2020年9月28日月曜日

「いただきます」

 


現代語でもいいですが、毎日食事をする前に奉唱すると感謝の度合いが高まる祝詞がありますので、ご紹介します。(同時に先祖供養もできます。)

食事神拝詞(しょくじしんぱいし)

天津神 国津神 言分けて

(あまつかみ くにつかみ ことわけて)

豊受姫大神 産土大神達の

(とようけひめのおおかみ うぶすなのおおかみたちの)

恩頼を 賽謝つり 拝み奉らくと白す

(みたまのふゆを よろこびまつり おろがみまつらくとまをす)

(二拍手)

※食卓について、座ったままで、拝をしないで、「ご先祖様、お先にどうぞ」と申し上  げ、 ちょっと間をあけてから、「いただきます」と言ってからパクつきます。


2020年9月22日火曜日

左遷+右旋の梛木の葉

 お彼岸で故父母の魄がお世話になっている産土神社にご挨拶します。


この産土神社で、先の宇宙の原理原則(左遷・右旋)の証拠を確認させた頂きました。

葦の葉が左回り・右回りの渦を交互に巻いていることです。

しからば、高天原にもある梛木の木の葉はどのようになっているのか?古事記にも伊弉諾尊の左回り、伊邪那美命の右回りで宇宙の原理原則を教えてくれています。

父母の魄がお世話になっている産土神社の梛木の枝に枯れた枝葉が引っかかっておりました。



梛木の枝に絡んだ枯れた枝を取り除いて手に取り観察すると、ナギの葉は左巻き・右巻き交互に巻いていました。梛木の雄木の葉が左巻き、雌木の葉が右巻きではありませんでした。一本の木に成りなってから枝につく葉が左回り、右回りとなるのでした。(葦の葉のお示しどおりです!)宇宙はウズとカズですべて出来ていることの一つ(ウズ)を目に見せてくれました。
梛木の葉の落ち葉でお守りを作りました。↑

自作のお守りの名前は、「天津神梛の葉守り」と命名しました。古事記にも大祓祝詞にも出てくる「天津金木」こそ高天原にも生えている神(か)梛(なぎ)」梛木の木です。24ケ作りましたが。

次の勉強会(10/10予定)で偽物だからというわけではありませんが参加者に差し上げます。しっかり幸せパワーの封入済みです。

天宮神社で求めた本物の「なぎの葉」のお守りはこれ。↑
(さすが本物というだけあって、かっちょいいです。)



宇宙の原理原則のお守り作り

 続いてどうしてもご挨拶しなければならない神社として、濵名惣社神明宮(浜松市北区三ケ日町三ケ日大輪山122)jにご挨拶させていただきました。

ご祭神は天照皇大御神。境内社には太田命社、天棚機媛神社、浜名天満宮、天羽槌雄神社があります。

ここは実はあまり知られていない元伊勢の一つです。

ここで神事もさせていただきました。

いずれの神社でも起こることですが、神事を行おうとすると必ず神々様が人払いをしてくださることです。

そしてノット奏上の段になると風がサ~ッと吹いてくださることです。

本殿は立ち入り禁止です。下の方から拝むばかりですが感無量です。




天白磐座遺跡での神事。

帰省の途中でありますが遠回りして謂伊神社(いいじんじゃ)静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1150にご挨拶させていただきました。

ご祭神は玉依姫命・品陀和氣命・息長足姫命ですが、この拝殿奥の薬師山(丘)には、我が国屈指の規模の古大祭祀遺跡である天白磐座遺跡があり、ここで神事を行うのが目的でした。

古墳時代(9000年前の三ケ日原人がお祭りしていた)の祭祀場で岩笛を吹かせていただき感無量でありました。

神事終了後の直会で神饌としてささげたオコワご飯のおさがりには、アリンコがいっぱいたかっておりました。

息を吹きかけると一斉にオコワからありんこが離れてくれたところをパクつき、楽しく昼食が取れました。

この遺跡では古事記登場される神々を実感できて感無量でありました。

樹齢1000年を超える梛木のご神木

【天宮神社(あめのみやじんじゃ)静岡県周智郡森町天宮576】


ご祭神は宗像三女神(たごりひめ・たぎつひめ・いちきしまひめ)別名道主貴(道の神)と言われ、陸海交通安全の神としての神威あらたかであり、文化振興・産業開発の主宰神としてまた、安産・知徳・縁結・福徳・長寿の守護神として信仰が深い。(静岡県神社庁/静岡県の神社より)

また天宮神社ホームページには、遠州の小京都 山あいに息づく竹柏(なぎ)の里との紹介文。ご由緒:創祀は第二十九代欽明天皇の御世(約1500年前)に日本武尊の後裔が筑紫の国宗像の神霊を迎えて鎮祭したとあります。

本殿で神饌を捧げ、岩笛を吹かせていただきノットも上げさせていただきました。


本殿に向かって右側には、樹齢1000年といわれる御神木の竹柏(梛木)の大樹。すがすがしく生命力にあふれた力強さを感じ、細胞が生き返る感じをうけました。
(ここで梛木の落ち葉を拾い観察しましたが、宇宙の原理原則が顕現しているとの物証はハッキリと確認できませんでした。)

拝殿の奥の小山には地主神(産土神)がお祭りされているのをみつけました。(小さい祠ですが、ご挨拶出来て良かったです。)ここでも岩笛・ノット奏上してご縁を頂いたことに感謝を申し上げました。

参拝後、社務所にて宮司さんから梛木の左遷・右旋の話で詳しいことは聞けませんでした。おみくじを引いたら大吉でしたので気をよくしてナギの葉お守りを5つ購入し、次の目的地まで移動しました。


2020年9月18日金曜日

お彼岸と祖霊拝詞

 

明日19日(土)はお彼岸の入りです。(彼岸明けは25日(土))両親の実家は揃いもそろって浄土真宗でしたが我が家は新屋で仏壇も墓もありませんでした。生前父は、「私は太陽が好きだ」といって朝日を二礼二拍手で拝んでいたこともあり、15年前に私の父親が他界したのを機に神式で葬儀をしてもらい、墓も神式の奥津城、家内は祖霊舎で両親を祀っています。私は若いころに得意がって日本語の般若心経はもとより、チベット語・サンスクリット語の般若心経を空んじたこともありましたが。神ながらの道を学んでいくうちに般若心経が肌に合わなくなりました。(魔界に通じるようで)

祖霊舎の前ではロングバージョンの祖霊拝詞という祝詞を毎日唱えます。以下はショートバージョンです)

祖霊拝詞

遠都御祖(とほつみおや)の御霊(みたま)。代々(よよ)の祖等(おやたち)。家族

親族(うからやから)の霊(みたま)。総(すべ)て此祭屋(このまつりや)に鎮祭

(いはひまつ)る。御霊等(みたまたち)の御前(みまへ)を慎(つつし)み敬(ゐや

ま)ひ。家にも身にも枉事有(まがことあ)らせず。夜の守り日の守りに守幸(まもり

さきは)へ宇豆那比給(うづなひたま)ひ。弥孫(やひこ)の次々弥益々(つぎつぎい

やますます)に令栄給(さかえしめたま)ひて。息内長(いのちなが)く。御祭善(み

まつりうるは)しく仕奉(つかへまつ)らしめ給へと。祈白(いのりまを)す事の由

(よし)を平(たひら)けく安(やすら)けく聞食幸(きこしめしさきは)へ給へと畏

(かしこ)み畏みも拝(をが)み奉(たてまつ)る

 

その後、ご先祖様方には願い事などお頼みはせず、自分や家族に起きた喜ばしい事や、世間様に申し訳ないことをして先祖にお詫び申し上げなければならないことや、最近自分や家族に起きたことなどの近況を現代語で丁寧に報告し、次の幽冥神語(ゆうめいしんご)を奉唱します。(幽冥大神とは大國主大神です)

 幽冥神語(ゆうめいしんご)

幽冥大神憐給恵給 (かくりよのおおかみ あわれみたまい めぐみたまえ)

幸魂奇魂守給幸給 (さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ))

幽冥大神憐給恵給 (かくりよのおおかみ あわれみたまい めぐみたまえ)

幸魂奇魂守給幸給 (さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ))

 

大事:お供えは心を尽くし贅沢に気張りましょう。

2020年9月17日木曜日

神傳をしへの一言


神傳をしへの一言(一紙教文)

「この教文は只一枚にして神道の要旨ををしへたる大切な御文なれば毎朝神前に於てとなふべし 但し是は神へ捧ぐる為にはあらず 只人々報恩を表す為なりと知るべし」との前書きあり。


かけまくもかしこき みむすびのかみたち(産霊神達)より、ましらたま(真白玉)のわき

みたま(分魂)をさづかりえて、このかみくに(皇国)にうまれいづるひとは、まづひのも

(日本)のもとつをしえによりて、たまのみはしら(心柱)をたて、そのもとにむくいた

てまつらむために、あまつかみくにつがみをいつきまつり、くもらぬもとつまごころ(正直

本心)を、かみのことわり(神理)にただして、ひとのひとたるみちをわたり、そのなりは

(家業)をいそしみつとめ(勉強)きみ(皇上)のみため くに(皇国)のためにはいの

ちをおしまず、ひととまじはりてはまこと(信義)をもて あひしたしみ(親睦)たふとき

にしたがひ まづしきをたすけ、ときのまつりごとにそむかず、ひらけよののり(開明之時

理)にたがはずば、すなはちかみのみめぐみをかうふりて、うつしよ(現世)にては おの

づからたふときにのぼり、いのちながく ちちのさいはひ(千万幸福)を(得)て いへ

とみさかえ、のちのよ(死後)にては かみのます(天神鎮座)たかまのはら(高天原)に

まゐりつかへ(奉仕)て、とことは(長久)にうきことなく(無憂苦)かぎりなきたのしみ

(無窮安楽)をきはめんこと、かみのみまへのみかごとにてらして、あきらけきものなり


ご参考に!

神社参拝イロハ之イ

神社参拝において、普段は敬神の心をこれっぽっちも持っていない人が、何か不都合な事が起きると、「困った時の神頼み」よろしく神社に参拝。いきなり自分にとって都合の良い事(自分勝手な願い)を祈るなど、何ともあさましいかぎりです。

人間社会でも他人に何かを頼むときには礼を尽くして、なにがしかのお礼をするのでしょうにね。

神様だって、神様の管轄外の知らない人間が礼節を欠いた自分勝手な願い事を頼んできても、まずその頼みごとを聞いてもくれないでしょうし、それを叶えてあげる義理も道理もありませんので暖簾に腕押し状態です。

神社参拝では、先ずは自分の氏名・生年月日、両親の名前と続柄を申し述べ、生誕地の産土神社または生誕地の住所、それから現住所と産土神社を申し述べるの第一段階。

【例「私は〇〇○○と申します。昭和○○年○○月○○日、○○県は○○市○○番地、○○神社の産土神の地にて、父○○○○大人命(ウシノミコト)、母○○○刀自命(トジノミコト)の長男として生を受け、現在は○○県○○市○○町○○番地、〇〇神社の産土神の地に住まわせていただいているものであります。」】

第二段階で、今参拝させていただいたことに感謝し、できれば下記の神社参拝詞を奏上したいものですが、普通は丁寧な現代語でOK。現代語でその神域に鎮まっておられる神々様のご繁栄とご開運をお祈りした後、自分の祈願をするのが正しいとされています。

「神社拝詞」

 掛けまくも畏(かしこ)き○○神社の大前(おほまえ)を拝(をろが)み奉(まつ)りて恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)さく 大神達(おほかみたち)の広き厚き御恵(みめぐみ)を辱(かたじけな)み奉(まつ)り 高き尊(たふと)き神教(みをしえ)のまにまに 天皇(すめらみこと)を仰(あふ)ぎ奉(まつ)り 直(なほ)き正しき真心(まごころ)もちて 誠の道に違(たが)ふことなく 負(お)ひ持つ業(わざ)に励ましめ給ひ 家門(いへかど)高く身健(みすこやか)に 世のため人のために尽くさしめ給へと 恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す

そして次に、現代語でも「私○○○は○○実現のために頑張りますので、どうぞ後押しをお願いします。」なんて願いが謙虚でいいです。

特に貴い神々はケガレを嫌われますので、人間の最低限の努力として、自分の心身(思考と肉体)を清浄(正常)に保つことをまず第一に心がけたいものです。

※賽銭は放り投げ入れるのではなく、熨斗袋に入れて賽銭箱に滑らすようにして神様に差し上げたいものです。)

㊕必ず願いを叶えてくれる自分だけの神社があります。それは各人がお世話になっている産土神社です。

2020年9月14日月曜日

ベリィベリィオールドノーマル

 

土日はじっと家に居て、本居宣長の訓(よ)みによる古事記(上中下全巻)を朗読できました。

 

大和言葉を自分の声で自分の耳に聞くと体中の細胞がふるえる感じがして穢れ(自分で蒔いた種?)が落ちた感じです。(トータル実質7時間余りを要しました)
 
天地宇宙間の一切の現象は一なる大生命力(天之御中主神)が(+)陽(高御産巣日神)と(-)陰(神産巣日神)の二つに分かれて、それが調和結合して創造され活動していることは、小は極微の原子の世界から、大は天体の太陽、月、星に至るまで、すべて同じ法則原理原則で動いているのはよく知られていることです。
 
もちろん神の創造物の一つである人間も、その体は小宇宙と言われ、神秘極まる精密な構造や機能も亦この宇宙の大法則に基づいていて、体だけでなく、精神=心も、同じ大法則に基づいていて動き続けています。
 
このプラスマイナス、陰陽のバランスの崩れの原因が人間の思考と言動の乱れの結果であるとするならば、我々は古事記のべリィベリィオールドノーマルに回帰して、心の持ち方、食べ物の取り方、日光、空気、水などからの正しい恩恵の受け方の出来る生活の基本に立ち戻らなければならないのでしょう。
 
心身のバランスを正常にする基本の動きは、縦縦横横、先に左回り、次に右回りの丸書いてチョン。
 
古訓古事記の朗読で、天地創造の手順=自然治癒力賦活の方法と「そ〇〇〇 な〇〇〇 い〇〇〇 さ〇〇 た〇 ち〇〇〇 い〇〇 お〇〇〇 こ〇〇 し〇〇〇」の正しく物事が生ずる心得を確認した次第です。
 
とは偉そうでした。
 
忘れていた遠い昔のタマシヒ(細胞)の記憶を、ちょびっと思い出させてもらった程度です、私のばやい。
 
 
 
 

2020年9月11日金曜日

執着を断つ魔法の言葉「しょんないよ」「まぁいいら~」

 
 

「しょんないよ、しょんないら~」という言葉は、私の故郷浜松の方言で、「大丈夫、しょうがないよ、気にすること無いよ、平気平気ぃ、ドンマイ!」など、自分に対してや他人に対して慰めたり、予期せぬ良くない事態・結果に執着しないで、「気持ちを切り替えて行こう!」なんていう意味を持つ言葉です。

 

標準語では「仕方がない、仕様がない」。理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、避けられない事態に直面したりしたさいに、粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句(ウィキベディア)

 

それともう一つ。「まっ、いいら~」。正しくは「まぁいいかぁ」。

気に入らないことがあって怒れちゃうけどまあ受け入れましょうという肯定に変わる魔法の言葉。

 

人間は様々な事で怒ったり悲しんだりする感情の生き物です。特に怒れることに執着して、それが積もれば自分の精神も肉体も悪くなるのは必須です。

 

そんなマイナス感情を何時までも引きずらせない魔法の言葉が「しょんないら~」「まぁいいら~」。標準語で「しょうがない」「まぁいいか~」というマイナス感情の執着を絶つ言葉です。

 

怒ってもいいんです。悲しんでもいいんです。人間だもの。ですがそんなマイナス感情をすぐに消しちゃうことが自分も自分の周りも幸せになる秘訣じゃんね。※ふんとだにぃ。

(※「ふんとだにぃ」は標準語では「本当ですよ」と言う)

朝日を浴びてさわやかに一日をスタートする私ですが、怒ったり憤慨したり悲しんだり悩んだりする人間だもの。心の中の太陽に黒点が増えてしまいます。そんな時は出来るだけ素早く「まっいいか~、しょうがない」という言葉を※口に出して自分が抱いたマイナス感情を消すようにしています。

※思うだけじゃなくて、口に出すのがポイント です。注意:相手に聞こえないところでね。

しょっちゅう怒ったり憤慨しやすい私の場合、お日様を拝みながら、「どうぞ、私の性格を温厚な性格にならしめ給え」とお祈りしています。恥ずかしながら。

 

2020年9月8日火曜日

雉と大和心

 

 雉は愛する子のために自分の命をも犠牲にするという大和心を持っていると言われており日本の国鳥とされ、古語では雉子(きざし)といいます。

松尾芭蕉の句に「父母の しきりに恋し 雉子の声」や、

後鳥羽院の「むさし野の 雉子やいかに 子を思う けぶりのやみに 声まどうなり」という和歌があります。

万葉集にも雉について六首の歌が詠まれ、古事記にも大国主神の段にも雉が出てきます。

先日、駐車場に止めた乗用車車内に、6歳と3歳の姉妹を半日以上置き去りにして死亡させたとして、その母親が保護責任者遺棄 致死の疑いで逮捕されました。

姉妹の死因は熱中症。母親のその時の行動はTVの報道の通りです。生類(動物)雉にも劣る、誠に痛ましく怖ろしい事件です。 

コロナウイルスを子供に感染させまいという親の子に対する愛情のひとかけらもなく、自分の性愛の欲望のままの行動が起こした罪は決して許されません。

この国津罪の報いはあの世に逝っても贖うことのできない罪。

熱中症で亡くなった姉妹を思うと悲しくて不憫でなりません。

12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...