自我・我欲が無くなり、そうなると様々な願い事は自ずから叶うのでであ~る。」(神様のまにまに、マニ宝珠)

人は切羽詰まると神様仏様、他人様へのお他力本願よろしく、我心で必死にお願いするのが常でありますが、神様仏様人様は、その時ばかりの御願いには見向きもして下さいません。まず、神様への感謝が先に来ないといけません。「引き寄せの法則」や「成功法則」なども、どうしても叶えてくださいという熱烈なる自利には、まず先に、目に見えぬ神への感謝の心がないと、引き寄せられません。

「我ながらあっぱれ」「人ながらでラッキー」から「神ながら」で健康豊かでハッピーへ

「我ながら」は、自分を中心に物事を考え、決定し、実行する事。「人ながら」は他人を中心として考え、且つ行動することで、人の思惑やその行いを標準にすることです。今のこの世は、「我ながら・人ながら」で物事を決定し、それで上手くいけば、「俺様のおかげ」「俺はついている」「ラッキーっ!としがち。逆に上手くいかなければ、他人のせい、運命のせいとして恨みつらみのさもしい人と成り下がる人が多い、いや~な世の中でございます。

一方、「神ながら」で、悠々と自然に健康や豊かや幸せを謳歌している人もおります。   「神隋ら」「神従ら」であり、「な」は成る、また「為」であり、「から」は「「より」。よって、この世の一切は神意より生じたと見るのが「神為がら」であり、神理より成ったとみるのが「神成から」。そして、神理(天理)は神意の現れであるから「一切は神の御心より生れる」ということになります。つまり、自分(我)を中心・本とする心を捨てて神を本とし、神意のままに成らせて頂くという事です。 この「神のまにまに~」というこのゴールデンルールは頭(理屈)では理解できません。

神様の徳、宇宙の真理、法則とは。なぜ人間にだけ神様の御心と四魂が与えられて、この地球上に降ろされて、神の指令使命通りに生きていくのが幸せなのか?という真理は頭で理解することができません。そういう宇宙の真理(宇宙大憲章)が書かれた祝詞(古事記の神代の巻など)を奉唱(声に出して自分の耳に聴く)の行をルーティン(朝に番に)に行うことで、命の波動(ソマチッドのバイブレーション)が高まり、遠い過去に刻み込まれた神心の記憶が蘇り、おのずと各自が必要とする願い事が叶い、この世で、より健康に豊かに幸せになり、あの世に行っても幸せにとなるのが真理であります。               日本人に埋め込まれている、この神の遺伝子を呼び覚まさないといけませんね。

2025年11月12日水曜日

海の守りの高市総理大臣 VS 愚弄罵詈頭霧(グローバリズム)の売国奴議員

 


中国駐大阪総領事が高市早苗首相の台湾有事を巡る国会答弁に対してSNS上に、「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟ができているのか」と投稿したことを受け、 愚弄罵詈頭霧(グローバリズム:自国を蔑み日本及び日本人を口穢く罵り馬鹿にしてからかう、脳ミソに霧がかかって日本精神の何たるかがわからない大バカ者の思想)の売国奴議員は、高市総理の発言撤回を要求。高市総理は毅然として発言の撤回はしないと回答。また、憐崩(れんほう)氏は「外交には礼節が必要です。他国の首脳への不当な発言は、信頼を損なう行為です。互いの敬意を忘れず、品格ある外交を取り戻すべきだと考えます」って、そっくりそのまま礼節の無いシナ人に言ってあげたらどうでしょう。外交に礼節もへったくれもない中国人です。台湾有事は日本国の有事でありますから、日本及び日本国民を守るに当然の発言を厳かに伝えただけのことでありますが、高市総理大臣の威厳ある返答に大和民族の精神を感じます。

明治天皇御製 「海」

秋つしま四方にめぐれるうなばらの波こそ国のかきねなりけり

おごそかに守らざらめや神代よりうけつぎ来たるうらやすの国

島国である日本が、台湾有事で海上権を中国に制せられたら、どうすることも出来ないのです。そうでなくとも、尖閣への不法侵入の中国に対して、ただ注視するだけの海上自衛隊員・海上保安庁員の無念さを思うと涙が出ます。                          

明治天皇の御製がお示し下さっているように、我が日本国の海上の守りが破れたならば、日本は手も足もでないのです。

高市総理大臣の発言の力強さに、日本の安全を擁護されました明治天皇の愛国の御至誠がしみ込んでいるのを感じます。正義です。正義には必ず力が伴わなければなりません。

礼節や信頼や敬意の無いシナに対しては、力なき正義は無意義であります。止むにやまれぬ防衛費の増額は、止むにやまれぬ力のある日本国民代表の「正義の証し」ですね。

(※毎朝ノット奏上後に、高市総理大臣の心身のご加護を神々にお願いしています。)

悩むと、病気や不幸になります。

 

(朝、無限大の大調和の宇宙の気を頂き、細胞の更新をしていただいています。)

目に見えるものしか信ぜず、肉体を自我意識や一般的な社会的な意識で酷使し、目的も功利的享楽的利益のみを求めていると、肉体の抵抗力を失います。             

さらに自分の意志の弱さが絡まって、訳の分からない病気や悩みを抱えているのが全世界的な流行。日本の多くの人も自らの肉体に自らが圧力を加えている状態。自業自得のるつぼです。

この肉体への圧力とは自我意識、唯物思想の「お金がほしい」「何々がほしい」「何々をしたい」「頑張る」「堪える」「我慢」「辛抱」などによって肉体的緊張を強いて、その結果、自らが心臓を圧迫し、血圧を高める状態が慢性的に続くとガ~ンになるそうです。

 我々は、目に見えない真理で生かされていることを真解しましょう。

大自然の中というか、空気の中には一切の素(生命の素とも命の元とも、ソマチッドとも)が在ります。空の中、気の中に一切を生かす力が存在します。              

空気とは、太陽と地球の「気」が合体したものです。特に朝の空気を一杯吸うことにより細胞が蘇り、新しい細胞分裂が盛んに行われのだそうです。ソマチッド様活発化のエネルギーが入ってきます。

息を吐く宇宙のなかで、霊は凝縮し、具象化し、物質化します。逆に、息を吸う宇宙とともに物質が拡散し、展開し、霊化するのだそうです。ということを意識して呼吸を行う事は重要です。  

一切の煩悩(悩み)は、「若しや?」という恐れ、心配、恐怖、我欲から発生するといわれています。

病とは、悩むことにより気の滞りより発生する罪咎穢の禍であるため、呼吸によって悩み・気掛かり事を消し去れば、幸いのみが生じて災いの起こることはなくなり、無病息災・長寿はもとより、金銭的物質的な苦が解消され、心の健康(幸せ)が保証されると言われます。

具体的には、宇宙無限大の気を戴きましょう。

ステップ1.朝、東方に向かって太陽を仰ぎ、天照大御神を拝礼し、宇宙無限大の気を7秒間で鼻から吸い込みます。(※無限大の大調和の気を呑み込むと思いながら息を吸うのがポイントです。)

ステップ2.肺一杯に吸い込んだ宇宙無限大の気を、お腹に降ろし7秒間待機します。  (※無限大の大調和の気を呑み込むと思いながら息を吸うのがポイントです。)

ステップ3.次に、自分の悪しき感情、性格、態度、考えにより発生した自分の罪を懺悔し、口をすぼめて7秒かけて胎内の濁気を吹き払うと思いめぐらし、息を息吹に息吹き息を吐き切ります。(※祓い給え、清め給えと意識するとよいでしょう)          

これを、自分が良いと考える回数まで繰り返します。騙しちゃないけど、騙されたと思ってやってみましょう。

幸運が訪れない人は、疑い深く素直でない人ですってよ。で、一番は、三日坊主!(女性は三日尼僧?)

2025年11月5日水曜日

日本の国旗 日の丸

 

(あぁ美しい、日本の旗は)

国旗は国家の象徴であり、国民の護符であり、守本尊である。

国旗は決して死せる記号にあらず。国旗には生命があり、国旗には精神がある。

国旗はわが国民の魂なり。」 (「蘇翁 言志禄」より)

であるから、日本の国旗日の丸が損壊されれば、我々日本国民が損壊せられたと同じ事。命を傷つけられたと同じことであります。

自主外交とは、国家が完全なる国家としてその機能を独自一己の意志をもて、国際上に行使するの謂なり。」(「蘇翁 言志禄」より)

高市総理大臣が正しい国家観をお持ちになっておられて、我々日本国民は心強く思います。

それに比べ、前総理も、前外務大臣も一体何者か?どこの国の者なのか? 彼らの言動には怒りと嘆きしかありません。まさに臆病者。

臆病者は自国を信頼すること能わず。」(「蘇翁 言志禄」より)であります。                  

「日本国から去らしめ給え!」と願うばかりです。

2025年11月4日火曜日

自然治癒力を鍛えよう!

 

人間の体は、他の動植物に違わず大宇宙におはしますサムシンググレート(天津御祖大御神様・絶対様・根源神様・創造神様・宇宙神様とも)そのものの素材・自然界の要素から構成されています。さらに、自然界の諸法則(統一・規律・生成発展等の大御心)が理解できるようにと、サムシンググレート様の御心に添えて、魂(一霊四魂)を与えられています。  

人間は肉体によって支配されているので、人間がそれら諸法則に反する行動や思考やマイナス的な言語を発していると、精神の統一が崩れ、バランスを崩し、人間の徳の一つとしてとしてサムシンググレート様から初めから与えられている幸福の最も重要な部分である健康を損なってしまうことになると言われています。

医学の祖といわれるヒポクラテスは、人間と天地自然とは本来一つのもの(大宇宙の一つの意識、意志からなっている)であるとし、人体を自然と調和の状態に保持するところの一種の活力(命の元・ソマチッド)というものが、人体内には存在するのであり、その活力の働きが何らかの原因(マイナス感情や他人からの口害)で阻害された場合に、病気を引き起こすのだといわれています。

病気というものがどのような方法で治療されようとも、人間と自然は本来一体の物であるので、人間が選択すべき治療法は、自然の道にかなうものでなければなりません。しかし残念ながら現代医学での治療や薬剤は自然の法則にかなうものではないので完治できないため、自然の法則を熟知した医師に出会うことができれば幸いです。

我々は、病気になったら考えるではなくて、病気にならないことを考えなければなりません。また、不幸にも病気になってしまったら、病院にかからずとも自力で自然治癒力を発揮し自ら直していくことができるのです。そのためには、大宇宙の理・法則を魂レベルと肉体レベルで知っておかなければなりません。

この大宇宙は不朽不滅の一大法律(これを大宇宙の大憲章という)によって支配せらるる一政府です。この存在(天津御祖大御神神界)を信じることが出来なければなりませんが、これは頭で理解しようと思っても理解できません。

それは、大宇宙の理を示した文言(古事記神代の巻や神の恩に対する感謝が記された祝詞など)を行の如く日々唱えることによって得られるでしょう。その宇宙の真理は簡単ではあるものの、頭で考えても会得できません。猿田彦大神の開きし大道を、明き、強き、直き、正しき誠を以て歩むだけなのですが、「目に見える事物しか信じられへん」という唯物思想に犯された現代の我々にとっては、至難の業なのかしれませんが、意を決して、誠の道に踏み込む勇気が必要なのでしょう。

そして日々の行が進むにつれて、唯物思想が薄くなるにつれ、心の安定が取り戻され、自ずから健康になってゆくのを実感できるでしょう。(これは、良き出来事のシンクロニシティが多発することで実感できます。)

「幸福を感じるには、先ず、天(宇宙とも神とも)を信じること。次に現在の職分を尽くすこと。その次に自分に与えられた命に安心して静かに落ち着いて、使命に従うことであ~る。」とは、先師の導きでありまする。

また、自分でできる大事な事は、自分の習慣化したダメな考えや行動を、日々消去してゆく努力です。よく大病から生還された人は、「性格が変わった」「明るくなった」「生き生きとして見える」などと人から言われるのは、大病をしたことにより宇宙の理を自然に覚ることができたからでしょう。

注意は、激しい行(滝に打たれる・何時間も瞑想(迷相)する。変な宗教(新興宗教はすべてダメ)に入信する。占い師の言うことに従う。など損得勘定・唯物思想から抜け出せない、他人任せはいけません。自分の道は自分で歩まなければいけません。

神様から与えられた自分の命に目を向けましょう。他神に頼らず、自分の神を信ずることです。

心と体を健康にする「誠」の道

 


(「和通円満」の日の大神様)

明治天皇 御製 「神祇」                              めにみえぬ神のこころにかよふこそ 人の心のまことなりけれ
(口語訳:目に見えないが我々の心の内に確かにいらっしゃる神の御心に通うことが、人の   
 心の「まこと」というものである。明治40年)

昭憲皇太后 御歌 「誠」                              身にしみてうれしきものはまこともて 人のつげたることばなりけり          (口語訳:身にしみてうれしいことは、真実の心をこめて、私のために人が告げてくれた言     
 葉です。明治41年)

昭憲皇太后 御歌 「をりにふれて」
思ふこといふこと道にあたりなば神のこころも動かざらめや              (口語訳:思うこと言うことが人としての道理にかなっているならば神の御心も決して動か
 ないはずはありません。(明治12年以前)

高市総理大臣がこの日本において守るべきものを、高市総理大臣の「誠」ある発言・行動によって、正なるものを明らかにして、その光をもってして「邪」の闇を埽ってくれているのだと感じます。
誠とは、言行一致のことであり、嘘のない清い真の言葉。心と言葉が一致するのが「誠の道」ですね。「至誠通天」とも「至誠通神」といいますが、「誠心」が神様に通じます。

しかしながら、高市総理大臣に対して、嘘・偽り・誇張・強圧・詐欺・謀略・エゴ・やっかみなどの悪しき言葉を浴びせる輩が多いこと。そういう輩はマイナス言葉の口撃で得意満面の様ですが、目にし耳にする善良な「誠心」を持っている善人の心身はマイナスな言葉で穢れ、健康を維持できにくい状態となっていく感じです。
逆に、マイナス言葉を吐く奴は、「〇んでしまえ!」と言い返したくなりますがそのように思っただけでも自分の魂を穢してしまいます。

では、どうすれば良いのでしょうか?

「和通円満」 悪い言葉を言われたり、明らかに間違っていることを言われたりしても、
「あぁ、そうですか」と、自分が一歩下がることで相手の気持ちが収まり、二人の関係も丸く収まります。まず自分の機嫌を治めることが先決。自分の静まった波動が相手の心に同調して相手の機嫌が収まること必然です。よって、自分の心の健康は維持が出来るのです。  これが「誠」を以て事に当たる、人の歩むべき道なのでしょう。「誠」は天の理でありますね。

人は他人から浴びせられた言葉の暴力によって、また、自分の悪しき思念や他人に対しての暴言によって、自分の心を痛め、さらには自分の健康を損なってしまいます。

健康は、神より人に与えられた「徳」の一つとして幸福の最も重要な部分でありますから、誠心を研鑽することにより、健康を回復維持して心が豊かになって、結果、経済も豊かになるのですね。誠心の研鑽は、大和言葉の言霊を学ぶのが一番です。「明治天皇の御製、昭憲皇太后の御歌を奉唱して、誠心を養えよ!」と、恩師から教えられたことです。

2025年11月2日日曜日

明治神宮・靖国神社 参拝報告

 昨日11/1は、予定通りに明治神宮と靖国神社に参拝することができました。

明治神宮は世界の民族の聖地かと思われるほど外国だらけでした。それだけ日本に対する期待の表れであると感じ、ジャケットにつけた日章旗のバッジ誇らしく、謙虚に参道の端を進みました。

明治神宮ではお祭りの祭祀中で多くの神官さんが奉仕されていて、拝殿外では祭祀参列の方々が整列されておりましたが、警備の方のお許しを得て参列者の前にでて、ノットの奏上及び、日本国の繁栄と日本国民が豊かで幸せで暮らせるようにとの祈願をさせていただき、神々様の恩頼に胸を熱くいたしました。

明治神宮の御神籤は吉凶を占うものではなく、明治天皇御製及び昭憲皇太后の御歌で、人倫の大切さをお諭し下さるものです。「どうぞ私に足らぬ人の道をお示しください」と思念して、引きましたところ、明治天皇御製からは1番の「誠は幸福の基本」という御製が、昭憲皇太后の御歌からは「心は高く、身はつつましく」という御歌でお示しくださいました。「はは~っ、しかと!」身の引き締まる気持ちでした。

次に、明治神宮上空の明治神宮神界ほ目視は叶いませんので、日本国の繁栄に尽力され、現界の日本国民をお守り指導されてくださっている神々が上空の神界におはしますと思念し意識を上空まで拡大して、神々に日本国の繁栄と日本国民の豊かさ幸せ成就に尽力される高市総理と高市政権の御守護を祈念させていただきました。※「お~~~っ」と反応下さった感じ😊
明治神宮社務所では、必要としている人に差し上げようと「365日の大御心」パルコ出版・「やわらぎの鈴」・「開運木鈴こだま」・近所に住まう受験生向けにと「合格成就守」
を求めました。
自分が所望したかった、「教育勅語・五箇条の御誓文・明治天皇御製、昭憲皇太后御歌1日1首が掲載されているジャバラ」を巫女さんに求めたところ、これは無料とのことでした。ので、欲が出ちゃって「2つちょ~だい」とおねだりしてしまいました。約2時間半ちょっとの滞在して、明治神宮から徒歩と地下鉄を乗り継いで30分強、靖国神社に向かいました、
靖国神社は明治神宮ほど参拝者はごった返ししていませんでした。拝殿前もすっきりと整列され挨拶をされる日本人及びその姿勢に従う外国人に交じり参拝。自分たちの番を終えると、「さ~っ」拝殿前横に移動し、英霊及び残された家族を御しのびご慈愛下された明治天皇御製と昭憲皇太后御歌を奉唱し、すべての日本国のために命を捧げくださった英霊たちに感謝を申し上げることができました。血潮が騒ぎます。
社務所を覗くと横山大観画伯がぼんぼり画として奉納されたものを扇子に復刻した扇が目に飛び込んできて、「買ってけ~」と空耳り(空耳が聞こえたという意味)、買い求めました。その後、食堂で甘酒を頂き電車を乗り継ぎ帰路につきました。「他者がために」と祈り尽力するということの大事さを、改めて体感できた参拝でした。とさ。(他者言)

非常事態と神社

  現在居住地域の産土神社 露骨な自利奪他ちゅう国による外圧やら地殻変動などで今、私たち日本人は、一人一家の私事においても、国家全体の公事においても、人力の及ばない非常の難局に逢着しているかの如きです。 そのような時には俄然、神社の存在が鮮明となり、忽ちにして国民生活の中心に君臨...