2023年1月29日日曜日

♪ 傷つき~ぃ、穢れた~ぁ、わたぁしぃ~でも~ ♪

 

我々は宇宙の絶対という素材で創られているので、我々の本性は元々絶対であるのですが、この地上で本性である絶対を維持するためには肉体があるため、感情や無知や欲が働いて、不自由な生活を強いられるのです。

早朝に神前に佇んで、自らが招いた穢れを懺悔し日拝します。

言い訳を言わず、他人が何を言おうと何を思おうと、また、何が起ころうとも少しも気にせするようなことが出来る勇気が湧きます。日の光を浴びると、骨まで~ぇ細胞が入れ替わる気がします。

さらに、ただ神様の望まれる事を成し、神様にお仕えしていれば満足であるという神様への全き献身の生活をしようという気持ちになって、幸せを感じます。

んが~っ、すぐ穢れてしまうワタクチでちゅ。

庚申祓を唱える

 

(東京葛飾区の立石諏訪神社境内の猿田彦大神)

高次元の世界には、曼荼羅はないのです。インド仏教は、傍系宗教のなれの果てです。タントラという鎮魂は、チベット仏教。これらはすべて仏魔界です。

葬儀の多くは仏教の御経を唱えられております。私はお経が嫌いです。般若心経など坊主の読経の最中は、祓い給え清めへとノットを唱えたくなるくらいです。

猿田彦大神は国つ神ですが、猿田彦の「彦」は、「日子」ですので、元は高天原の天津神であったのが天下って国津神として国土開発に尽力されたようです。

写真の像は仏教っぽいですが猿田彦神の徳がよく表れています。
猿田彦大神の徳は、庚申祓(こうしんのはらい)という祝詞によく表れています。この祝詞は仏教ぽいですので、唱え方が大事です。

神への感謝は、言葉の感謝です。高く清らかに清々しく、濁りなきよう心を澄まし、明るき境地で声高らかに、朗々と詠め。宣りあげよ!と申されます。くそ坊主のように唸ったり、力んではいけません。

子宝(子は授かりものという理由)

 

(東京 七社神社の能舞台に鎮座?する犬張り子。通称福犬。大きいです。)

犬張子(いぬはりこ)には、お守りの意味と厄除けの意味があります。犬は安産で子犬は病気もせずにすくすく育つことから、「元気に育つように」との願いを込めたお守りです。
また、犬張子(いぬはりこ)は狛犬が原型とされていることから、魔除けや厄除けとしても使われています。

懐妊して出産の間際になると、産土神の代理神が、伊勢の神の代理神へ連絡。
伊勢の神の代理神からは魂(こん)が、出雲の神の代理神からは魄(はく)が、生ま出た赤子が息を吸う瞬間に魂魄の両方を授かっているのだそうです。

   ※魂・・天津神、天照大御神の分魂(光の粒)
    魄・・国津神、国魂で地球の神様の分魂

従って、人は第一にお日様を仰ぎ、第二に大国主神を仰ぐことを忘れてはいけないののだそうです。

出産された近くの産土神社へのお宮参りでは、天津神様と国津神様に、正直、誠と赤子のような赤き心でもって、感謝の祈りを捧げましょう。



2023年1月21日土曜日

30分クッキング(自然=神様と自分の和えもの)

 

我々人間の肉体を構成する諸々の元素も、我々を取り巻くほとんどのものが宇宙にあったものだそうです。つまり、我々人間は、宇宙の絶対の素材で作られているのだそうです。宇宙を代表するのが太陽ですので、我々人間は太陽光線を浴びることで元気になってゆくのです。

 

(諏訪大社 上社 前宮)

古くからある神社で、日の出から2時間くらいまでの間に、神社周辺の自然と一体化する事が何故心身に良いかということの説明は難しいです。

私の感覚で言うと、その太古から続く自然の中で、身体を消して心だけになり、心を消して魂だけになって無の境地に入ると、人間の病気というものが、肉体の執着であり、心の迷いが魂を穢していたのだということがはっきりと分かります。

まずは、神社でもあまり手の加わっていない自然と対峙していると、自然に自分の心の芯から我欲で生きている自分の異心をお詫びしたい気持ちになります。

心の垢・穢を、体を「九の字」にして吐き出すと、サ~ッと神気が入ってきて、生き返る心地がします。

これが自然(神様)と一体化となる極意なんでしょうか?料理でいうところの「和(あえ)え物」。自然と自分を和(あ)えるのです。(3分ならぬ30分クッキング) 

さらに、神様がそこにおはすと感じられると、神様との縁と神様の守護に感謝したい気持ちが起こります。そして、神様が常に暖かい思いで抱きかかえて下さることに喜びを感じるようになります。

人は、自然に神(=宇宙)に生かされて生きていることに気付けば、ありがたいと思うものです。これが感謝の心ですね。

だから神社におはす神様の前ではでは感謝の気持ちしか起きないのですね。

(夢に見た立石神社。夢では霊人の宮司さんとお話ししています)

縄文人の信仰体験ツアー

 

(信州諏訪の手長神社。少し奥には旧石器時代の遺跡が。)

「生まれ来ぬ 先も生まれてすめる世も まかるも神のふところの内」です。

この世も後の世も神に任せる心で、さらに、自分の希望が成るも成らずも神に任せる心。さらに、事が成就するのが早き遅きも神に任せる心がいいんですね。

さらにさらに、今生きている時も神まかせなのです。これが正しい死生観。

とある人に、「神社で神様にお願いばかりしてはいけないよ。」と言ったら、じゃあ、どこで願いをかなえてもらえばいいんですか?お寺の方がいいの?神社はお願いするところじゃないんですか?」と言われました。

そうです。神社はお願いするところではないのです。これが神仏に対する正しい考え方です。信仰は尊いものですけれども、頭で理解しただけでは哲学になってしまいます。神仏(神様とご先祖様)は哲学の産物ではありません。

自分で招いた穢を懺悔して、日を拝して神気を浴びれば、心と魂が浄化されます。生を受け、この世に存在出来ていることを感謝して、先祖のさらなる開運を祈る。ただそれだけです。

これが神仏(神と先祖さん)に対する正しい考え方です。

5人のグループで縄文時代由来の神社がある地域へ行ってきました。皆、自分勝手なお願いなんかはしていません。自然と一体感を味わうだけのツアーです。

各自が自ら作った穢は、自然に祓われました。縄文からの極意を得た感じです。

 

2023年1月7日土曜日

気神

 

宇宙のはじめ、真空妙有なる其の空間に最初に現れたのは、物質でも、物質を構成する元素でもなく、「気エネルギーと呼ぶにふさわしい宇宙生命「気」つまり「気神」でありました。

宇宙始元の空世界に、忽然と「気神」が現れ、その「気」が質量を伴うと同時に、それが色界(現界)に最初に登場した水素、ヘリウムといった原子であり、その原子の核融合反応が宇宙規模で展開されて、あらゆる物質が生成され、宇宙大自然森羅万象界が成立しているのだそうです。

すべては、宇宙の神理=宇宙憲法(ひとふたみよ いつむゆなな やここのたり ももちよろず)から始まりました。

さらに、大宇宙で生成された物質はすべて地球に凝集して存在しているのだそうです。

地球は太陽の恩恵を被って、「気神」である光と熱の働きから水の作用を媒体として、生物の誕生をみたのです。

さらに人間の肉体が「気」の結晶体です。また、人間そのものがエネルギーの場でありました。

そして地球そのものが、太陽エネルギーの流れの中に身を任せていると同時に、大宇宙の輪廻に生きているのですね。

その働きは、陽に働く「気」と陰に働く「気」の「大統一」の生かされている姿です。

人間という小宇宙で言うと、人間の細胞を増やす「気」と、細胞本来の機能を発揮する陰に働く「気」が在という事に思いを馳せると、自分は他力に生かされているという事に感動します。

( ※我々が日中太陽を1秒間見ている間に、十億個ものニュートリノが眼球や頭を貫通していくのだそうです。)


太陽の恩恵

 

人間が生きるにあたり、最大のエネルギーを受けているのは、何よりも太陽からです。

太古の人間が例外なく太陽を崇拝したのは、肉体生命のみならず、生きとし生けるものの生命エネルギーの源泉こそ、太陽から恵まれる「気エネルギー⇒気の神⇒気神=天照大御神」であることを良く知っていたからでしょう。

空とは、物でも事でもない。「気」の素の素なる姿です。その「気」がエネルギーとなって、物質となり事柄が生じるというのが宇宙の法則ですね。

人間は、自力より他力、つまり、生かされている面に関心を持たなければならないということがこれで分かります。 

意識して言霊を活用しよう

 

大自然の中、空気の中には一切の素(生命の素)が在ります。空の中、気の中に一切を生かす力が存在します。

空気とは、太陽と地球の「気」が合体したものです。特に朝の空気を一杯吸うことにより細胞が蘇り、新しい細胞分裂が盛んに行われのだそうです。

息を吐く宇宙のなかで、霊は凝縮し、具象化し、物質化します。

逆に、息を吸う宇宙とともに物質が拡散し、展開し、霊化します。

ということを意識して呼吸を行う事は重要です。

また、病とは、悩むことにで気の滞りよりくるた、呼吸によって悩み・気掛かり事を消し去れば、幸いのみが生じて災いの起こることはなくなり、無病息災・長寿が保証されると言われます。

1.朝、東方に向かって太陽を仰ぎ、天照大神を拝礼し自分の罪を懺悔します。

2.胎内の濁気を吹き払うと思いめぐらして、息を息吹に息吹きます。

3.天親無量寿の気を呑むと思いながら、息を充分に吸い込みます。

これを、自分が良いと考える回数まで繰り返します。

日々の単純なアクションで、言霊を活用して意識して行うことが大事です。

史実「岩戸開き」

 

以前、古事記にある「岩戸開き」の史実が「鎮魂」の起源であると、先師に教えていただきました。

天照大御神を招請するために、天鈿女命の行った舞を、オキワザ(招業)といいます。鎮魂・魂振り・魂鎮です。

※神憑状態の極みは、咏舞するまでになるもので、天狗さんが懸かりドタンバタンと霊動が激しくなっては、日招きは出来ないのだそうです。神懸かりそのものが、日招きで、神を肉身の上に招く行事だからです。また、この時に唱える神語「神ながら」の正式版は先日の勉強会で口伝しましたので、解説と合わせて実習してくださいね。)

鎮魂の一面には人霊を招魂して、疾病の治癒を目的にして行われてきたのだそうです。

※私利私欲、我欲があると治療はうまくできませんので、我欲(穢)を祓ってから鎮魂するのです。)

本物の鎮魂をマスターするには、伊勢の猨田彦神社の佐瑠女神社に額ずけば、史実に基づいた本物の鎮魂・魂振・魂鎮めが伝授されるかも。

心の極意は、ゲット・テイクではなくギブです。「自ずから照り明かす」です。

物質界での極意は、猿田彦神社の奉賛講に入講すること。正式参拝するのが一番です。


 

2023年1月3日火曜日

保育の守護神

 

(京都の護王神社には子育大明神がお祀りされている)

別格官幣大社護王神社の祭神は、和気清麻呂とその姉である和気広虫(ひろむし)姫です。

和気清麻呂は、第十四代孝謙天皇の信任の厚かった僧道鏡の邪望をくじき、皇統を守った忠臣として有名です。

和気広虫姫は藤原仲麻呂が吉備真備によって滅ぼされた時、その戦乱で孤児にとなった子供たち83名を養子にして育てたり、敗戦兵死刑囚375名の助命を嘆願してかなえられたことなどで、こうした慈悲深い人柄により子育て大明神とよばれ、保育の租神・守護神として信仰されています。

また、子守神社は全国各地に点々と存在し、子守信仰があり、子供を育てる霊験あらたかな神として信仰されています。

我が子の子育てでも大変なうえに、一人で幾人の他人の子供たちの保育は過酷であると聞きます。しかし、昨年の保育園での日常的な非情なる保育は、誠に心が痛む事件でありました。

保育の守護神の前に立ち、自らの心を反省し、誰もが持つ神様から頂いた慈愛の心に立ち返り子育てに当たってほしいと思います。



皇紀2683年の展望(待つことの大事)

 

(産土神社)

春風の吹けばおのずと山かげの 梅も桜も花はさくなり

(心をかたくもって、一時の不運にあわてさわぎ思いまようてはいけません。本業をよくまもって静かにときの来るのをまちなさい。開運うたがいありません。)

日本の国土は神々の姿。神を遠租とする我々日本人も、この国土の姿に準じており、この国土が受ける様々な外様の影響を受けるに準じて、我々の心身も影響を受けるということは、古代からの事実です。

2日の一般参賀の陛下の詔に、様々な艱難を耐え忍ぶ勇気と、当来の幸せの希望を頂いた思いです。

個人も企業も本業を良く守り、静かに好機の訪れを待つ勇気が必要です。

願望(ねがいごと)も病気(やまい)も、気を強く持ち、気ながく待てばととのう安心せよとのことです。


2023年1月1日日曜日

謹賀新年

 新年あけましておめでとうございます。


何事が起きようとも、明(あか)く、強く、 直(なお)き 正しき大道(おおじ)を進みたいと思います。

皆様にとって、幸多き1年になりますよう お祈りいたします






12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...