2019年6月26日水曜日

崖っぷちをプチに成形

(諏訪大社下社秋宮の御神湯。結構熱いです。本当の禊は温泉であったらしい?)

もうすぐ大祓(私のはモドキ?)ですが、あれもこれもお話ししたいといレジュメを作りましたが、最終的には大祓・祓への作法とか、心構えをお伝え(今までの振り返り)となりそうです。

神呼吸に清めの呼吸を加えたものは、今回初めてお伝えします。

その神呼吸を5~10回行うことにより、胸中に無心にして、天地同梱、日月同体、天地人一体から鎮魂。そして祓へは口伝の作法通り。

この祓へで2019年罪穢れ上半期決算が出来るでしょう。

日神、天岩戸(各自の心の扉)を開き福を招くです。

「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ、おけ、おけ~」(〇回)の功徳により陽気が動き、万物は萌して、生成無窮の徳・福出現の時を迎えます。

経済も人の心も地球環境も崖っぷちのような趣ですが、あらゆる悪しき出来事もプチでありますように、大祓の祝詞で「別け笑ら笑らと笑らみ賑はふ」ごとく、我々本来の姿、笑顔で生き生きと楽しくある姿を取り戻しませ~。

2019年6月25日火曜日

思い込みの命


諏訪の大神様タ~ケ~ミ~ナ~カ~タ~ノ~カ~ミ~、あ~り~が~と~う~ご~ざ~い~ま~す~。感謝します~ぅ、あ~りぃぁ~が~た~あ~や~っ、あ~りゃ~が~た~あ~や~と祈り、鎮魂、ノットを奏上しておりましたところ、タケミナカタノカミ様がご出現されたことを自然現象にてお示しくださったようです。

「ようです」というのは、私は無中でありましたのと、大鈍感なので気がつかなかったのですが、「ビュ~」っと急に風が吹いて、大粒の雨が「バラバラバラバラ」とほんの一時落ちてきたのでびっくりした。と周りにいた人から教えられたからです。

タケミナカタノカミ様は風と水を司る、国つ神の中で最強の神さまともいわれております。火(日・ヒ))から水(ミ)が生まれると言われますが、水(ミ)生まれるためには、風(フ)が吹かねば生れません。

これでヒ~、フ~ッ、ミィ~の正三角形(龍神のウロコ?)が循環して物は生まれ、事は成就します。

物事が成就するためには、願う者が無心(真空状態)でなければなりません。水(雨)と風の祓いで私の頭の中のケガレを真空状態にしてくださったようです。

思い込みの命とも妄想神と言われる私が思うに、おそらく、タケミナカタノカミは龍神に変化され、私の頭上をビューっと一走りで真空状態をお作り下さったのだと思い込んでおります。

また、上空では空では猿田彦さんが団扇で一振り風を起こされたのか、伊吹戸主命がピュ~ッと吹いてくださったのか、諸天善神を上空で集合を掛けてくださったようです。

この神秘も後で写真を見せられて魅せられました。

この神秘体験は私の主観ですが、私にとっての真理です。あ~りゃ~が~た~あ~やぁ~ですが、

「♪金も要らなきゃ~ぁ、女もいらぬぅ、わたしゃぁもひとつぅ、眼がほしいぃ~~♪ベンベン」と欲を出せば、鞭勉(ベンベン)とぺんぺんされますが。




いい方ばかりに勝手に解釈してますが、実は『大変なことが起きるから気をつけなさい』ということもあります。神秘体験の解釈は難しいのです。

2019年6月24日月曜日

憑霊2ルイルイとレイレイ


                (6月22日夏至、諏訪大社下社秋宮参道にて)

憑霊は、体の右側に死んだ人の霊が、生きている人の悪想念(生霊)は体の左側に影響を与えると書きましたが、じゃあ、「人間の真ん中にある小腸・膵臓・胃・心臓などはどうなんですか?」という質問がありました。(質問:1)

生霊・死霊の別なく、霊体が苦しんだだり悩んだりしている状態が、憑依した体にあらわれるものです。

霊に取りつかれないためにはどうしたらいいのか?という質問:2ですが、霊が人体に憑依するのは、感情が激しく乱れると、心と体のバランスが崩れます。その時に瞬時に憑依するようですので、常に心を乱さず、乱れてもすぐに平常心に戻せるようにする、というのが大切です。

特に大切なことは、何事にも恐れない(極端に心配しない)精神状態を保つことです。「恐れることは実現する」と言われていますが、恐れていると、その物事を引き寄せることになるようです。

人間として正しい規範・倫理・道徳感を以て、自分の良心に照らし合わせて物事を判断すればよろしい。

類は類を呼ぶの例え。さすれば悪い霊の憑依することはありませんよね。(ルイルイ!)

規律(紀律)っ! 霊っ、 お疲れさまでした。(レイレイ!)


2019年6月21日金曜日

八百万神縁必要?

「ベイベェ~♪ だ~れのせいでもありゃしない~、みんな、オイラがわるいのさ~」
 


災害も事故も事件も、それらに遭遇するのは、そのほとんどが人間自らが呼び込んだ「霊」の仕業であるとのことです。
 
最近の事故・事件。人間の恨み・つらみ・呪いの悪想念エネルギーが電磁波に乗っかって地表上を飛び交っていて、電子機器に影響を与え誤操作を起こさせていたり、人間の脳神経にも誤信号を与えますので、魔電磁波を受けやすい人(感情をコントロールできず、真面目に生きることを忘れた人)は、本人が知らぬ間(魔)に異常な行動をして、周囲の人に危害を加えてしまうのです。

また、病気は食べ物の取り方や、特に、心の持ち方や日光・空気・水・土との関わり中で宇宙の自然の大法則に反すると体の陰陽のバランスが崩れ、幽界が消滅した今、行き場を失った魔邪霊に憑依されて病気を発症しているようです。
 
そういう魔邪の生霊や死霊達は、人間の中心であるヘソから入り込み憑依。
 
ヘソから入り込んだ生霊(いきりょう)は、人間の体の左側(陽)の左運動中枢・左目・左耳・左肺・脾臓・左腎臓・下向結腸・直腸・左恥骨等に異動しそこを自分の居場所にします。
 
また、人間の陰側(右側)は死霊(しりょう)が占拠。右運動中枢・右目・右耳・右肺・肝臓・胆のう・右腎臓・上向結腸・恥骨の右上方・盲腸などに憑依して、それら居場所で悪さをします。
 
精神の病気では、自律神経失調症程度の状態であれば、死霊・生霊の憑依の取り除きは可能ですが、精神分裂病等精神病となると、その憑依が遺伝子にまで及んでしまう(眠っている狂う遺伝子が働く)。俗に云う神罰であるのでDNAの修復による精神病の治療はご法度。その治療を懇願されても、いくらお金を積まれても絶対やってはいけません。術者側の行為で治療を試みても、全快は無理です。理由は、精神に異常を来たすと、本人は自らの意思で心の持ち方を反省し、正しく生きることが出来ないからでしょう。
 
そういう精神に異常を来たした人たちに生命を脅かされる人には、それなりの因縁があるでしょうが、巻き込まれないためには、『自然の大法則に反する生き方を改めて、積極的に正しく生きよ!』が第一だそうです。
 
自らの安全・健康は自ら求め、積極的に育み確保しなければならない。安心して暮らすには、2000万円でなく800万円でもなく、八百万の神々のご縁=八百万神縁のサポートが必要となります。 
 

2019年6月19日水曜日

我が成す業に非ず


神籤を引いてにると「凶」と出て、「心得違い」を指摘していただきました。

何を「心得違い」したのかは、帰りの電車の中で気が付きました。

「我が成す業なり」で得意化で、自負が発現しておりました。

『自分でするのではなく、神様が自分の体を使ってやるのだ!という気持ちでやりなさい』
ということです。

まず、術者⇒(祈請)⇒神明 次に、術者⇒(禁厭)⇒対象 の手順を踏まなければなりません。
要は、祈りを通して観想してから、はじめて、神明を自分の背後に置いて、対象の施術するのでした。

神明の加護を得た上で行うのが基本です。

後日、再参拝して謝罪。お許しを得ることが出来ました。

神籤を引いたら、「大吉」。「成就はする。が事をあせらぬこと」とありました。

2019年6月18日火曜日

一切の嫌な事=troubleトラブル


様々なトラブル・問題・不具合・病気に対して、自分の頭で思考をかき混ぜて何とか答えを出そうとすると、その時点で潜在意識に記憶となります。

そしてその潜在意識の中で記憶の再生が始まり、考えた事や意識したこと(悩み・不安・困難・恐怖)が実現・顕現するような仕組みになっています。

恐怖や不安や心配事や「ああしよう、こうしよう」など考えがまとまらず、頭の中でグルグル駆け回っている時をトラブルの渦中にある状態でしょう。

Troubleの語源はラテン語のturbulusで、「かき回す・濁らせる」という意味なのだそうです。

この脳内のグルグル状態を何とかしなければ、トラブルは解消せず、病にも癒しは起きません。

つまり、トラブルとは、自分の脳内潜在意識をクリーニングしなければならない存在が、自分の目の前に問題や不運や病となって表れるという事なのでしょう。

自分の執着をゼロにする、執着を手放して、その時、その時にゼロの場に立つ=絶対無の世界に入るということが、トラブル解除の日常生活潜在意識クリーニングの極意です。

年に二回の大祓では、その一切の嫌な事の元となる悩み・不安・恐怖・妬み・嫉み・恨みの思考を半ば強制的にそれら各自の執着をクリーニングしてもらう儀式でありますが、

プラス、霊体・幽体・精神体に付着した自分の思考で引き寄せたマイナス体をクリーニングし、さらに目に見えない体を強化する儀式(ほとんどの神社でやってくれません)を受けると、一切の嫌な事から解放されます。

29日参加される方は、お楽しみです。

2019年6月17日月曜日

善と悪を超えて

神様には、白い光を放つ方と、薄緑色の光を放つ方がおられます。魔界・霊界の方の光の色とは違った光なので、すぐに区別(善神 悪神)が出来ます。と思っていたら、ある時、

『善も悪も超えて(陽)の光の状態になり、遍く温かい陽光を注ぐ人になれるように目指すが肝要なり』と言われたような感覚になりました。

人が善も悪も超えて光り輝く魂となった時には、道(かんながらの道)は永遠にその所にあるのだそうです。

また、人が善と悪の両方である時には、惟神の道は消えてしまうのだそうです。

善と悪を超えた光、愛、慈悲に、人はならなければならないのでしょう。

かんながら(惟神)とは、神様に全てを任せるということですね。善も悪も超えた境地。如何様なりとの境地でしょう。

「全て神様にお任せです」の境地とは、このことをいうのでしょう。

その善も悪も超えた者(神)に触れるには、各人のお山の頂上へ、私たちが近づいて行くしかありません。

急こう配の坂道を、善 悪 善 悪とペダルを踏むが如く、さらにジグザグ自転車走行している私にとって、ハードな道のりであります。

「あぁ、シンド」ですが、その中に、「あぁ、神道」で、神の道を走破するのは喜びです。

苦しんでいても、ある時急に垂直上昇しますが、有頂天にあると、真下に落とされます。

真横から見ると、それでも少しは上に登れているようです。




2019年6月10日月曜日

大祓祝詞と祝詞

(参考に拝借した「神籬」の画像)

先の土日は部屋にこもり、今月29日(本来は30日)に可児市で行う大祓用の準備をしておりました。(祓戸の神々様にご降臨いただく「神籬」・祓いの幣の紙垂・参加される一人一人用の自祓い用の祓い幣。今回は特別に祈願用の祭壇も一気に作りました。)

本居宣長翁は、禊ぎについて次のように詠じています。
「禍事(まがごと)を 禊(みそ)がせれこそ 世を照らす 月日の神は 成り出(い)でませれ」
この意味から、禊祓(けいばつ)には宗教的な懺悔に似ている機能が含まれていますね。
懺悔と祈祷とは、あらゆる宗教的な実践の中で最も中心的眼目で重要な要素でありましょう。
祝詞の中の「大祓祝詞」などは、一種の懺悔文に相当し、それ以外の祝詞は全て祈祷文に属するのでしょう。
祈りは「居宣(いのり)」または、「意宣り」であって、神前に座して、所懐を宣(の)ぶるの意味です。
そういう意味で大祓いは、みだりに各人の賤劣な欲望の充足を目的として、神々に対して、あたかも商取引に似ている勝手気ままの交換条件を提出して、ただただ自分に都合のよい棚ぼたを強制するようなものではありません。のことは、毎回参加される方はよくよくご存じですので、安心しております。
今回は特に、中臣の大祓とは、まったく異なる大祓祝詞を入手できました。(乞うご期待!)
これも秘文のようで一般に公表できませんが、当日(29日)皆で宣りあげましょうね。
※太祝詞も秘文でしたが、4億年前からの罪と、現世での罪を秘密の呪文で、黄泉の国に治めるという事でしたね。※太祝詞も声に出して宣れるものと、秘して宣るものがあります。今回二つも会場でお伝えします。








2019年6月7日金曜日

ご参考(ノット・ジュモン)


『意根利秘伝』

稲荷祭文「五狐神祝詞(ごこうしんのっと)」

天狐(てんこ)・空狐(くうこ)・地狐(ちこ)・白狐(びゃっこ)・吾紫霊(あしれい)・稲荷五狐(いなりごこうしん)・御衣今有(ぎょいいまあ)りや、日々に勤(つと)めて御衣(ぎょい)を拝(はい)し奉(たてまつ)り、御統(みすまる)の瓊(たま)なれば、(たれ)か恐(おそ)れみ敬(ゐや)まはざらんや、真澄(ますみ)の鏡なれば何(いづれ)の神か守らざらんや、草薙(くさなぎ)の剣なれば何(いづ)くに由久(ゆく)として讎(あだ)なる人有(ひとあ)らんや、齋(いも)ほり慎(つつ)しみ三狐専女(さんこたうめ)の神、守り失ふ莫(なか)れ。

 
稲荷神祭秘文(いなりしんまつりのひもん)[五反唱る]

殊(こと)には五(いつつ)の穀(たなつもの)の植(うはつ)物 八柄足穂(やつかたりほ)に取り生(な)して 国(家とも 、民とも)の中(うち)、豊かに恵み賜(たま)へ。

 
神徳神秘之秘文(しんとくじんぴのひもん:大己貴祭文おほなむちっさいもん、とも)                           [五反・八反・十二反唱る]

充(み)ち満ちて虚(そら)より空(ふ)れる富なれば 澄米(はがしよね)を新(あらた)に万倍供(ますいのり)粮心荘巌成就一切事(いのりまをすとまをすことをみてやりたまへ)。


※天皇様からの御命令で古事記(ふるごとふみ)を書き記した太安万侶は、古事記に先立つ70年前に「稲荷古伝」を記したそうです。国津神明神系といわれる神の人間に対しての導きの言霊は、太安万侶の思考を無にして(神人合一)感応して(憑って)自動書記の様に記されたのかもしれませんね。

ノットも呪文も、人間の思考(ああしてほしい、こうしてほしい、是が非でも!)を無にして、自分の意が成り成ったと過去形で宣言すれば「我が意成る」で意成りでしょうね。感応のコツは無心です。


 

2019年6月6日木曜日

神の意成り(いなり)経済


「金と神に兼仕えること能わず」と云われております。崩れかけているとは言え日本の資本主義社会の経済活動生活において、無産階級の私は、土地を耕して米や野菜を得ることは出来ませんので、それらを得るために今はサラリーマンという経済活動をし、お金で全てを買っています。
 
年を重ねてもまだ働けるということはありがたく、働くこと自体楽しいことですし、その中から自分なりの工夫や発見を見出すことが出来ます。
 
他人の病気を治すことが出来たり、他人の商売の業績や他人の運気を上げることが出来る中にも様々な気付きや発見があって楽しく有難いことですが、病気が平癒した後に感謝の謝礼を頂く場合、それが妥当であるかどうかで悩みます。
 
原価に対して3倍の値段をつけるのを龍宮経済というのだそうです。また、原価に対して8倍の値段をつけるのが観音経済というのだそうです。金毛九尾や薬九層倍(くすりくそうばい:は売値が非常に高く、原価の九倍もするという意)といって、原価に対していい加減な値段をつける商売や霊能を売り物にする人達もいます。
 
世間では、対価は高い方が上等であると考える人が居ます。安いと腕が悪いのだろうとか、品物が上等でないのだろうとか、変な勘繰りをする人もいます。
 
高級そうなマンションや新しい店舗で店を構え、高価な装飾品で飾った部屋に通して、びっくりするような請求をしても、それは自由経済なのだから許される?た?時代はもう終わりでしょうが、貧乏人から巻き上げるごとき魔界の経済は、苦しむ人を多く生みますから、よくありません。
 
やはり、原価に対して3倍の値段をつける龍宮経済を「良し」とされますが、原価がわからない私の場合、値段はそちら様がお決めください。ドネーション(寄付)でお金は自由に封筒に入れて下さいと箱を置いておくと、ビックリするような嬉しい寄付や、ガッカリビックリで悲しくなるような、五円、10円を神社の賽銭箱に投げ入れて、「病気が治ったら後でお礼はたっぷりしますからね」(ほんとうかしらん?)的な寄付(100円ってド~デショゥ?)もあります。
 
一発で治らなかった人の病気のことを考えてモヤモヤしていると、『治し方を教えてあげるから、何処どこの神社の〇〇神の所へ賽銭と神饌としてお神酒か果物を持って来なさい!』という感じがします。
 
ドネーションが賽銭と神饌でツーペイとなりますので、神様に対して、私は貸し借り無しなので、ず~っといい関係でいられます。
 
貸しっぱなしの患者さんは気にしない様に努力します。(神さん曰く、『大丈夫、その人の次の病気はなおらないから』で、また、来ない様に仕向けてくださいます。)
 
神様治療の経済は、神様の「意成り」=「医なり」で、稲荷経済。衣食住は困らない程度に保証してくれています。
 
イナリはイナリでも金毛九尾様とは対照的で、物質的な贅沢は有りませんが、精神的贅沢はいただけています。すべて神さんの言いなりです。

2019年6月3日月曜日

太陽光(紫外線の殺菌力)の受け方


 
東京府中の大國魂神社の正面の大鳥居前で、「大国魂神社神界!におはしますぅ~、神々さまぁ~、眷属神さまぁ~」と意識して手を合わせます。
 
次に参道の両サイドに敷かれている玉砂利を踏みしめる音を耳に聴いて進みます。(頭の中の雑音が消えます)
 
上空から「ジリっ」と太陽光を照射されたところに、天細女命(あめのうずめのみこと)をお祭りする宮乃賣神社がありました。
 
天細女命は、演芸の神とも安産の神ともいわれておりますが、古代においては、女医さんとか総看護師長さんだったような感じを受けます。
 
大國魂神社に到着したのは12時近くでした。近年、特に令和になって、太陽の紫外線はきつく感じます。殺菌力がとても強くはたらきますが、太陽の光を浴びて健康になろうとするには、日の出から1時間(オゾン層が厚かった昔でも日の出から2時間がベストだったようです。)までの光を浴びるといいでしょう。
 
(それ以降の太陽光をあびたい場合は、はだしになって土の上に立ち、木の幹に手を当て、木の葉から漏れる光を浴びたら最高です。)
 
特にリウマチに苦しんでいる方にはお勧めです。日の光を胸の胸腺の所を意識して浴びると、意固地な心が溶かされ、リウマチ菌が死滅するようです。

目の神様


東京立川の諏訪神社は、第52代嵯峨天皇により、弘仁2年(811年)信州諏訪大神を勧請の古社です。

御神祭は中央にはタケミナカタの神、向かって左手には八幡神ホンダワケの神、右手には稲荷神ウカノミタマの神が祀られています。境内の寄せ宮には、浅間神社・金刀比羅神社・日吉神社・疱瘡神社があります。
 
目の病気に霊験のある目の神様は、別格に祭られております。ここで目の治療法をお伺いしました。

目の神様がおっしゃられたであろうことは、『目の病においても、目だけ診ておっては治らぬ。左目は喉(胸腺)からのラインをチェックし、右目は腎臓からのラインをチェックすべし。』

それぞれのラインは最低3本(神経・ホルモン・エネルギー)あります。それら各ライン(管)のねじれ・切れ・遮蔽・管内の癒着による詰まりを改善します。また、当然のことですが、ウイルス・菌を消滅させ、遺伝子も修復しておきます。 私が生まれた信州諏訪の国魂神社を東京立川で参拝できましたのでありがたかったです。

諏訪神社の境内の隅に、まだ飛べない巣立ち前の子ガラスがひょこひょこしてました。「危ないから身を隠していなさい」と注意すると、親ガラスでしょうか?、木の上から一言、「ア~ッ!」。親ガラスが子ガラスを見守っておりました。

諏訪神社の参拝ののち、子ガラスに触発され?東京府中の大國魂神社参拝へと向かいました。
   





12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...