2019年7月31日水曜日

食物(オシモノ)のこと

 
高家神社(たかべじんじゃ)千葉県南房総市に鎮座。
 

主祭神は磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)。料理の祖神・醤油、味噌など醸造の神として崇敬されています。
 
古語で「食物」(おしもの)とは大秀物(おおしもの)の意味で、生きとし生ける人として、その身体を保つには、清く穏やかにということを第一とし、四足の獣などを初め、大変辛いものや大変甘いもの、香りのあまりにも高いものなどは皆この「おしもの」の中には入らず、このような物以外で1年に子をたくさん産むもの(例えば魚)をのみ、人の「おしもの」として神がお創り下さったものとして戴いたのです。
 

また、果物・野菜は人間の本来の食べ物とされているようです。従って、これが誠の食物であり、現在の我々の食物などは「おしもの」というには疏か穢れのカタマリのような物ほど美食などと言っているのは呆れたことといえるでしょう。
粗食が健康のためには一番であると云われて久しいのですが、その粗食の「祖」とは本来は「もとのまま」あるいは「手を加えない」ということであって、米ならば玄米のようになるべく手を加えないのが最高で、何で作ったか、元の材料も分からなくなるほどいじくりまわした料理などは食材のエネルギーが抜けてしまいそうです。
さらに、人間の健康の為には身土不二の原則に従った食事をするというのが古来より言われていることです。医食同元と言われているように、人間の食は生命を維持するためのものであって生命力にあふれた食品が最高のものです。我々は食べ物の栄養素を食べるのではなく、食品のもつ生命力を頂くのです。しかしながら、生命力のある「大いに秀でた食材」を求めるにも至難の業。平日は職場から近くで便利なコンビニで昼食の食材を調達する私。一応、生命力のある食材を探しますが『ゼロ~ぅ』。そのかわり添加物はバッチリです。




2019年7月30日火曜日

さわぐなの「シ~ッ」のポーズ


先週越後一之宮である「弥彦神社」へ参拝してまいりました。(地元では「おやひこさま」とよばれています。)

ご祭神は、天香山命(アメノカゴヤマノミコト)。天照大御神の御曾孫(ひまご)にあたる神で、越後開拓・産業文化の始祖神だそうです。


私が参拝できたのは24日。重要無形文化財にもなっている燈籠神事がある25日の前日です。参道にはお祭り用に灯ろうが綺麗に飾り付けられておりました。(※お祭りの前日が大事です。)

新潟ではいろいろな事が起きて騒がしい限りです。神々様にはあれやこれやお聞きしましたが、大事な事(言ってはならぬ事)はシークレットという条件付きなので、漏らすことができないのですが、とにかく『何が起きても騒ぎ、慌てふためくなかれ!』 『時の流れであるからにして』だそうです。

末社に「祓戸神社」があります。お祭りの前日なので鳥居の提灯には燈明が入っておりますが、人っ子一人おりません。
 

本殿の途中に第二の鳥居がありますが、この鳥居をくぐると祓戸神社の神域。現界と幽冥界(人間界に近い神界)との境となります。


祓戸神社で清め祓いのノットを奏上し、近い将来の出来事の無難を祈りました。
あとは、瀬織津比賣神(せおりつめのかみ)・速開都比賣神(はやあきつひめのかみ)
気吹戸主神(いぶきどむしむしのかみ)・速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ)の祓戸の四柱の神名をひたすら唱えました。

ざわ~っと突風のような風を起こしてくださり、ご存在をお示しくださいました。

人差し指を口の前に立て、「シ~ッ」のポーズをされていたようでした。
 
 
 
                 
 
 
 
 


 

2019年7月24日水曜日

神社参拝の心得


「天地を以て手本とし、神前を以て戒とせよ。神事は祈祷を以て初めとす。神事は明かき、清き、直き、正しき心を以てせよ。不浄は神の嫌うところなり・・・・・・・・」 神道の基本です。

神道は教えが無いといわれていますが、文字で表されたものがないというだけの事であり、自然の中に「不立文字」として書かれているのを読み取るのです。

神参りの基本は「自我」を忘れる事です。参道の玉砂利を踏む音を聞き入って本殿まで歩みを進めていくうちに、自我(日常の考えなど)が消えてしまいます。

境内では、熊蜂や蝶などの昆虫であっても眷属さんであったりします。毛虫なども肩などについて
本人のラッキーカラーなどを教えてくれますので、「キャーっ」などと振り払ったりせず、よ~くその毛虫の色を観察して色を覚えておき、その色目のものを身に付けるといいでしょう。

普通一般に嫌われる「カラス」なども眷属さんでいろいろ導きを与えてくれます。特に眷属のカラスは人間の言葉が分かりますので、境内でカラスが近くで見ると、「おはようございます」とあいさつすると、「あ”~」と答えて、私が行くべきところに誘導するかのように飛んで行きます。)

あれこれ余計な思考があると、このような神秘体験には出会いません。

神籤を引く時にも「自我」を忘れて素直に引くことが大事です。

先日の神籤では、『利益になることを新たに一つ始めるよりは、今ある害悪を一つ取り除いた方がよい。余計なことを一つ増やすより、無駄なことを一つ減らす方がよい』とありました。
鈍感な私に対して、神様直々に神籤でお示しくださいます。

「一日一捨」を目標にして、シンプルに生きよう! と反省しました。(物も思考も人間関係もです)






2019年7月22日月曜日

大國魂神社すもも祭り

 
7月20日(土)大國魂神社の「すもも祭り」に行ってきました。
大国神社周辺にお祀りされている摂社・末社を先にご挨拶させていただいて、大國魂神社に着いたのは、午後14:30分頃。すごい賑わいでした。
 
 
お目当ての一つ、「すもも」。
露天商のすもも」売り方、口上を参拝客の肩越しに聴いて回るだけでも一苦労です。
さすがに、古事記のイザナギ・イザナミの事は聞けませんでしたが、
2種類の「すもも」を買うことができました。
 
本日の主役は、「からす」です。
さすが大国魂神社の眷属神のお使いです、都会でごみ袋をつついている「オカラス」さんと、
神社境内におはします「オカラス」さまとでは紫がかった羽の色つやといい、
品格が違うように見えてしまいます。
 
カラスの団扇・扇子は、前評判では20日AM中に売り切れという事でしたが、
午後3時を過ぎても社務所の特設会場で売られておりました。
 
事前予約の私が、扇子・団扇を受け取ることが出来るのは、21日以降という事でしたので、
21日(日)、扇子と団扇を頂いて、境内の某所でエネルギーを封印させていただき、
左うちわで帰路に着きました。

2019年7月20日土曜日

「身体健全の自助努力」感謝と祈り


         (東京の田無神社の境内の木彫りの「子育て犬」)

命に限りがある人間は、今生では「神の計画」のほんのさわりの部分を見るにすぎません。また人間は今生では「神の創造の目的と結末」を本当に理解することが出来ないので、偉人たちが感得して残してくれたものを紐解いて、自ら感得できたところから神の叡智を信頼しなくてはいけないのでしょう。

大御神の人間に注がれる御心に分け隔てはありません。ただ、
人間が神にお誓い申し上げる心の厚い⇔薄いによって、神から受ける恩頼(みたまのふゆ)に深い⇔浅いができるだけなのですね。

人間だけが神に対して、見返りを求めている。彫刻の「子育て犬」が教える「人間の浅ましさ」

神が自分をこの世に出してくれたことへの「感謝」そして「身体健全の自助努力」への決意。それが祈りのワンだフル。

「お金」=「幸せ」? 神仏に対して「ユスリタカリ」のテクニックを学んだスピラーたちは神罰・仏罰を受けるのです。

2019年7月18日木曜日

感謝の心を鍛える拝詞

😊😊😊😛😛😛 

人は神々さま方の道具ですので、神々様方は常に人の側におられて、その人の思考や行動によって切り替わってしまいます。

つまり、悪いことを考えれば悪神が憑くというように、それにふさわしい神様が寄ってくるのです。

また、各家の近くにある神社(産土神様)が我々自身の直接の神様として、生活一切の面倒をみてもらえるようになっています。

神様は人を創造した以上、我が子の最低限の衣食住を補償してくれているといいます。そのところに気が付けば、自然に神様に対する感謝の心が芽生えるのが普通です。

産土神さまには事あるごとに感謝の参拝するとよろしいのです。感謝の意味は、衣食住を整えていただいていることへの感謝。そして様々な災難から体を守って戴いている事への感謝、心身が健康であることへの感謝を申し上げるのです。

正しい神様に感謝をして、神様に好かれることが続いていると、心が徐々に変わって来て、人に対して優しくなれる時間が多くなり、自分の心も大きくなってきます。

衣食住に不満がある人は、怠けていて真面目に働かない人です。感謝の足りない人です。

そこで、感謝の心を鍛えるには、次の拝詞を毎度の食事の前に唱えます。

【拝詞】

神火清明(しんかせいめい)

神水清明(しんすいせいめい)

かけまくもかしこき日之大御神(ひのおほみかみ)

豊受姫之大神((とようけひめのおほみかみ)

産土之大神達(うぶすなのおほみかみたち)をはじめまつりて

天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百万之神達(やほよろずのかみたち)の

恩頼(みたまのふゆ)を 拝(おろが)みまつり いただきまつらくとまをす」

と唱えてから、「いただきます」とやります。

この拝詞を心の中でも唱えることによって、豊受姫大神、産土大神との繋がりが深くなってゆく重要な拝詞です。斜に構えて侮るような人には、衣食住の豊かさも望めませんのことよ~。

あの世でも幸せになる為には、この世で神に好かれる人間なっていなければなりませんの心だぁ。

ミシャグジさま(おしゃぐっつあま)参拝


ミシャグジさまというと長野県諏訪大社近くのミシャグジさまですが、縄文期には諏訪より大きかったとされるミシャグジさまが、浜松市都田町吉影片瀬にひっそりと鎮座されていました。社宮神社です。

ご祭神は船戸神(ふなとのかみ)。別名は多く、久那斗神/久那戸神(くなどのかみ)・衝立船戸神(つきふなとのかみ)・岐神(くなとのかみ/ちまたのかみ)・来名戸祖神(くなとのさえのかみ)
久那土は「来なと」。悪霊邪気の侵入を防ぐ神とされています。

『延喜式』道饗(みちあえ)祭(陰暦6月15日)※(新暦では7月17日、私が参拝できたのは7月15日でしたが)に京都で邪気の入らない様に都の四方の路上に供物をする祭りの祝詞の中で、禍を塞ぐ神として登場するのが久那土神(久那斗神)です。

道の神として塩土老翁神とか猿田彦神と同じとする場合も多いですが、『古事記』では、伊邪那岐が死の国(黄泉国)から戻って禊祓をした折、身に付けているものを脱ぎ投げ出すと、そこから
十二の神々が化生したうちの、杖より化生した神が衝立船戸神とされています。で、衝立船戸神は杖を突き立てて、悪霊の侵入を防ぐ神で、船戸は久那土のことだそうです。


ミシャグジ神は大木とセットで大きな丸い石が大体においてありますが、この社宮神社では、遷宮してまして、丸い大きな石は移設できなかったようで、代わりに龍神のお顔と相似した石がありました。

船戸神様は白蛇の姿をされているとのことで、白蛇=龍→龍神信仰。蛇は脱皮を繰り返すため
再生の神として崇められていたそうです。


神社の入り口は、古代の鳥居?日本・二本の柱で、いい感じです。

社宮神社(ミシャグジ社)をこの地域の氏子さんたちは、「おしゃぐっつあま」と呼んで敬っているようです。

2019年7月12日金曜日

「危険な負人(ふたり)」(呪裏~ぃ)


こう太陽がお出ましにならないと心も塞ぎます。
このような日々はエネルギッシュな太陽を思い起こして元気を得るのです。


私は月~金の毎日、電車で通勤してますが、特に最近は危険な負の人が多く危ないです。気が抜けません。電車に乗り込んで何処に自分が位置するかが大事ですが、駅駅で乗り込んでくる人にも注意が必要です。

例え、カワイ子ちゃんが居ても極力、他の乗客と目を合わせようとせず、自分の体やバッグなどが周囲の人に当たらない様に心がけます。スマホは開きません。本も他の人の邪魔にならない体勢で読む事はありますが、本ばかりに集中はしません。とにかく人がヤバく怖いです。人というよりも人に憑いている幽霊界からやってきたヤバイ邪悪な霊達が怖いです。

病気治療の時も、最近特に邪霊達は私にやっつけられまいとして、ものすごい形相で向かってきます。

奴らに対抗するには神界の上位の神々や、魔王神界の上位の魔王神様から頂いた黄金の弓矢や剣や大刀などの武器で迎え撃つしかありません。(目に見えないので、銃刀法違反にはなりません。)

治療以外の普段の生活では、我が身を守るお守りを自製し、身に付けるなどしなければなりません。手には、剣印を結びます。

そんじょそこらのお寺のお守りは今や全く役に立ちません。神社の社務所で頒布されているお守りも、強力なエネルギーを入れることが出来る神職が少ないので、自分でパワーを封入し直さなければなりません。

塩もミネラルの抜けた精製塩を振りかけても役に立ちません。大祓祝詞の切り幣でも紙吹雪が散らばって人から注意されて終わりです。 
九字切りも仏教系のものは今じゃ効果はありません。いざという時に使えるように古い神道系の九字切りをマスターしておいた方がいいです。秘文の呪文も効果があります。

本当に自分の身は自分で守らなければ安心・安全でいられない大変な時代です。高波動の中に邪悪な低波動が紛れ込んでいるので、自分の感情・思考がしっかりしていないと低いバイブレーションに巻き込まれたら大変です。

スピ系で調子こいている人は全滅に近いです。
(本物に転向したければ相談には乗りますが。)

7月20日の「すもも祭り」に売られる八咫烏の扇子・団扇も魔除け邪除けになりますが、
強力にするには大國魂神社境内の神様がいらっしゃるその場で神様にエネルギーを再封入してもらいます。

今年の夏から(真冬にでも)その扇子が手放せなくなるようです。

(※7月20日の午前中で扇子・団扇が売り切れになりますのでご注意ください。)

悪いことを常に考えている人は、本当に悪いことをしてしまう短絡な時代です。処罰されますので、善いことを常に考えている人にとっては安心です。
「巻き込まれに注意!」は絶対必要です。

   
 

2019年7月11日木曜日

病気を治す主役


自分以外の人に病気の原因を探索してもらい、何らかの治療を施してもらっても、病気を治す主役はあくまでも病人自身であって医師も治療家も薬も病気を治すパートナーに過ぎないといえます。

したがって、「この薬さえあれば」とか「あのせん性にかかりさえすれば」というというような過剰な思い入れは禁物であります。

反面、自分のかかる医師や薬に信をおかなければ、効果はかえってマイナスとなります。

このような事実があるからこそ、病は気からということも言い得るのであり、自分の心があくまでも主人公であり、治すのは自分の内部に持つ力(自分の神)なのですね。

人の自然治癒力を高めるには、
1.自分の心得違いに気づき、その心得違いを直すこと。
2.自分の病気は必ず治るという確信を持つこと。
3.正しい食生活を送ること。
4.健康的な環境を整えること。
5.必要にして十分な医療行為を受けること。  この5つに尽きるのでしょう。

言うは易く実行はなかなか困難な問題はありましょうが、完璧を期する必要はありません。あくまでも程度の問題であって、その人のいる立場立場に応じて最善のことをすればよく、理想に近ずく工夫をすれば良いと思います。

病気・不幸を司る世界の神々が一様に指摘されることは、患者の持つ「心得違い」「考え違い」です。それを直しただけで、回復された方は大勢いいます。

私は常に心得違い、思い違いの反省の日々。反省だけならサル私でもできますが、直すにはそれなりの努力も必要です。

2019年7月10日水曜日

弥思い(イヤオモイ)→ヤモヰ→病ヤマイ


ヤモヰ(病気)の語源を言霊で解すると、ヤはヤセル(痩)・ヤブル(破)などのヤで、モノを損なうの意味。モはモユ(燃)・フモト(麓)などのモで、モノの伸びる広がる意。ヰは居で、その状態に在る意です。

したがってヤモヰとは、モノ(身体)を損ない、それが伸び広がっている状態の意味です。

一説には、「弥思い」(イヤオモイ)の意で、あれこれと思い悩む事とあります。病気の「因」は「弥思い」が主要な部分を占めていることから来ているのでしょう。

「縁」として、人間の「弥思い」に同調する霊が黄泉の国からやってきて人間の体に憑依すると、結「果」として病気になると古来から考えられてきました。

古代エネルギーを使わせていただき病気治しをする我々は、患者と対した時、その患者が病気になった原因を黄泉の世界に訊ねます。

我々自ら黄泉の世界に行くことは出来ませんから、黄泉の世界に詳しい神様にお伺いすることになります。

『吾は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ葛城の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)ぞ』(病気も慶事も一言で言い当てる技術を持っている神であるぞ!)の一言主の神に病気の原因をお聴きするのです。

お聴きするといっても現代語でお教えいただくことはなく、黄泉つ事解男の神(よもつことさかおのかみ=ひとことぬしのかみ)から病気の原因を言霊で承るという感じです。

聴き及ぶあの世の事は迂闊に公言することはご法度になっているのものが多く、OKが出た事しか公開できません。
(治療法は少ないですが、古代の医学・医療はウエツフミに記されていますので治療の参考になります。)

あれこれ思い悩んで(弥思い)でヤマイ(病)になって、嫌な思い(イヤなオモイ)をすることになるのは自己責任でもありますが。因を知って縁を断てば、自ら健康を取り戻すこともできましょう。
   

2019年7月8日月曜日

生命(いのち)とは


人間は生命体の一つですが、生命とは何か?を広辞苑で引いてみると、
「生物が生物として存在し得るゆえんの本源的属性として、感覚、運動、成長、増殖のような生活現象から抽象される一般概念。いのち。」とありました。

では「いのち」とは何かを広辞苑で引いてみると、「生物の生きてゆく原動力。生命力」とあります。

「いのち」を一音一義のこと言霊(コトダマ)によって解釈してみると、
イはイカシ(厳) イチヂルシ(著) イワ(岩) イツ(稜威) イワレ(磐裂) イカ(大) イク(活) 
イク(生)などの意で、満ちて大いなる意、厳めしき意。

ノはノブ(伸) ノブ(延) ノロシ(狼煙) ノド(咽喉) シノ(篠) ノドカ(長閑) ヌノ(布) ノシ(熨)
などのノで、モノの伸びる意。

チはチ(霊) チ(血) チ(乳) チギ(霊木) ツチ(土) などのチで、モノの奇びに働きなす意。

「イノチ」とは天地の気が満ち満ちて長く霊妙に働くモノの意です。

我々の本質体は生命です。

2019年7月2日火曜日

神判記實

口語「神判記實」皇大神宮主典 山口起業原撰 (東京 山雅房)

古書店で『買ってって~ぇ』の声なき声を掛けられて(のような気がして)500円でお買い得を賜りました。(昭和59年増補4版)5刷の現在の定価は2,310円(税込・送料含)です。

山雅房によるこの本の説明
------ わたしたちの祖先の生活は、朝、床をはなれるや直ちに洗顔、かしわ手を打って東天を拝し、神棚と祖霊舎(みたまや)に水と洗米、塩を供えてから、その日の営みにいそしんだものである。  その日常生活のなかに、時に応じ変に臨み、人知れず生じた数々の霊異談(れいいだん)を丹念に集めたのが本書『神判記実』である。-----

主要項目を紹介します。
------ 神をけがして厳罰をこうむった話/神罰を受けた人が、悔い改めて長生きをした話/継子(ままこ)の贖罪(しょくざい)によって天上に復帰した継母(ままはは)/秘詞(ひし)を唱えて母の罪をあがなう/夢で天上界に通う/天照大神を尊崇して受けた功徳/帰幽(きゆう)した娘に諭されて善行を積み、再び娘を生む/孝行の徳により雷の難を逃れる/神を祈って冤罪(えんざい)を免れた女/神境に誘われた篤行者の子/神鏡に示された幽政の深義/敬神の徳により神界を見学する/神たちの通路を拝し人の吉凶を知った話/大楠公(だいなんこう)を祈って賊徒の罪を消滅させた話/大祓詞(おおはらえのことば)を奏上して狼から逃れる/忠魂神となって人の吉凶を定む/先祖の祭祀(さいし)を厚くして貧苦を免れた話/神典焼却を事として神罰をこうむった話/杵築の宮の幽政を拝し奉った話/唐の張巡、忠死して天国へ迎えられる/帰幽して大神宮に仕え奉った祭主三位親章卿/神の教えを守って難病の治った話/再生して六年間の幽冥生活を語る/神示によって神道の正理を会得した話/祖霊が教えた幽冥の実情/産土社境内のお砂で大蛇の難から逃れる/神道を誤り信じて邪界に入りかかる/大麻の神徳によって疫病が除かれる/孝子敬神の徳によって母が冥罰を免れた話/日本武尊、御現身(うつしみ)ながら天に復帰し給う/和気清麻呂公の精忠、神感を得て妖僧の奸謀(かんぼう)をくじく/皇大神宮荒祭の宮、斎内親王に憑り給う/神示によって神道の正理を悟る/神の道を偽り唱えた夫婦が天雷に打たれる/産土神を逆恨みして神罰を受ける/シナの子どもが日本に再生/産土神が大祓詞奏上を勧めた話/死んだ子どもが再生して霊界のありさまを語る/伊雑宮(いざわのみや)の神徳をこうむって眼病が治る/不幸者が父母の霊をののしって神罰を受ける/伊勢参宮により救われた話/男の過去の悪報により妻子三人が死ぬ/貞操の行ないによって神徳をこうむる/誠心によりて神界の楽しみを得る/祓の詞の徳によって産婦を救った話/拾った黄金を返して再生した話/他 

「そうだ、なるほど、はぁ~っ」となり、「はは~っ」となります。


 

2019年7月1日月曜日

扇子も使う人のセンス次第?

7月20日(土)は東京府中鎮座の「大國魂神社」のすもも祭りです。当日のみ頒布されるカラスの団扇と扇子は、午前中にほぼ完売。(私は3年連続ゲットならず)


なので、今年は必ずゲットするべく、インターネットで予約注文しました。

大國魂神社の有名なお守りは、八方除けのカラスの八咫烏の絵柄のお守りは年中頂けますが、この八咫烏の団扇・扇子は7月20日のすもも祭りの日のそれも午前中に行かなければ売り切れで手に入りません。

団扇・扇子はこれで風を起こして、厄や災いを除けるとして使うので、治療や祓いに使ってみたいと思います。

(時間がかかっていますが、風を起こし物を生む扇子を作っています。作るといっても、和紙が張られた出来合いの白扇子の下地に金色の色を付け、日と風と水(海)をデザインして、あとは祝詞を称えながら塗る込めるばかりです。)

日(ひ)と風(ふ)と水(み・海)
日(光)=希望があって、そこに風が吹き込まれると、海(水)が生まれます。海はイザナミの所轄。生命も物も生み出す力があります。

雑念や心の欲や、降りかかる火の粉をまず、吹き払うのが先決。それから小さな希望の炎に風を送り込んで、大きな希望の炎となって、願望が実現するのです。

団扇・扇子を、このように思ってお使いになったらよろしゅうございます。

お守りも、団扇も扇子も、使う人の心がけ、センス次第です。




魂魄の大祓

 
 
(静岡県の天竜川中流域にて、紙人形を流す。ノットを称え、
紙人形を流し、スマホで撮影。至難の業をもって、大祓を終えました。)

29日に行った大祓。30日には天竜川中流域で紙人形を流して、関係各人の二つ罪(過去からの罪と今生での罪)を根の根の底の国(黄泉)へ送りました。

全国各地では大雨で、禊ぎの雨なんて悠長なことを言ってられない模様です。

いましばらく注意。これからが大きな禊ぎならぬドンデンってことにならなければいいのですが。ちょっと心配しています。

今回の大祓では、魂魄(こんぱく)同時の祓を体験して頂こうと頑張ってみました。

魂とは人間の意識体(幽体・霊体・神体を含みます)。魄とは人間の肉体。その魂魄の罪穢れを同時に祓うのが祓い清めの根幹であります。

祓い清めを頑張るなどと言っても、肉体心・人間力に頼っていたら大した大祓は出来ません。

地・水・力・風・空の五つのエネルギーのお力添えを頂いてするからサ~ッとできるのでしょう。

また、今回初めて、人間の意識体(幽体・霊体・神体)を清め、強化するノットも奏上しました。
私自身も体が大分軽くなりました。(思って家について体重計に乗ってみたら・・・なんと、まったく体重は変わっておりませんでした。)

大祓の会場では、空のエネルギーの取り込み方を実習していただきましたがいかがでしたか?

簡単かつ短時間でできるので是非、お続けください。

29日は5つのエネルギーを感じていただけるよう、設営に工夫を凝らし、心のこもった神饌もにぎにぎしく、祓戸の神々・治療の神々をお迎えしての講習・治療会・大祓が出来たように感じています。

都合9時間。お疲れさまでした。

2019年後半も、無難でお過ごしできますよう。積極的健康にお励み下さいね。


12月の予定「かんくり 健康回復支援館」

  ー 12 月の「かんくり」健康回復支援館の予定 ー 12月  1日( 日 )  AM9:00 ~地域防災訓練参加のため、治療は10:00より承ります。 12月  7日( 土 ) 終日 健康回復のミーティング(横浜市内) 12月  8日( 日 ) 横浜市内~移動後、治療...