2019年5月31日金曜日

「も~ぉ!」と神拝の秘奥(ひおう)



『太神宮参詣記(だいじんぐうさんけいき)』の一説に、
 

「当宮参詣の深き習いは、念珠も取らず、幣帛(へいはく)も捧げずして、心に祈る所無きを内清浄(ないしょうじょう)と云う。潮をかき、水をあびて身に汚れたる所無きを外清浄(がいしょうじょう)と云えり。内外清浄(ないげしょうじょう)になりぬれば、神の心と吾心と隔なし。既に神明に同じ、しからば何を望みて祈請(きせい)の心ある可(べ)きや、これ真実の参宮なりとうけ給はりし程に、渇仰(かつごう)の涙止め難(がた)し。」とあります。

 
この無願無請(むがんむしょう)の祈りというのは神人合一の境地。神聖礼拝の極致です。神仏に対しても損得勘定に長けた我々には難しい事の様です。

人の世では、他人に頼みごとをした場合には、それ相応の謝礼をするものですが、さらに、頼みごとが成就したあかつきには、謝礼に感謝の思いを乗せてお礼をするのも当た
り前です。
 
そういうことを他人に対して出来ない人は、神に対しても出来ない(逆かな?)ようです。内外ケガレ多き世の中なのかもね?
 
そう人に対して、「も~ぉ!」と思った瞬間、私の心は内清浄でなくなり、神人合一の境地から追い出されてしまうのです。
 
先日は、私が人生のスタートをきった時からお世話になっている産土神さん所で、「も~ぉ!」を祓っていただきました。
 
無願無請(むがんむしょう)の祈りの生活は、難しいのです。

2019年5月29日水曜日

まこと考


異常気象と異常者の関係はよくわかりませんが、異常事態・異常な事件の続出。怖ろしい世の中です。
 
それでも清く正しく生きたいと思いますが、ぼ~っと生きていると「さ~っ」と魔が入ってきて、自分が正常か異常かの区別がつきにくくなり、「魔入りました」ってことになりそうです。
 
「いかん」と思って、心を落ち着かせてから神社や神棚に向かうと、頭の中に「まこと」という文字が三角形で浮かびます。
 
「まこと」について調べると、明治天皇御製に、 
 鬼神も泣かすものは世の中の 人の心の誠なりけり 
というお歌があります。誠とは漢和辞典には「いつわりのない心」とあり、昔から幾多の哲人、聖者によって、「神を拝するには誠の心を以てせねばならぬ」と言われています。
 
『続日本書記』の中には「神明の感、誠に非らざれば通ぜず」とか「精誠(せいせい)霊(かみ)に通ず」と書かれております。また、山鹿素行の『中朝事實』の中に、「蓋(けだ)し神と交わるの道は誠にあり。至誠を以て祭祀すれば、即ち鬼神の幽冥(かすかなる)も亦格思(かくし)す可(べ)し」と書かれています。
 
御朱印ハンターなる人達は論外ですが、我々が事あって神社や神棚に向かう時の注意ごとが、次の古歌によくあらわされています。
 
祈れどもしるしなきこそしるしなれ おのが心のまことならねば とあるように神拝の要訣は、只この誠の心を以てするという一言につきようです。
 
まことは眼には見えず、また、見せることも出来ず、感じ取ってもらうしかありませんので、まことにむつかしいです。グワシ!(まことちゃん)
 
 

2019年5月28日火曜日

神饌の事




神様を祭る時、神様への捧げものとして出す物は、物を捧げるのではなく、物に添えて真実を捧げるのです。人の真実にはその人によって違うでしょうし、神様が望むものは?と、神様が喜ばれるものを推し量って、真心こめて差し上げれば、基本的には良いと思います。

 
他人のために何かをするような人が居なければ、社会は維持できませんし、他人のために何かをすることは、その人に崇高なる精神状態を醸し出させますし、人は他人のために何かをして上げるときに崇高なる精神の高揚を味わう事が出来ます。
 
人は人の気持ちをを平気で裏切るような事をしますが、神様は人の素直な奉仕の気持ちに対して、必ず何らかの反応を示してくださいます。
 
(※人は神様を平気で裏切るが、神様は誠意ある素直で真面目な人を決して裏切りません。)
 
6月29日の「かんクリ」大祓には仮設の祭壇を設けますが、前回同様、心ある参加者から、降臨される神様へ、心のこもった神饌があがることでしょう。
 
私の場合、神様のお気持ちを察しながら、「これ、お好きですか?」「これとこれならどちらがお好きですか?」と神様にお伺いを立ててから神饌を選びます。
 
最近では、神様に捧げるものに触れただけで、それに触れた手が熱く感じれば、『これでよい!』。手が何も感じなければ『あんまし~』との答えが返ってくる感じです。
 
(神饌で注意が必要なのは、たとえば土地の祓いなど特に昔に古墳があったような土地の祓いです。鎮魂が必要な場合もそうですが、神饌の餞別や、たとえば魚の頭の向きであるとか、しっかりとしたルールがあります。そのルールに反する場合、物理的な現象が起こり、準備している者が吹っ飛ばされたり、祭壇がグシャッとつぶれたり、本当に肝をつぶすかのごとき事が起こります。
※心がこもっていない祭主や参列者がいると、ビューっ突風が吹いて、祭壇がグシャっというのもありますよ。)
 
一通り神饌が揃ったら、今度は、神様からその供え物をご覧になる場合を想定し(自分が神様であったらを想定し)、神様の食欲をそそるべく、飾りつけ・盛り付けをします。
 
祭事がおわれば、おさがりを頂くことになります。
 
お酒の味が気の抜けたようにまろやかになっていたり、各神饌の味が抜けた様な感じがすれば、「神様は本当に神饌をお召しになった!ありがたい!」とまた嬉しくもなります。
 
 
 
 
 


2019年5月23日木曜日

「た~か~あ~ま~は~ら~にぃ~・・」

いのり
「カケマクモ~アヤニカシコキ・・・」は祭典用、つまり顕齋用で、参列者用です。

 
大祓でも日頃の禊祓でも私は鎮魂、幽齋用の「タカアマハラニィ・・・」で始まるノットを自分の行としても自分と知人縁者さんのために唱えます。
 
大祓の中の、天津祝詞の太祝詞事を宣れ~・・・・・斯く宣らば~の「・・・・・」の部分の太祝詞事、はっきりしたことは分からずじまいのようです。天津祝詞が入るとか、トホカミエヒタメだとか、秘密の文で秘文(ヒフミ)であるから一二三祝詞が入るのだとか。文献じゃ分からない。分からないから「私はこう思う」という各人の主観でいいのかも知れません。
 
どれも正しいとは言えないが、間違いではないらしい。
 
私の主観は、これはやはり意味のはっきりした願い事を呪文のようにして唱えていた。自分の個人的な強烈な願い事だから、他人には聞こえない様に声を潜めて秘密の願い文(ねがいぶみ)が入るのだ!です。む、む、む~っ、でしょ。
 
※各自の自分の主観は真理です!
 
鎮魂して、自分の行として、「・・・・・」の部分は、自分の切なる願いを太く、くどくどと呪文のように神々にお願いすればいいんです。と思います。なので、
 
大祓では、「タカアマハラニィ・・・」で縄文人風のイントネーションで、私と参加者皆さんの4億年来の罪と今犯しつつある今生での罪を無かったことにしてください!と切に願います。
 
「タカマガハラニィ・・でしょう」という方もいらっしゃいますが、縄文人骨格の私は「タカアマハラニィ・・・」が声に出しやすいです。


2019年5月22日水曜日

成敗が始まった?



平和・安全・安心を祈っても、日本の悪い箇所や悪い考えをそのままにしていては良い世界・社会には移行しないようです。『悪い箇所は破壊せよ。悪い箇所は悪い考えを持つ人間に破壊させよ。』との神の大号令が宣られたのでしょうか。

個人も企業も政界も世界の動きも、今まで隠してきたことが表に出てきて、あまねく照らし出されて、大自然の動きの中で仕訳けられて、悪しきは挫かれ処理されるのでしょう。
 
反面、善き人は助けられ、真面目に努力してきた人が報われて、成果が正当に評価される世の中に変わるようです。もう少しの辛抱です。
 
六根清浄大祓の中に、諸(もろもろ)の法(のり)は影と像(かたち)の如く 清く浄(いさぎ)よければ、假(かり)にも穢かるることなし 説(こと)を取らば得(う)べからず 皆因(はな)よりして業(このみ)とは生(な)る 人は即ち天下(あめのした)の神物(みたまもの)なり。と無上の霊宝を教えてくれております。
 
悪い人のことをとやかく言わなくとも、清々しく今中に生きていれば最高な結果が待っているようです。お空を見てるとそんな兆しがみえてきます。

神仏に金儲けを願うべからず


(お祭りの前の晩はにぎやかです。)

『神仏に金儲けの祈願をすべからず!』です。金儲けは特に神の使命では無いと申されます。 

『各自の力(器)以上の事をするな』そして『自分自身の判断にて、事をなせ!』なのでしょう。
自分の周りに起きる出来事は、全て自分の「せい」。だから、この世の事は何事も『自分自身の神に頼め!』と申されます。3次元の目に見える神社・仏閣は、自分の神様との通信基地なのかも。「自分自身で正しい判断が出来ますように」のちょっとした訓練をすれば、自分の神様への聴き方をマスターすると、正しい判断で正しい行動が出来るようになり、すべてが良い結果となります。

 
 
 

 
 

 
 

2019年5月20日月曜日

takane.jpg

5月1日、二十数年ぶりにに呼ばれて、ご挨拶してまいりました。古代において神様・眷属神様のお力を頂いてエネルギーで主に病気を治すDr.達も集まっていたお山で、古墳群のある聖地であったのですが、残念ながらお山の半分は第二東名を通すため崩されてしまい、エネルギーさん(神さん方)も移動を余儀なくされたようです。※眷属神さんたちのお墓も取り壊されていました。今回呼ばれたのは神威修復・復活と眷属神さんのお墓の修復の下調べでしょうか?6月中には神饌を捧げ、古代のノットを奏上してくるつもりです。
境内には「心子神」(しんしめじん)と申し上げる女神さまがお祭りされています。子宝に恵まれない方や、心臓や子宮、胃腸に何か問題のある方は、この画像をプリントアウトして肌守りにして、健康回復を祈願してみたらいいでしょう。









 

2019年5月17日金曜日

肺テンション?

 
Fのオフィスから雲を撮りました。
 
最近、地上から空を見上げても、「雲が低い」と感じませんか? 

地球の環境が変わっているからでしょうね。 

地球を取りまいている次元の層が押しつぶされたか、消滅したか? 

それが3次元の現実界に反映して、雲の浮かぶ高さが低くなっているのでしょうか?
 
圧が地球全体にかかっているためか?肺が今までのようにすんなりと膨らまないので、空気が入りにくいです。 

だから、何だか毎日息苦しいのかも。 

なので、積極的に肺に空気を入れなければなりません。
 
すっ、すっ、すっ~と鼻から空気のエネルギーを吸えるだけ吸って、息止めて、苦しく
なったら、フッ、フッ、フッ、フ~ッ、と肺から空気を吐ききって、息止めて、苦しくなったら、また、3回に分けて息を吸い、息止めて、4回に分けて息を吐ききって、息を止め。を3回~12回クールやるといいです。
 
当来の大異常に備えて、積極的呼吸をして、肺のテンションを上げておきましょう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

2019年5月16日木曜日

神社参拝考3


(拝殿前に参拝者が居なくなるのを待ってちょっと離れたところから、「撮らせていただきます」と申し上げてからシャッターをきりました。お出ましになられると、神々しい雰囲気が漂います。)
 
先日、某神社に参拝したおり、20人ほどの中〇人観光客が御手洗場所を占拠。中〇人ガイドが柄杓に口を付けてうがいする仕草で自祓の説明をしていました。

私は、そのガイドから柄杓取り上げて、ガイドの頭を「パコン!」と一発、やってやりたい気持ちを抑えはしましたが、ギッと横目で睨んでから、その場から離れました。

神社・仏閣での礼節を知らぬ傍若無人な人は、中〇人観光客や御朱印ハンター・パワースポットツアー客ばかりではありません。

拝殿での慇懃無礼な態度を取る人は、日本人参拝客も同じ。

賽銭箱に5円・10円を放り投げ入れるのを目にするだけでも嫌になりますので、人がほとんどいない拝殿の裏で、心を落ち着かせて、ノットを奏上し、そこにおはします神々と眷属神に感謝を申し上げるととても落ち着きますし、神域のエネルギーとの一体感を味わうことが出来ます。

さらに境内を進み、ご神水が昏々と湧き出ている神池でのこと。

柄杓を直接口に運び、ごくごくと飲み干し、「プハ~っ、おいしい!」とやっている非常識な日本人の年配のバカップル。こうい人達にも柄杓で「パカン!パカン」とやりたくなっちゃう気分でした。

先日、某神社に「パカン パカン」おじさんが出没しました。
パカンパカンおじさんに、「パカン!」とされた人達は、自分たちが何故?「パカン」とされたのか理解できずに、「ポカ~ン」としておりました様です。(イヤン バカン)



  

  

 

      
 







2019年5月15日水曜日

「やったー!良書、ゲットだぜぃ!」



昼食をささっと済ませてパソコンのマウスをクリクリしていると、保険のセールスが近づいてくるのをマダラ白髪の妖怪アンテナがキャッチ。
 
いまさら保険加入?でもないし、保険の話を聞くのが面倒なので、財布をポケットに突っ込んでそそくさと会社から脱出。目的もなく、考えもなかったが、ふらっと通り沿いの古本屋に足が向かった。
 
店内を3~4歩進むと目の高さの書棚で(感)カンテナが立った!迷わずその棚から2冊を抜き出して、一応古本の値段だけを確認してレジで会計をすませ、古書店の外に出る。その間3~4分であろうか?

【ちなみに、1冊はS.24年の初版、もう1冊はS.32年の初版で、今風まやかしスピリチュアル系の類ではない本物の拝バイブルレーション(=ハイ・バイブレーション)の良書、中村天風翁の著書であります。古本価格は各700円 ※現在価格は各2880円】

「ヤッター!良書、ゲットだぜぃ!」&「社外に出させてくれた保険屋に感謝だぜぃ!」

「ぼ~っ」と思考ゼロにするといい事が起きるのです。

ガッツリ読み込んで、6月29日(土)「かんクリ」大祓に参加される方に、良書のエッセンスの「エッ」位ならお伝え出来るかなぁ?

2019年5月14日火曜日

神社参拝考


神社拝殿の裏に回ると、賽銭が置かれたりしてますので、「知っておるな!」と感心したりします。

今や神社は御朱印目当ての観光客に交じって、普通の参拝客が居て、一番繁昌しているのは御朱印がもらえる社務所、次に御朱印がもらえるまでのお義理の参拝で拝殿の正面が混んでおります。

それら喧騒を縫っての本当の参拝者は、神社拝殿の裏でもって、声を押し殺してのノット奏上で、神々様に感謝を申し上げる次第です。

神々様もその辺の事情を察していただいているのか、拝殿の裏だけは、我々がノット奏上する間、人払いをしていただけます。

裏のフェンス(囲い)に両手を当ててノットを奏上するやいなや、グワングワンとバイブレーションでお返し下さいますので、神々・眷属神方のご存在や神威を知ることになります。

又、目をつむっての感謝ノットの奏上になりますが、瞼の裏というか、オデコのつぶらなオメメには虹色でまぶしい感じとじ~んと温かいものが流れ込んでくる感じが、幸せを感じます。

心も気持ちもすっきりしてそのばから離れ後ろを振り返ると、「やっぱ、そこでしょう!」なんて顔をした同種の人が立ってっていて、こっぱずかしい気持ちになるも、嫌な気がしません。

 

ゼロ地場とぜろ知場


 
我々が扱うことが出来る古代エネルギーでの心身や様々な不具合の調整・改善は、最終的には、苦難や不運の根本原因であるその人本人の意識を健全な状態(生まれた状態)に戻し、その後、他人に頼らずとも根本原因を解決して自然体でストレスなく快適に生きることができるような働きかけをします。

人間には元々自己解決出来る力(神力=古代エネルギー)が有りますので、僧侶や神主、また、まやかし先生方に頼ったり、『他人の占いや指示によって解決してもらおうとするのはいけない!』ようです。

本来、人間は自分の中にいる神様を拝み、その自分の神様を頼り、自分に起きた問題は、自分と自分の神様と一体となって、身辺に発生する諸問題は、自分で解決できるようになるのが一番なのです。(神人合一 人間の進化)

『他神が助けるにあらず。己が神を拝めば、自らを助く』と申されます。これが自助力。

神社参拝は、自助力強化の場でもあります。神社で様々な問題解決のヒントを頂いたり、自分の神様がさらに活躍できるようにとサポートして頂いたりします。

最近特に過激な似非のパワースポット情報に惑わされることなく、自分が何となく「参拝してみたいなぁ」という感じがしたら、その神社に参拝されるといいでしょう。

鳥居やお社の上でエネルギーさんが待っていてくれたりしますが、御朱印やパワースポットツアーで各神社は人間の欲で大変なことになっておりますので、日頃、特に土日祝日にはお隠れあそばされておられます。

しかし、欲なく、純な、素直な、感謝の気持ちで、「お呼び下さいまして、誠にありがとうございます。」「こちらにおはします神々様と眷属神様方の、御開運と益々の弥栄をお祈り申し上げます。」等祈願されますと。高い木の上から、お社の上から、鳥居の上から、お使いの眷属神様が自分の中にいる神様に対して、ニコニコ顔で見ていてくれたり、手を振ってくれたりしてエネルギー(印を組んで)を送ってくれているかのような感じをうけます。

で、我々は感謝の最高印である合掌印で再度感謝を念をお送りすると、神と人のエネルギーが融合し、我々は調子が良くなり、神々の神威も保たれるようです。

欲をなくす=自分の思考を無くす=様々な世間の情報で考えない至難の業です。
(※スマホで検索し続けていると、直感力は退化してしまいます。)
 ゼロの状態にならないと、何も生まれず、また、何事も良くはならないのですね。

人間のゼロ地場は、頭の中。それを「ゼロ知場」という。なんちゃって~ではありません。



2019年5月13日月曜日

「かんクリ」夏越の大祓



大祓の祝詞の中に、天津罪と国津罪という二つの罪の事が出てきます。その二つの罪に関して、いろいろな解釈があると思いますが、人間は肉体だけの存在ではなく、肉体に幽体と霊体と神体が重なって存在していると感じると、天津罪とは前世での霊魂が犯してきた罪、国津罪とは現世で肉体を持つ霊魂が犯している(・・・ing)罪という二つの罪があると解釈するほうが良く理解できます。

肉体が先か、霊魂が先か?というと、霊魂が先なんですが、その霊魂、一体どのくらい前に大神様によってこの世に出現したのでしょうか?

霊魂の素材はというと、ビックバンの時というのが私の中では定説です。それから、霊魂が存在できる様々な環境・条件が整い、「私は霊魂である」と認識出来たのが、約4億年前であるというインスピレーションがどうやら本当の様です。

ボ~っとなって「4億年前の私の霊魂はどんなところに宿っていたのですか?」と質問をしてみると、『岩石であった!』との直感がありました。人によっては、海、山、川、野、草木、鳥、獣、昆虫、雨、風、雪、霰、雹だったりね。
今でも私は何処かに岩っぽさが残っている感じがします)

夏越の大祓

我々が霊魂を頂いて生まれ変わり成れ変わりして4億年の間に犯した罪と、今生で日々犯し続けている罪って「まぼろし~」のようですが、「どんだけ~」あるのでしょうか?

それら4億年前からの罪が、たった年2回の大祓いで、そう簡単に祓うことができるのでしょうか?

なかなか4億年前から犯した罪の事まで考え・思いは及びませんが、少しくらいなら、「4億年前からの罪と今も犯している罪!」とをギュッと意識をして、それらの罪を、あの世の罪の保管庫に預ってもらうという芸当は出来るのかもしれません。

6月30日には各神社で夏越の大祓が行われますので、上記の意識で、お住いの近くの産土神社で大祓式に参加されたらいいと思います。

「かんクリ」では、6月29日(土)9:00~16:00の間、岐阜県可児市のLポート可児 1F研修室において、「大難を中難に、中難を無難に」「令和は人間進化の時代!進化しなけりゃ生きてけな~い?」な~ってテーマの講習付きで、縄文言霊大祓を知人縁者に集まって戴き細々と行なう予定です。

ご連絡なしの当日参加は出来ません。あしからず。また、Lポート可児(可児市勤労者総合福祉センター)は公共施設ですので、大祓等のお問い合わせはしないで下さい。

 



2019年5月9日木曜日

知古(チコ)ちゃんに救われる


「長居しつるかも。」・・・・しばらく休んでおりました。かんたま7です。

「令和」は、『世界の人々から尊敬されるに値する精神性の高い(精神性幸福度の高い)大和民族として復活しなさい!』との大神からの大号令(命令)のようです。物の幸せの上に、精神の幸せが来る新しい時代の到来です。

先の平成天皇様のお言葉に、即位された令和天皇様のお言葉にただただ感謝で、涙が出て止まりませんでした。そして素直な多くの国民は、「令和天皇様の大御世の恩頼の御守護を頂けるに値する国民となるべく精進します!」との思いが沸き上がったのでありました。

あぁ、それなのに。これからも地球全体にかかる重圧力はさらに加わり、想定外な事象が現れ、さらに大変になっていくというのに、令和になって人心改まるどころか、ユスリ・タカリの、我のみ良しの御都合主義も、非常識が常識化の、インチキの、モラル崩壊の黒い霧で天照大御神の御光が遮られているかのようで常識が通らず息苦しい(生きるのに苦しい)です。
 
古代より神様とは、尊び・怖れ・敬い・礼拝すべき存在でありました。人間は神の元にただただ従うだけで、無理することなく何事も大難と思えることも無難で、豊かで幸せで生涯を全う出来る神人一体の関係でありました。

「ボ~ッと生きてんじゃね~よ!」と、知古(チコ)ちゃんに叱られます。


古代の人の昔の手振り。そこで発せられる古代エネルギーに、差し迫ったこの国難、地球難から生き延びるヒントがあります。
で、古代エネルギー取扱主任者のかんたまブログ
医療氣科学研鑽会(かんたまクリニック)のヤホー!ヨロズ(八百万)相談&対応で再開します!
 
そろり~、そろり~と。

身体健全から事業健全、家内安全など、昔の手振りの古代エネルギーで改善しましょう。

 
きをりて、知古(チコ)ちゃんに救われる!です。
 
 
 


12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...